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2019結

YOKOHAMA ARENA

9月に入った途端に雨は降りしきり、火照ったアスファルトの熱を奪っていった。夏を忘れた夜、筆者は作業スペースの椅子に年中掛けてある毛玉だらけのカーディガンを羽織った。

さて、今宵でいよいよ幕引きthe pillows 30th Anniversary ★ Thank you, my highlight 05 LOSTMAN GO TO YOKOHAMA ARENAである。「2019」も完結である。語る事は多い、今までにも増して超大作になるなる事必至である。ここまで来たのだ、どうせなら最後までお付き合い頂きたい。途中退席は自由である。

母の影、再び

現地入り前、筆者はまたしても初めましてのBUSTERSと待ち合わせをしていた。2019をここまで読んで下さった皆さんの中にはthe pillows museum Buster’s dinerに参加したというBUSRERSも少なくないだろう。BUSRERS以外の為に大掴みな説明をすると、漫画でいう「原画展」である。当然グッズ販売もある訳だが、その中に東京会場限定/大阪会場限定のアクリルキーホルダーがあった。
とあるキッカケから筆者は東京会場限定の物、初めましてのBUSRERSは大阪会場限定の物をそれぞれに購入して大円団の地で交換をしようと約束を交わしていたのだ。そして、キッカケはご察しの通り母である。

突然だが、東北最大級の遊園地と言えばリナワールドである。山形県山形市で結成されたDELICIOUS LABALの一番槍THE BOHEMIANS、彼らのメッカこそリナワールドなのだ。贅沢な事に母と弟は筆者を置き去りにし、メッカでTHE BOHEMIANSデビューを果たす訳である。
リナワールドでのLIVEの日、筆者にDMをくれたのが先のBUSRERSである。詳しくは聞かなかったが、現地で主に母に絡まれたらしい。オマケに筆者の名前も出していたのを本人から事後報告で聞いていた。
母と弟がお世話になったばかりか、わざわざDMまで下さったので、筆者は可能な限りの言葉で感謝をお伝えしたのであった。

そんな経緯があり、記念すべき新たな誕生日にお会いする事になった訳である。待ち合わせ場所の喫茶店へ行くと、宝物を譲って下さったBUSRERSもいらっしゃった。グッズ交換の件でやり取りしている際にご面識があるとは伺っていたが、よもや記念すべき日に約束も無しにまたお会い出来るとは。お祭り前の期待感と興奮に任せてBUSRERSはフライングで乾杯をした。

繋げ!オレンジ、着ろ!つなぎ

the pillows、オレンジのつなぎで連想されるのはLocomotion, more! more!で相違ないだろう。記念すべき新しい誕生日当日、会場近くでオレンジのつなぎを見たとなれば、それは筆者で相違ないだろう。

筆者は故あってオレンジのつなぎにピロTを仕込んで現地入りをしていた。理由はLIVE後に分かるので割愛させて頂く。現地入り前、筆者は自分の服装をSNSで投稿していた。いざLIVEと単純に意気込んでの行為であったが、この投稿が筆者をまだ見ぬBUSRERSへと導く事となる。

最初は物販列であった。デカデカと掲げられたthe pillowsのお三方の写真と物販の商品ラインナップに財布の紐捨て去った後、物販列の傍らで宝物たちを鞄に詰めていると、「あの、もしかして、入川 枕さんですか?」と声を掛けられた。筆者はビックリして振り返った。隠していた訳では無いが、「入川 枕」の名前で呼ばれたのは初めてだった、緊張すら覚えた。振り返った先には襟シャツのよく似合うBUSRERSがいらっしゃった。恐る恐るお話を聞くと、先の投稿を見て声を掛けてくれたとの事。Twitterのアカウントを見せてもらうと、以前に入川 枕のアカウントでお話させて頂いた物書きBUSRERSだった。筆者はここでもう一度ビックリした。

次は物販を満喫して、一度会場外に出て間も無くだった。荷物を整理して立ち上がったところ、「おぁーーーー!」と満面の笑みで手を広げて近づいてくる髪型のキマッたBUSRERSに遭遇する。迫りくる最中に記憶を振り返るも初対面である事は間違いなさそうであった。Twitterのお名前を聞くと、何と同郷岐阜県のBUSTERSであった。お嫁さんと愛らしいベイビーもご一緒だった。やはり投稿を見て発見してくれたらしい。因みにこのステキなご夫婦とは終演後と翌年の柳ケ瀬antsで再会する。

その後もDIAMOND HALLの階段の踊り場で出会ったBUSTERS、Zepp Tokyo前にカラオケに誘ってくれたBUSTERS、初めましてのBUSTERS、オレンジのつなぎと1つの投稿のお陰で予期していなかった巡り合わせが向こうからやって来た。本来の目的とは全く違う効力を発揮した一張羅は今でも大切に保管している。

集いしBUSRERS、オレンジのもとに

約束を果たし、物販と言う名の関所でお金を納めた筆者はホテルに戦利品を置いた後、会場周辺を徘徊していた。BUSTERSとの遭遇を狙ってもいたが、終演後の集合場所を探す目的もあった。探索の結果、集合場所は正面入り口横のセブンイレブンに決定した。DMのグループで写真を送り、しばし足を止める。

コンビニで水を買い、短い軒下で小雨をやり過ごしている最中ですら多くのBUSTERSと言葉を交わした。写真を送ったDMのグループに参加してくれているBUSTERSが集合場所の事前確認に集まってくれたのだ。「また横アリで。」と交わしたBUSRERS、初めましてのBUSRERS、遠征先でお会いしたBUSRERS、皆一様に表情が高揚していたのを昨日の事のように思い出す事が出来る。各々タオルやリストバンドを掲げて横浜アリーナを背に記念写真を撮ったりもした。これから始まる新たな記念日に横浜アリーナはBUSTERSの熱と期待に完全包囲されていたのであった。交わす言葉も集うBUSTERSも尽きぬ中、日が暮れ始めた空にいよいよ開場のアナウンスが轟いた。

余韻に任せよ後夜祭

全国各地を飛び回ったお陰でLIVEハウスにようやく慣れてきた筆者だったが、横浜アリーナへの入場は緊張すら覚えた。チケットの有無はショルダーバッグのファスナーが千切れそうになる程しただろう。会場の景色は壮観であった。正面には半円状に降りた深紅の幕とそれに映えるthe pillowsの巨大看板、そして何より会場を埋め尽くす全国から集ったBUSTERS、あの景色は大袈裟でも何でもなく生涯忘れる事は無いだろう。因みに筆者はアナザーモーニングで涙腺が崩壊した。読者のBUSTERSは如何だっただろうか?オープニングムービーで涙したBUSRERSも少なくないと聞く。

さて、ここでオレンジのつなぎの種明かしといこう。LIVE自体の感想を述べるのは今マガジンの趣旨から逸れるので、テンポよく行かして頂く事とする。発端は2人のBUSRERSとの飲み会だった。「王様になれ」がシネマート新宿で公開された折、筆者は遠路はるばる東京までやって来ていた。上映後に憧れのBar OiRANで映画とのコラボカクテルを全種類制覇したりしていた最中、横浜アリーナでのLIVE後も飲みたい、という話が持ち上がったのだ。最初は3人でシッポリ飲もうかと話していたが、映画の余韻と酔いで話は盛り上がり、折角ならTwitterで同士を募ろうという話に発展した次第である。この時点では3人ともが「4~5人くらいで集まる事になればいいな」くらいに思っていた。しかし、いざTwitterで告知をしてみると、何と15人を超えるBUSRERSが集まる事になったではないか、一大事である。
こうして予期せぬ大所帯となったBUSTERSを円滑にご案内するべく、筆者は未だかつてない大きな会場で自分を直ぐに見つけてもらえるよう、オレンジのつなぎに袖を通した訳である。

かくして全身オレンジの筆者は、終演後のセブンイレブンでお手製のプラカードまで掲げてBUSTERSの集合を待った。Twitterでも殆ど初めましてのBUSTERSもいらしたので、正直に言ってしまうと、LIVE前より緊張していた。心落ち着く間も無く、続々とBUSRERSが到着する。いざ集うと緊張している暇など無かった。瞬く間に大きくなる輪の中で言葉たちは止め処なく溢れていった。今宵を共にしたBUSRERS、それだけで今は十分であるように思われた。オレンジのつなぎ効果で滞りなく全員が集まったBUSTERSは夜の横浜の街へと繰り出すのである。

当然だが、BUSTERSの集いは乾杯から始まった。田舎者の筆者に横浜の居酒屋の情報などある筈も無く、お店の予約は共に幹事をしてくれた関東在住のBUSTERSがしてくれていた。店に先頭で入ると、店内ではthe pillowsの曲が流れているではないか。予約してくれたBUSTERS曰く、横浜アリーナでLIVEがある際はこうした粋な計らいがあるのだとか。一緒に入ったBUSTERSもこれには大いに盛り上がった。席に案内されて飲み物が届いた後、僭越ながらご挨拶をさせて頂き、ビールジョッキをぶつけ合った。BUSTERSのBUSTERSによるthe pillowsに勝手に捧ぐ夜遊びの始まりである。
飲み会は何の変哲もない内容だった。今になって振り返ると申し訳ない程に…。途中にイベントがある訳でもなく、締めのデザートに凄いモノが出てくる事も無く、只々LIVEの後にBUSTERSが集まって飲んでいるだけ。だが、誠に勝手ながら、筆者はそれが心地よかった。お手製のイラストを頂いたり、壁越しのBUSTERSと店内に流れる曲を合唱したり…、集まっただけで楽しい事は生まれ、グラスは運ばれて来るや否や空になっていった。the pillowsのお陰で我々は出会い、疲れも眠気も忘れている、それは尊い事なのだろうと火照った頭でそんな事を思った。
当日参加してくれたBUSTERSが自分と同じような気持ちを抱いてくれていたら、こんなに嬉しいことはない。

楽しい時間は本当にあっという間に過ぎ、店員さんに集合写真を撮ってもらって我々は店をあとにした。しかし、勿論これで終わる筈はない。横浜アリーナで当てられた熱が数時間で引くだろうか、いや、引く訳があるまい。当日の参加者が固まった時点で夜通し飲み明かす事は確定していたのである。その為、事前に2次会の場所もキッチリカッチリ押さえてあったのだ。1次会で帰路に就くBUSTERSを全員で見送り、我々は2次会の場所へと向かった。

大方の予想通り、我々はカラオケへと足取り軽く向かった。しかし、ここで事件が発生する。BUSTERSを先頭を歩いていた筆者であったが、あろうことか、目指していたカラオケ店の姉妹店に行きついてしまったのである。「やってしまった…。」焦った矢先、受付近くの部屋のドアが開け放たれる。中から溢れてきたのはthe pillowsとBUSTERSの賑やかな声だった。何と間違えて入ったカラオケにいたのは開演前にお会いした岐阜県BUSTERSのご夫婦とそのご一行だったのである。「おぁーーーー!」と再び迫ってくる髪型のキマッたBUSRERSにハグで応戦したのは新潟県は佐渡島からお越しのお姉さんBUSTERSだった。幹事の不手際さえもBUSTERSのご縁を結ぶご都合主義な夜は更に深く深くなっていく。まるで夜が伸びていくようであった。

熱い抱擁が交わされた後、我々の一行は無事に本来の目的地であったカラオケに辿り着くことが出来た。何度目か分からない乾杯が交わされ、デンモクはお隣りへお隣りへと回され、採点なんぞ割り込む間も無く次々とthe pillowsの曲たちが流れ続けた。筆者は勿論Locomotion, more! more!を歌い、カウントダウンが完璧に揃っていた。

途中でホテルに戻るBUSTERSを見送りながら後夜祭は続く。夢の世界へ誘われたBUSTERSもいた気がする。こうなってくると、後は歌える人が歌えるだけ歌うにシフトしてく。参加した全員で一夜を紡いで、横浜はとうとう朝を迎えたのである。

店を出て、最後まで残ったBUSTERSで写真を撮った。全員が体力と気力を使い果たした顔をしている。全く名残惜しくないやり切った別れを告げ、待ちわびた夜が過ぎ去った朝にホテルのフカフカベットで眠りについた。

After broadcasting

さて思い出したように始まった宿題、9ヶ月目にしてようやく今それらを結ばんとしている。
コロナ、音楽の話をする時に何かと付きまとうようになった3文字は筆者の宿題を現状の悲観に見せてしまうのかも知れない。マスクで口は塞がれドリンクチケットは全年齢向けになり、推しを担がせて頂く事も出来ない。嘆く理由を探すのに苦労しないだろうが、the pillowsは今も響いている音楽は転がり続けている。
失くしたモノは確かにあるのだろうが、依然として持っているモノも確かにある筈だ、これから巡り会うモノもきっと。自分が持っているものを確かめてみたかった、これからに会いに行く為に。

歩んでいくその先でBUSTERSとまた足跡が重なる日を筆者は楽しみにしている。

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