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失われた誕生日を高級ホテルのモーニングで取り戻す

誕生日にコロナになった。回復し外出自粛期間も終えたら、たまった仕事に追われる日々。気がついたら、誕生日からもう10日以上経っていた。

誕生日を祝ってもらいたい年齢でもないしと、元々思っていた。10日以上も経ったらなおさら、今さら誕生日はどうでもいいやと過ごしていたのだが、どうもスッキリしない。

なんかこう、自分の誕生日だけがブラックホールにのみ込まれて消え失せてしまったような。誕生日の1日だけどこかに消え失せてしまったのに、誰もそれに気づかずいつも通りの日常を過ごしていて、私もしっかり1つ歳を重ねているような。

なんだろう。2月29日生まれの人は、いつもこんな気持ちを抱えているのだろうか。そんなもやもやした気持ちを抱えて過ごすうちに、なんとなく原因がわかった。

どうやら私は、元旦におせちを食べて年が明けたことを実感するように、誕生日に普段とは違うちょっと豪華な食事をして1つ歳を重ねたことを実感するようだ。

よし。何かおいしいものを食べに行こう。今さらではあるが、失われた誕生日を取り戻すのだ。

そう思って私が選んだのが、高級ホテルのモーニング。朝からゆっくり優雅に過ごし、1日を しいては新しい歳を始めたかった。

モーニングとはいえ、高級ホテル。ネックレスをつけ、きれいめの服を着て、普段はしないメイクもした。

よし、これなら大丈夫!と挑んだのだが、ホテルのエレベーターを降りたら、足が埋もれてしまいそうな ふかふかなカーペットが待ち構えている。フロントのスタッフさんが、おはようございますとお出迎えもしてくれる。

ちょっと緊張してきた。果たして本当に大丈夫だろうか?

モーニングだからと思っていたが、思いのほか敷居が高く感じる。レストランに入ると、二十代後半くらいのキリリとしたスタッフさんが爽やかに対応し、席に案内してくれる。座るときにはイスを引いてのエスコート付きだ。

メニューの説明の後、「本日はお誕生日でご利用いただいたと伺っております」と言われた。
そういえば、予約をする際に利用目的を選ぶ項目があった。単なるアンケートかと思っていたが、スタッフさんに共有されているようだ。

「宜しければお祝いに、スパークリングワインをプレゼントさせて頂きたいのですが」

えっ、なんですと?
そんな素敵なプレゼントが!?
でもまだ朝だし、私はお酒に弱い。スパークリングなんて飲んだら、へべれけになりすぎて、モーニングを楽しむどころではなくなるだろう。

返事をためらう私の心を、スタッフさんはすかさず読み取ってくれた。

「ノンアルコールのスパークリングワインもございます」

さすがは一流ホテルだ。プレゼントの用意もすばらしいし、こちらの気持をとっさに汲み取り判断する気配りもすばらしい。

お言葉に甘え、ノンアルコールスパークリングを頂くことにした。メニューをゆっくり眺める。メインの卵料理が10種類もあって、そのうちの1種類を選べる。メイン以外はブッフェスタイルだ。

うーん、悩ましい。シンプルなオムレツか、フレンチトーストか、エッグベネディクトか。3種類まで絞り込んだあと、オムレツに決めた。一流のシェフが作るオムレツ。私が作るオムレツとどれだけ違うのかを味わってみたいと思ったのだ。

さて、それではまずはサラダでも食べようか。
ブッフェスペースへ移動する。手前がサラダで、奥がパンやスープ、ベーコン等が並んでいるようだ。

ぐるりと全体を見てまわってからどれを食べるか決めようかと思ったが、それはマナー違反なのだろうか?お作法が分からない。とりあえずサラダだけを盛り付け席に戻ると、ちょうどスパークリングワインを注ぎに来てくれた。

私が席に戻るのを待って、来てくれたのだろう。先ほどとは違う若いスタッフさんで、なんだかちょっと緊張した面持ちだ。もしかしたら今年入社とかで接客にまだそこまで慣れていないのかもしれない。

グラスにスパークリングワインを注ぎだすと、ポタポタっと瓶から滴るしずくが。
「失礼いたしました」
いったん注ぐ手を止め、注ぎ直すがやはりポタポタとしずくが滴り落ちる。だが、どうやらこのまま注ぎ切ろうと決心したようだ。今度は手が止まらない。

滴るしずくをじっと見つめているのも気まずいので、窓の外に目をやり、気にしていない風を装うことにした。

しかし心のうちは滴るしずくのことでいっぱいである。この後このしずくはどうなるのだろう?ナプキンを取りに いったん厨房に戻るとしたら、それまで飲まずに待っていた方がいいだろうか?

そんな考えを巡らせていたら、注ぎ終わったようだ。どうする?どうする?と外に目をやったまま動向を伺っていると、どうやら腰辺りにナプキンを忍ばせていたようで、目の端にさっと白いものが見えた。

おぉ、さすが。それでふき取るのね。
と思った瞬間、白いものがふわりと床に舞うのを目の端でとらえてしまった。

えぇ~!?どうするの!?やっぱり厨房に戻る?スパークリングはお預け?

心のうちは動揺しているが、何も気づかぬフリをして目は外に向けたまま動かさない。すると腰をかがめ さっと床からナプキンを拾い上げると、そっとテーブルのしずくをふき取る気配が。

うん、うん。それでいいよ。しずくは私が食事するテーブルの反対側で、おまけに端だもの。床に触れなかった部分でそっとふき取って構わないよ。

ふき終わった気配を感じたところで目をグラスに戻した。
「お誕生日おめでとうございます」
そっとささやいてくれた。これが思いのほか嬉しかった。

家族以外の人にお祝いを言われるのはいつ以来だろう?思いがけない言葉だったからか、じーんと心にしみて嬉しい。

スタッフさんが去るのを待って、スパークリングワインに口をつける。
おいしい!!
これまた思った以上においしい。ノンアルコールだから甘いかと思っていたが、スッキリとしている。炭酸が乾いたのどに心地よい刺激を与え、潤わせていく。

幸せだ。あぁ、誕生日を迎えたのだな。
そう感じだ。さぁ、食事も楽しもう。


サラダに手をつける。新鮮な野菜が身体をリフレッシュしていくようだ。サラダの上に載せた 刻んだナッツの食感もいい。

間にスパークリングワインを飲む。なんていい時間なのだ。至福のままサラダを食べ終え、残りのスパークリングワインを楽しみながら考えた。

サラダを取って戻ってきたタイミングで、スパークリングワインが運ばれてきた。
きっとサラダを食べ終わるタイミングを見計らって、メインを持ってきてくれるのだろう。やっぱり高級ホテルってすごいな。それならメインを食べてから、パンやスープを取りに行こう。

しかし、スパークリングワインを飲み終わろうとしているのに、なかなかメインが運ばれてこない。おかしいな。どうしよう。先にパンを取りに行こうか、でも席を外した時にちょうど運んできてくれたらタイミングが悪いしな。

そんなことを考えていたら、小さく声をかけられた。先ほど席まで案内してくれたスタッフさんだ。

「申し訳ございません。メインの確認をさせて頂けますか?」
メインの確認?どういうことだ?
「オムレツで宜しかったでしょうか?」
不思議顔なまま私がうなずくと、ちょっと安心した顔をして「ただいま調理しておりますので、もう少しお待ちください」そう言って立ち去っていった。

さて、ポツンと取り残された私は思う。
いや、絶対調理していないよね?オムレツってすぐできる料理だものね。
どうやらオーダーが入っていなかったようだ。

全員が一流のスタッフさんであることは入店してからずっと感じている。それにも関わらず小さな おやおや?が続くのは、もはや私側に原因があるのでは?

そこで、はたと思い立った。
これはまだ、私の不運が続いているのでは?
コロナ明けですっかり不運は過ぎ去ったものと思っていたが、きっとまだ続いているのだ。しかも他の人を巻き込んで。

なんてことだ。私の誕生日を祝ってくれたばかりに、恐らくは普段うまく注げるスパークリングワインが滴り続け、落とすはずのないナプキンが手から滑り落ち、入れたはずのオーダーが入っていなかったのだ。

そうこう思っているうちにメインが運ばれてきた。
「提供が大変遅くなってしまい、申し訳ございません」
申し訳なさそうに頭を下げてくれるスタッフさんに、いやいやいや、むしろ私の方こそ巻き込んでしまってごめんなさい、と恐縮してしまう。

しかし私の不運を長々説明するのもおかしいし、「いいえ」とほほ笑んで終わりにしてしまった。もはや私にできることといえば「全く気にしていないから、あなたも全く気にしないで」という態度をとるくらいしかない。

うん、気にせず食べよう。
目の前には、まっ黄色の美しいオムレツがある。よくテレビで見るように、横にナイフを
入れたら とろっとしたオムレツが広がりそうだ。


まずは何もつけずに食べてみよう。そっと端にナイフを入れ、口に運ぶ。

・・・うん、味がしないな。
食感はもちろん とろっとしているのだが、お店で食べるオムライスにのった卵も同じようにとろっとしているし、そんなに大差はないように感じてしまう。

つづいてソースをかけて食べてみることにする。大きめのマッシュルームがいくつか入っている。色からするとデミグラスソースだろうか?

一口食べて驚いた。
おいしい!!
いや、先ほど食べた一口と全然違う。同じものとは思えないほど、格段に美味しさがアップしている。ソースをかけてベストになるよう、オムレツの味を調整しているのだ。

とろっとした卵の食感に、濃厚なソースが絡みついていく。そこに大好きなマッシュルームのちょっとコリっとした食感と香りが追いかけてくる。

おいしすぎるし、幸せすぎる!!
せっかくなのでゆっくり味わいたいのだが、あまりにおいしすぎて、オムレツを口に運ぶ手が止まらない。

いや、おいしすぎる。一流シェフのオムレツは、こうも違うものなのか。さすがの味わいである。こんなにおいしいオムレツを食べたことがないし、もしかしたらこの先同じように おいしいオムレツにまた出会うことはあるかもしれないが、これを超えるオムレツはないのではないか?

そう思うほどにおいしい。不運も何も吹き飛ぶおいしさである。ご機嫌なままスープをのみ、パンを食べ、メロンやブドウまで楽しんだ。

こんな幸せな時間があるなんて。私の不運も、もう終了である。

高級ホテルのモーニング。お値段はやはり高いが、それなりの価値があるのだと知る。味はもちろん、優雅な時間に食べ終わった後もずっと続く幸福感と心のゆとり。1日を幸せに過ごしたい日の朝に、まさにぴったりだった。

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