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平和を望んだ情熱の彫刻家 本郷新

日本最北端の街・稚内。
1963年(昭和38)市街を見下ろす丘の上に、戦前、日本から樺太(現 サハリン)へ渡り、終戦後、肉親を亡くしたり、生活を失い樺太から引き揚げざるをえなかった人々のために樺太慰霊碑として『氷雪の門』が建立されました。

現在、『氷雪の門』は、稚内の観光スポットとして宗谷岬と並び多くの人々が訪れます。
しかし、その制作者の名前を知る人は、あまり多くありません。
私もその一人でした。

しかし、稚内へUターンした25年前、観光に携わるようになり彫刻家『本郷 新(しん)』の名前を知ります。

本郷新は、札幌出身で彼の死後1981年(昭和56)6月に「本郷新記念札幌彫刻美術館」が開館されています。
美術館では、1999年(平成11)より『サンクスデー』が毎年イベント開催されています。美術館をより身近に感じてもらうことが目的です。

先日、私は、同イベントに参加するために初めて美術館を訪れ本郷新の作品に触れてきました。

『サンクスデー』チラシ

今回は、彼のプロフィールとその作品群の一部をご紹介します。

私は、札幌や稚内、函館、広島などで知らずのうちに、彼の作品を目にしていたことや身近な存在だったことに驚きました。


本郷新(1905年/明治38〜1980年/昭和55)

本郷新(Hongo  Shin)1905〜1980

本郷新は、1905年(明治38)札幌で生まれます。
小学生の時、近くに良質な粘土があって彫刻に興味を持つようになります。
札幌二中(現 札幌西高校)と北海中学(現 北海高校)で学び、油絵を描いていましたが、1925年(大正14)に上京し、東京高等工芸学校(現 千葉大学工学部)彫刻科に入学し彫刻を学びます。

本郷は、東京芸術大学への入学を希望していたが、叶わなかったのです。それが、以後、コンプレックスとなっていきます。

卒業前後に高村光太郎に師事、ミケランジェロやロダン、プールデルの影響を受けます。

本郷の作品は、人が本来そなえ持つ優しさ、悲しみ、それらに裏打ちされた逞しさが力強さをもった人体像によって表現されているといわれています。

彼は、太平洋戦争後の1948年(昭和23)、日本共産党に入党します。

その後、本郷は、美術の民主化に努めるとともに造形力と社会性を特徴とする旺盛な製作力を示し、1950年以降、野外彫刻に積極的に取り組むようになります(全国80ヶ所あまりに設置されている)。

1950年(昭和25)、彼の最初の野外彫刻「汀のヴィーナス」が上野駅(東京)に設置されます。
これは、日本初となる公共の場に置かれた裸婦像となりました。

本郷の作品は、その公共性から彫像を破壊される事件に遭っています。

1953年(昭和28)、立命館大学に設置された「わだつみ像」が全共闘によって破壊されます。また、旭川市常磐公園に設置された「風雪の群像」が、アイヌの描写について論争となり、1972年(昭和47)、東アジア反日武装戦線の前身グループにより爆破されています。

しかし、本郷の作品は、今もなお平和の大切さや命の尊さといった普遍的なメッセージを私たちに発信し続けているのではないでしょうか。

稚内市

『氷雪の門』

1963年(昭和38)8月20日、稚内公園(稚内市)に樺太慰霊碑として『氷雪の門』が設置されます。

本郷は、日本から樺太に渡り、戦後、無念さを抱きながら稚内へ戻ってきた人々の思いを作品に託しました。

「氷雪の門」は、高さ8mの望郷の門と高さ2.4mの女性像からなります。
顔は、戦争で受けた苦しみを、手のひらを見せているのは、樺太も家族も失ったことを、足は、その悲しみや苦しさから早く立ち上がることを表現しているといわれています。
像と台座、門の三つが一体となって環境に調和しています。

「氷雪の門」は、芸術性が高く、本郷新の代表作の一つとして知られています。

ここでは、毎年8月に慰霊祭「氷雪の門・九人の乙女の碑平和祈念祭」が実施されています。

本郷新は、『氷雪の門』について次のように述べています。
「全てを失った人々の天への祈りであり、哀訴でもある。そして、逞しい再生への誓いである」

昭和30年代後半、開設まもない『氷雪の門』と稚内市街地
現在の『氷雪の門』(稚内公園/稚内市)
樺太慰霊碑『氷雪の門』の石膏原型(本郷新記念札幌彫刻美術館/札幌市)

『九人の乙女の碑』

「氷雪の門」のすぐ近くにある慰霊碑。

1945年(昭和20)8月15日、終戦を迎えたにもかかわらず参戦したソ連軍の攻撃を受けた真岡郵便局(現 サハリン・ホルムスク市)の電話交換手9人の女性が、最後まで自分の仕事をまっとうして職場を守り、自決した彼女たちの死を悼み、戦争の悲劇を後世に伝えるために本郷新によって制作されました。彼は、慰霊碑に交換手姿の乙女の肖像レリーフを埋め込みました。

そして、レリーフの横に「皆さん これが最後です さよなら さよなら」と乙女の一人の最後の言葉が刻み込まれています。

慰霊碑は、「氷雪の門」と同じく1963年(昭和38)8月20日に設置されています。その日は、乙女たちの命日でもありました。

『九人の乙女の碑』(稚内公園/稚内市)
日本時代の真岡郵便局(現 ホルムスク市)現在は、解体され跡地にはビルが建っている

札幌市

本郷新の出身地である札幌市内にも彼の作品が設置されています。

私は、毎日ように彫像の近くを歩いていましたが、彼の作品だとは気がついていませんでした。札幌を訪れる観光客も同じでしょう。

『泉の像』

札幌市民の憩いの場である大通公園西3丁目にある『泉の像』。

公園を訪れる観光客は、伸びやかにポーズをとる3人の踊り子のブロンズ像近くにある大通公園のプレートとテレビ塔を背景に記念写真を撮っています。

この像は、公園に何か胸像でも作りたいという元ニッカウヰスキー会長の竹鶴正孝氏が発案し本郷が、ウイスキーと関係ないものをという条件を出して製作され竹鶴氏が寄贈したもの。
当時、ほとんど彫刻がなかった大通公園にこの像が置かれました。

本郷は、この作品について「踊り子が先にあったのではなく、地下から天空を支え、雲や風と遊ばせたかった。雨や雪を呼びたかった」と語っています。

また、彼は、「彫刻は、個人の応接間を飾るものではなく、公共的な広場で社会的空間の中で生きるものこそ本当の彫刻のあり方である」とも語っています。1959年(昭和34)に設置。

テレビ塔と噴水(1962年/昭和37設置された公園初の噴水)をバックに立つ『泉の像』は、本郷の彫刻の理想の形を追い求めた思いと、それを理解して支援した竹鶴氏の思いを今に伝えています
本郷は、ヨーロッパの広場に見られるような、芸術的にも美しい様々な彫刻をイメージしました。『泉の像』は、「前からそこに在った、今も在り、明日もそこに在り続ける」という彫刻の永遠性を強く意識した作品です
『泉の像』石膏原型(本郷新記念札幌彫刻美術館/札幌市)

『牧歌』

「牧歌」は、北海道の象徴としてポプラの若木、トウモロコシ、スズランを持った3人の女性、子羊を抱いて立つ男性、角笛を吹く男性という5基の等身大の像で構成されています。

1960年(昭和35)に札幌駅が新築された際、駅前広場の整備の一環として『牧歌』が設置された。かつては、馬、牛、熊、カレイ、鮭、麦、リンゴなどをかたどった壁面レリーフがあったが、1969年(昭和44)の工事の際に撤去されている
『牧歌』は、当初、駅舎に向かって左寄りにあり、現在とは180度反対の駅前通り側を向いていたが、1999年(平成11)の南口再開発の際に現在のJR札幌駅南口正面に位置に移動された

『北の母子像』

「北の母子像」は、本郷新が、1978年(昭和53)に北海道文化賞を受賞した際、北海道に寄贈されました。

彼は、「北海道に生まれ、こよなく故郷を愛し続けている私にとって、どんな賞よりも貴重で、嬉しい賞です。このお礼として、限りない母子像の愛情を表現した私の作品を感謝として北海道に寄贈し、道民の皆さんに親しんでいただきたい」と語っています。

『北の母子像』の製作年は、1978年(昭和53)。道庁北側前庭に設置され除幕式が行われたのは、本郷が、2月13日に亡くなって3ヶ月後の1980年(昭和55)5月12日でした。この作品は、道庁前庭に設置された最初の彫刻となりました
『北の母子像』について、本郷は、「愛のかたちの追求」であり、「彫刻家にとって永遠のテーマであると」と語っています

『三人の像“Lesson“』

『三人の像』は、1976年(昭和51)に札幌グランドホテル新館オープンに合わせて1階フロアのコーヒーラウンジの入り口に設置されました。本郷が71歳の時の作品です。三人の踊り子が舞台に上る緊張の一瞬を造形化したものといわれています。2013年(平成25)6月、改修工事のため北側入口に移転されました

札幌市内には、この他に『雪華の像』(真駒内公園内)や『花束(一対)』(札幌市南区真駒内・五輪大橋東端側)があります。

◼️本郷新記念札幌彫刻美術館(本館・記念館)

1980年(昭和55)本郷新が死去します。死後、彼が生前より進めていた財団設立構想をもとに、コレクションと宮の森のアトリエが札幌市に寄贈され、『本郷新記念札幌彫刻美術館』となります。

美術館に設置されている作品の一部を紹介します。

『ライラック像のトルソー』

像は、札幌市中央区にある北海道銀行本店落成記念として1964年(昭和39)に設置されました。

いまにも台座から下りて歩み出しそうな作品です。踏み出した左足が動的な印象を与えます。指先からつま先まで伸びやかで緊張感のあるフォルムは、理想化された女性の美を示しています。

この像は、頭部と腕のない胴の部分、ゆなわちトルソーが設置されています。全身像よりも、顔や腕などを省略することで、より一層、人体の美しさが強調されている作品です。

1964年(昭和39)制作(本郷新記念札幌彫刻美術館・本館)

『堰』

1957年(昭和32)制作(本郷新記念札幌彫刻美術館・本館)

『横たわるトルソー』(風雪の群像部分)

1970年(昭和45)制作(本郷新記念札幌彫刻美術館・本館)

『砂』

1957年(昭和32)制作(本郷新記念札幌彫刻美術館・本館) こぼれ落ちる砂が見えるような作品

『わだつみのこえ 戦没学生記念像』

像のモデルは、輝くばかりの肉体を持った青年。「わだつみのこえ像」は、学徒出陣により無念の死を遂げた若者の本来あるべき姿を表現しています。

制作依頼を受けた本郷(当時44歳)は、のちに「私は、この像を作るのに平和への祈りを込めた。反戦、平和の象徴としてこの像をみてもらえればいい」と語っています。

像は、1950年(昭和25)8月に完成、11月には東大構内に建立される予定でしたが、大学当局の許可が下りませんでした。

その後、1953年(昭和28)立命館大学構内に設置されます。現在は、同大学国際平和ミュージアムで見ることができます。

美術館の「わだつみのこえ 戦没学生記念像」は、北大構内に設置するために鋳造されましたが、北大の許可が下りぬまま、本郷新の小樽春香山アトリエで仮の除幕式が行われます。1981年(昭和56)美術館が開館される際に寄託されました。

1950年(昭和25)制作(本郷新記念札幌彫刻美術館・本館)

『打つ』

1976年(昭和51)制作(石膏/本郷新記念札幌彫刻美術館・記念館)

『男のトルソー 風雪の群像部分』

トルソーとは、人間の頭部や両腕、両脚、あるいは、その一部を除いた人体モデルで彫刻の題材として用いられています。

1970年(昭和45)制作(本郷新記念札幌彫刻美術館・記念館) いまにも走り出しそうである
1970年(昭和45)制作(本郷新記念札幌彫刻美術館・記念館)

『鳥の碑』

本郷新は、1962年(昭和37)、暴れる鶏を抱える生き生きとして少女を見た幼少期の記憶をもとに<鳥を抱く女>シリーズに着手します。

以後、5年間に14点の<鳥を抱く女>を制作します。『鳥の碑』は、そのシリーズのひとつとして1963年(昭和38)にコンクリートで制作されたものです。

1963年(昭和38)制作(本郷新記念札幌彫刻美術館・記念館)

『飛天』

1961年(昭和36)制作(本郷新記念札幌彫刻美術館・記念館)

『裸婦』

1958年(昭和33)制作(本郷新記念札幌彫刻美術館・本館)

『奏でる乙女』

美術館へ向かう坂道の中ほどの木陰の下に『奏でる乙女』の像が置かれています。美術館周辺が「彫刻の庭」として整備された1989年(昭和64)に移動しました。

微笑みをたたえた少女が、自然に恵まれた宮の森にあって、野鳥のさえずりの伴奏に合わせて清らかなメロディーを奏でるかのようにたたずんでいます。

1954年(昭和29)制作

函館市

『石川啄木像』

石川啄木は、「死ぬ時は、函館で死にたい」と手紙を残すほど函館を愛していました。そして、啄木ゆかりの物がないのは、いかにも残念と思う人々が、詩にも歌われている函館の砂山付近に啄木像を設置しようと考えました。

それを知った本郷は、啄木像制作は、自分の夢の実現でもあるとして、ブロンズの材料費だけで制作を申し出ます。

制作から半年ほどで原型が完成すると、1958年(昭和33)10月18日、啄木一族の墓のある函館山の南東に位置する立待岬を遠望できる大森浜に『石川啄木像』が除幕されました。

1958年(昭和33)制作(函館市)

広島市

『嵐の中の母子像』

どのような苦難にあっても我が子を守る母の強さ、逞しさが見る人に強い印象を与える「嵐の中の母子像」は、1953年(昭和28)、本郷が47歳の時に制作した作品です。

完成した作品は、1953年秋の新制作協会展に出品されます。その後、第5回原水爆禁止世界大会広島大会を記念して「嵐の中の母子像」の石膏像が広島市に日本原水協を通じて寄贈されました。

石膏像は、婦人団体が募金活動をして鋳造費を集め、制作してから7年後、広島市民からの熱い思いが実り1960年(昭和35)、広島市平和記念公園に設置されたのです。

本郷新記念札幌彫刻美術館・記念館
高さ1.5mのブロンズ像「嵐の中の母子像」。同じ像は、札幌市(本郷新記念札幌彫刻美術館)、北海道長万部、鹿児島市でも展示されています。

本郷新記念札幌彫刻美術館

本郷新記念札幌彫刻美術館・本館
本郷新記念札幌彫刻美術館・記念館


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