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不安や苦しみから救ってくれるのは、いつも義母だった

義母が亡くなって6年が経った。
法要でいうと7回忌だ。

6年前の7月に義母は倒れ、そのまま意識が戻ることなく1週間後に亡くなった。

義母が倒れる前、私は義母から電話をもらっていた。いつもメールや手紙でのやり取りだったので、電話をもらったのはこの時が最初だ。

私との電話をきり、5分ほど経ったあとに義母は倒れたようだ。家にいた義父はちょうどお風呂に入っていて、義妹はまだ帰宅していなかった。

あのとき私にもっと何かできなかったのか、その疑問は今でもまだ解決していない。

初めてもらう電話に、あんなに胸がざわついていたのに。横にいる夫に電話を替わろうか、何度もためらったのに。義母の最後の声を聞いたのが私でよかったのか?

色んな思いが私を苦しめる。あの電話が最後だと、どうして気づけなかったのだろう。

電話をきるときの義母から、ちょっと微笑んでいる様子が伝わってきたのがそんな私の気持ちを少し救ってくれる。

思えば義母はいつも私の不安や苦しみを救ってくれた。

初めて会ったのは、夫との結婚が決まってからの顔合わせの場だった。私は夫より3つ年上で、しかもすでに30代半ばだった。たとえ口には出さなくても敬遠されるだろう、反対されるだろうと不安は大きかった。

しかし、その不安はすぐに払しょくされる。
「顔の周りがキラキラと光っていて、天使かと思った」顔合わせが終わった後に義母が夫に送った私への感想である。

私の後ろに大きな窓があってきれいな夜景が臨めたこと、少しでも清楚に見えるよう私が白いワンピースを着ていたこと、その相乗効果により引き起こされたキラキラの光と天使像でしかないので、この義母の私への感想には大きな勘違いがあるのだけれど、続けて義母はこうも言ってくれたようだ。

「逃げられないように、しっかり大事にしないと」

この言葉で私は救われた。大事な息子の妻として、自分の家族として義母に歓迎してもらえたのだと。

結婚してからもまだまだ不安はつづく。
いわゆる「子どもはまだか?」問題である。

結婚した時点で、すでに私は焦らなければいけない年齢だ。同じ時期に結婚した知人は私より若いにも関わらず、義母に子どもはまだかと言われるとぼやいていた。

子どもが欲しいという気持ちはあった。
でも、子どもに恵まれなかった。

悪気なく「子どもは?」と言ってくる周囲には、苦笑を浮かべて「いや、まだで」とは言うものの、やはり内心は穏やかではない。

義母に同じようなことを言われたら、私はどう返事を返せばいいのだろう?その一言は、きっと他の誰に言われるより私の心に突き刺さり、私を苦しめるだろう。

しかし、義母がそういうことを言ってくることは一度もなかった。そればかりか、そういう気配さえも感じることはなかった。

自分の子ども達のことが大好きな義母だから、孫をみたい気持ちも もちろんあっただろうし、その気持ちはむしろ大きかったのではないかと思う。

でもそんな自分の気持ちよりも前に、自分の子どもやその妻が幸せならばそれでいい、そんな気持ちを優先してくれる義母だった。

「子どもは?」の一言は、義母に言われるのが一番つらく悲しい言葉だったと思うから、義母がその言葉を口に出さず、気配さえ微塵も感じさせないでいてくれたことは本当に救いだった。

義母との関係につき、仲がよかったのか?と問われたら、そうではないのかもしれない。

でも決して仲が悪いということはなかった。
二人で一緒にご飯を食べに行ったり買い物に行ったり、そんなことは一度もなかったけれど、私は義母が大好きだった。

こういうと、いい妻ぶっていると思われるだろう。でも私が義母を大好きなのは、私の人柄によるものではなく義母の人柄によるものである。

正直、私は気が強い。年齢と共に随分と抑えられるようにはなってきたが、嚙まれたら噛み返す、売られたケンカは買ってやるぜ、というような困った一面を持っている。

だからちょっとでも嫌味を言ってきたりする義母だったら、きっと噛み返して対立していただろうし、義母の悪口や愚痴をあちこちでこぼしていたことだろう。

だが、義母はいつも温かく優しかった。

義母の温かさと優しさを思うとき、いつも春の陽だまりが思い浮かぶ。まだちょっと空気は肌寒いけれど、陽だまりのところはぽかぽかと温かい。陽が優しく包み込んでくれて、安心してつい、うとうと寝入ってしまう。義母はそんな温かさと優しさを持った人だった。

そんなに遠くない距離に住む義母と会うのは、大体お正月の年1回だけ。何かを送るときに一緒に入れる手紙のやり取りや、頻繁ではないけれど送り合うメール。

その程度の関係かと言われればそれまでだが、義母と私がいい関係を築くのにはそれがちょうどいい距離だったのだと思う。

そんなやり取りの中でも十分に義母の人柄は私に伝わってきたし、私をいつも温かく優しく包み込んでくれた。

私が送るメールや手紙は大概、夫のことだ。夫の活躍を報告したり、夫の元気な様子の写真を送ったりする。

これに対し、義母が送ってくれるメールや手紙には、私が照れてしまうほどの嬉しい言葉や、有難くて恐縮するほどの私への感謝の言葉が綴られていた。

「息子にはたくさん親孝行をしてもらいましたが、親孝行の仕上げはすばらしいお嫁さんでした」

「息子の奥さんが〇〇さんで本当に良かった!!神様と〇〇さん そして息子にも いつも感謝です!」

私こそ、私こそです、お義母さん。

他の誰でもなくお義母さんが義母で本当によかった。もし義母と息子の妻という関係ではなく、例えば職場の先輩・後輩という関係であったり、近所の人だったり、はたまた年齢差のない同級生として出会っていたとしても、きっと私は義母を好きになっていたと思う。

義母だからという理由ではなく、人として私は義母が大好きだった。
 
いっぱい いっぱいよくして頂いたから、将来お義母さんに介護が必要になったときには私が介護をしよう。

そんなことをのんきに考えていた。
それでは遅いのに。そんな日は来ないのに。

親孝行 したいときに親はなし
そうならないようにきちんと介護をしよう、そんな風に考えていた私は本当に能天気でバカだった。

もっとお義母さんにできることがあった。
もっとお義母さんに感謝を伝えたかった。
こんなにもよくしてもらったのに、何も返せなかった。

そんな後悔ばかりの気持ちを救ってくれるのも、やっぱり義母だ。

「二人が仲良しで幸せなら、それが何よりの親孝行です」

義母がくれた手紙に書かれていた言葉である。
これなら今からでもたくさん親孝行ができる。

義母はどこまでも完璧すぎる。

お義母さん
いつも いつもありがとうございます。
今でも変わらず、大好きです。
たまらなく会いたくなるくらいに。

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