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全裸監督 第16章 要約

タピオカヨシオ

第16章 4枚(村西とおるの息子がお受験で使った画用紙の枚数)

1994年(平成6年)、結婚した乃木真梨子との間に男児が誕生した。借金返済で最も過酷な時期ではあったが、私生活では最も幸福な時期でもあった。子どもが出来てからは、どんなに忙しくても毎週末は休みを取り、子どもと全力で遊んだ。昭和記念公園・代々木公園・明治神宮・新宿御苑を自分の庭だと思って遊び、近場では千葉の清水公園や伊豆諸島・八丈島で釣りに興じた。海も山も川も自然は親子の学習室だった。身の回りの物はすべて遊び道具に早変わりした。家に帰ると、薄い布団の中で親子3人、川の字になって寝た。そして、子どもが小学校に入る年齢になった時、妻の勧めで小学校受験に挑戦させることにした。その小学校は、全国トップクラスの秀才が集まる超有名校であり、小学校受験で最難関とされた。

試験当日、図画の試験。試験官が受験生たちに向かって、画用紙に課題の絵を描くように指示を出した。受験生たちは一人ずつ教室の前に行き、置かれた画用紙を1枚取ってくると、席にもどり描きだすのだが、村西とおるの息子は違った。画用紙を4枚取り、自分の机に縦横2枚ずつ4枚並べて一気に書き出した。子どもの発想のスケールの大きさに教官が関心したのも無理はない。次の面接試験でも個性的な受け応えで他を圧倒。面接官の手元には親の資料(父/草野博美、職業/映像会社経営。間違いではない)。「あなたは将来何になりたいですか?」という面接官の質問に「僕は…僕は……漁師になりたい」??

2001年早春、お受験界に衝撃が走った。最難関の名門私立小学校に合格した60名の男子に中に、AVの帝王と呼ばれ、借金50億を背負った男の息子が入ったのだから。しかもその母親は元AV女優。テレビ出演や教育本の出版企画の依頼が殺到したが、子どもで飯を食うつもりはないという信念から無言を押し通す。

借金返済は薄消しビデオ(無修正に限りなく近いアメリカ輸出向け裏ビデオ)の収入で、毎月30タイトル、2年間で700タイトル、毎月7,000万円を返済した。1996年には新しい録画ディスク(デジタル・ビデオ・ディスク=DVD)が登場し、村西も250分の長尺作品を撮り下ろしたりした。その作品「愛が泣いている さすらい」の挿入歌は、かつての紅白歌手にして殺人犯/克美しげる。村西とおるは脛にいくつも傷を持つ不遇な人間に手を差し伸べるところがあり、克美しげるもその一人。
★高槻彰(AV監督/1990年の傑作『竜介・トオル&ミミの特出し劇場』の監督。2001年から15年間、村西とおるを撮り続けた)とのエピソード。   ★イエローキャブ/野田社長(ラジオで「僕がいまあるのは村西とおるのおかげだ」と語り、それをたまたま聞いていた村西を勇気づけた)とのエピソード。

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