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いつだってリアルを求めている

こうして日記を書くのはいつぶりでしょうか。
2019年までは創作活動の傍ら、ライブだけでは伝わらないんじゃないかってこうしてよく自分の気持ちを投稿していた。今はもう全て過去の自分の思考に過ぎなくてもどかしくて非公開にしてしまったけれど、懐かしい感覚です。でもずっと投稿したかったnoteも活用したかったので気の向くままに書き連ねます。新しい文章の始まりはなんだかいつもこそばゆい。


ただいま、原宿のデザインフェスタギャラリーで、『平成レトロスペクティブ』という企画展にて、平成女児GAL友達のまーちゃろちゃんと写真展示をしています。
ユニット名は『アウフォト復刊委員会(無許可)』。〝アウフォト〟ってなんぞや????って思いますよね。
アウフォトとは、1997年から2001年にかけて新潮社で刊行されていた季節誌で、一般の人達の写真投稿雑誌のことです。
前にInstagramに載せた私が持ってるアウフォトの写真です↓
https://www.instagram.com/p/CI522QCgWlT/?utm_source=ig_web_copy_link

この雑誌はたまたま19、20歳の時帰省中に地元のBOOKOFFで見つけて以来自分の宝物となった雑誌です。10代の頃から90年代のカルチャーに興味があって暇さえあれば当時のことを検索してその時代に浸るのが趣味の1つでした。
この雑誌はなんというか衝撃で。今まで90年代のことを調べてもどこか遠いものというか、とはいえ確かに自分もギリギリ生まれてはいるのだけれど、雑誌や動画を観ても例えるなら歴史の教科書に載っている人。みたいな感覚で現実味がなかった。アウフォトには、私が憧れた時代に生活をしていた人々のリアルがそのまま映し出されていて、生きてるという感覚を実感させられた。ああ、生きてる。本の中から今にも笑い声が聞こえてきそう。とても生々しかった。
まだスマホもSNSもない時代の今で言うInstagramの先駆け。でも決定的に違うのは盛る文化がないこと。ありのままを映していること。カメラを向けられてもなんてことはない不意打ちの写真やポーズを撮っていても思いっきり笑っていたり、飾らないそのままの顔で映る。並んでアイスを食べてるところから中には自分の裸の写真を撮るという過激なものまで。
思えば当時は自分という存在を知らしめるツールが全くなかった。今でこそ当たり前のようにInstagramやTikTok、YouTubeなどをはじめ、自分を知ってもらうツールはどこにでもある。だけど当時はこうして雑誌に載ったり路上パフォーマンスしたりくらいでしか自分の存在を知らしめるものなんてなかったはずだから、自己顕示欲求は今よりも強く規制が今ほどない時代だからこそ過激な露出にも挑戦できたのかもしれない。私がカメラ屋さんで働いてたら現像チェックで写真を見て驚いて居ただろう。でも、決してエロがダメな訳ではなく立派な芸術だと思う。自分も女体のエロには芸術として惹かれるものがあるからアラーキーの撮った写真など見るの好き。自分や友達の体を見てはなんとも思わないけれど、作品としての女体は好き。性的な表現は美術や音楽でも芸術として美しい。(ただそう公言するとヤリモクというこわい人が集るのが嫌だから日常ではあまり言わないようにしている。)

話を戻して、あの時代と決定的に今が違うのは、盛る文化。盛る文化に慣れてしまっている私世代は、カメラを向けられれば当たり前のようにキメてしまう。自分の盛れる角度を意識したポージングはモデルでなくとも自然と身に付けている特技なのかもしれない。今回の撮影も盛らない、自然、失敗しても味を意識した。自然を意識って矛盾している表現だけど、私達は自然にしていると盛ってしまうから、無意識に。だから意識的に自然を装うしかなかった。もちろん加工は一切施さない、ありのままのレンズ越しの私達を残した。
盛る文化。それもあと20年経ったらレトロカルチャーの1つになるのだろうか。はたまたこのコロナ禍のマスク姿も、2040年くらいになったらこの時代を再現〜と真似をする人が現れるのだろうか。今はまだ分からないけれど、私は私の焦がれた90〜00時代初期の再現がしたくて、アウフォトを読んでからはよくフィルムカメラを持ち歩いて当時専門時代、仲良い子にこの雑誌を見せては真似しよう〜と学校やら休日出掛けた時に撮影大会をしていた。そんな写真は今でも見返すと愛おしくなる。
そう、今回の展示にあたって今までの写真とまーちゃろちゃんと撮影した写真を大量に現像したんだけど、スマホの中のカメラロールで気軽に見返せるのもいいけど、印刷して手に取るそれは尚良い。それだけで思い出がインクと共に色濃く写し出される気がした。温かみ、リアル、例えスマホで撮った写真でも現像するだけで随分違う。
そして、当時の文化としてポスカなどで写真に落書きしたりコラージュするのが流行っていた。私の作品は展示の上側のコラージュ中心のもので、まーちゃろちゃんのものは日記風に。互いに当時の雑誌を参考に書体も意識して制作。
ポスカでデコるとか久しぶり、本当中学生の頃にキャンパスノートにデコった以来なんじゃないかな。その行為自体が凄く懐かしい気持ちにさせてくれたし、何より急ピッチで制作したけどとても楽しかった!これに尽きる。
今の時代もこういうの流行ってほしい。
今の学生、これやったら絶対楽しいよ!思い出になるよ!
洋服もテーマを合わせて(今回の服装はナルミヤ全盛期のmezzo pianoやエンジェルブルー)平成の女児ファッション伏せをした。
学生時代教室にいたら絶対仲良くなってたと思う人と大人になってから仲良くなるとたまらなく嬉しい、皆教室に居たらいつメンになってたんだろなぁ。そんな出会いが学生終わってもあることは凄く幸せで、大人になってからの有限の時間を会いたい人、関わりたい人にしか使ってない今は昔より人間関係にこの上なく充実している。

90年代は完全にその時代に戻りたくなるとか、15年早く生まれてたらと嘆く気持ちにもなるけど、今の時代を愛していない訳ではなくて、令和もしっかり楽しんでいる。もっと若かった頃は斜に構え過ぎていてアニメも90年代やセル画しか勝たんと思っていた頃もあったけどちゃんと今は鬼滅も観るし深夜アニメもチェックする。何よりこの時代に生まれてなかったら今の大切な人間関係とは出会えて居ないのだから。きっと自分の都合よくその時代の好きをキリトリしているから憧れるんだと思う。都合よく当時を再現してアムラーファッション、コギャル、CUTIE系、女児など、そうやって当時生きてたらあの時代なんてGALと原宿が混ざり合うことないのに、今好きな時代のファッションになりきれるのは今だからできること。私にとってはコスプレの一環に過ぎないのかもしれない。アニメのコスプレも時々するけれど、抑えられなくなった変身願望を自分の中で満たしているだけ。だからコスプレイヤーと名乗るのはおこがましい気がして、今この時代に好きなことをやらなきゃという思いが強くなった末の変身願望を満たす好奇心旺盛な女の一つの趣味です。
あとは、人生の中で最大に行き詰まった17歳の時に、自分を守る為だと思うけれど人生で1番戻りたい時代を無意識に回想していたら幼き頃の記憶が蘇り、保育園時代のセーラームーン、どれみちゃんが大好きでおもちゃに囲まれ家庭の不和も感じてなかったあの頃がたまらなく恋しくなったのです。その高校生の時から懐かしいおもちゃ収集の趣味も始まった。私の心を満たす為だった。
今は気持ちも落ち着いていて、あの頃のようにすがるほどにハマっては居なくてただ好きで見てると幸せになれるから集めているし、純粋にあの時代に興味があるから欲しいものにコスパよく(ここ重要)出会った時だけ集めている。
そうやって好きな時代に浸ることが今まで一人での趣味だった。
ちょうど去年酷く体を壊したので体調も万全ではないし緊急事態宣言で友達にも会えなくてSwitchであつ森ばかりやってた頃に趣味アカウント作ろうと思い立ち平成レトロカルチャーとコレクションを載せたInstagramを作りました(@hello_navi01)。私の創作での本業は詩を紡いで弾き語りとして歌ったり、それを元に絵を描いたり小物等色々なものを思いついた時に制作すること。(諸々落ち着いたら絵本や短編の物語を制作したい)詳しくはこちらに記載してあります。


それとは別に、何かデザインを浮かばせたい時発想をしたい時に役立てたいと自分の好きなものが可視化された場所が欲しかった。何も気にせずただ好きなものを、好きな加工で言わば自分の癖の溜まり場を作りたかった。ノートにそれまで記して居たけれど、文字だけだとよく想像できないのでこういった形でInstagramを活用できたのは凄く有効だった。実はそれまで、専門学校を卒業したタイミングでSNSやInstagramが色々思うことあって自分には必要ないなと判断し当時はリア垢しか持ってなかったけど、完全に持ってるアカウント削除してしまって4年近く創作のTwitterアカ以外はSNSをやっていなかったので。
ただ楽しく趣味や嗜好を載せるそういった場で、新しい人間関係が沢山できてよかったと心から思っている。
音楽をしていても、ここは友人を作る場ではない、作品を良いと言ってくれるお客さんに向けて発表する場所。自分と戦う場所。自己成長の場所。と思ってやって居たのでその中で本当にプライベートまで遊んで心開ける大切な友人達に音楽を通して出会えたのは凄くラッキーだと思っているし、ライブしてて、この活動しててよかったとも思った。
私は集団には溶け込むことはできても、どこか無理して自分の意思を犠牲にしてでも調和を大事にしてしまうとこがあったから、心開いたふりや気さくに誰とでも話せることは得意になった反面、本当に心を開くということ、自分の内側の核の部分を見せるのが苦手で、やっとこの人には心開きたい!て人が現れたときに凄く言葉に詰まる。それでも私なりにこれでも音楽する前と比べたら頑張って伝えるってことができるようになってきているんだけど、発展途上中だ。ライブをするようになって30分のステージを一人で作るということをしたことにより、私は大きく自分のなりたい方に変わってこられたと思う。音楽をしている時やステージの上に上がっている自分は正直で居たいと思ったからそれが日常の自分にもいい方面に変わっていった。自己開示が昔より上手くなっていった。音楽やその他創作活動をしていて本当によかった。口があるのに口下手で、文字に認めて居た方が自分の感情をうまく表現できる。だから物語を作ることが好きだ。親しい人には誕生日などの記念日に手書きの手紙を渡すのが好き、貰うのも好き。
幼い頃は交換ノートや手紙交換が流行ってて、お気に入りのメモ帳と色ペンで渾身のデコりと覚えたてのギャル文字で文字を記す。交換ノートは時に秘密も打ち明け。そんな日常のことをどこか恋しいと思う。デジタルはとても便利。こうして今もキーボードに打ち込んでアップロードすれば今これを読んで下さっているあなたや不特定多数の人に届く。でも、アナログも忘れたくない。アニメのセル画も、フィルムカメラも、手書きの文字も、温かみとリアルがある。私は仲良い子達の書く書体を知っているかな?せめて好きな人達の書体は知って居たいな。そんなことをふと考える。
でも、あなたの書体を教えて?なんて気味悪がられそうで恥ずかしくてとても言えないけれど。笑

私はきっと、今の時代のカルチャーも便利なデジタル社会も好きだけれど、リアルを残すこと、温かみに惹かれているんだろうなあ。
今回こういった平成レトロスペクティブという企画展に思いきって誘って参加してまーちゃろちゃんと協力して展示して、楽しかった。以前はラブandベリーの企画に誘ってもらってそこが初対面だったから、今回また集えて嬉しかった!
仲良い友達と何かを作り上げるのは久しぶりで文化祭みたいでワクワクした。終わってしまうのは悲しい。だからまた、楽しいイベントを作っていけばいいんだよね。学校行事と異なる点はそこ。大人も捨てたもんじゃないね。いつも一人で物作りしているからこういうのもいいなあって思いました。
平成レトロという言葉を本来あまり使用したくはないのだけれどこの総称によって仲間に巡り会えたし、まずは受け入れてみよう。
まさか音楽活動等以外で自分が密かに楽しんでいた平成レトロ趣味でこうして表現の場として作品を発表できるとは思っていなかったので良い経験になった。楽しく継続していけたらいいな。
多方面に渡っていろんなことに挑戦することは後に各々の分野で自分の肥やしとなって生かされていく。だから、興味のあること、ワクワクのアンテナを常に磨いて知りたい、挑戦したい、表現したいと思った欲求には従うようにしている。
本格的に2018年からそういった行動にうつしてからどんどん自分らしく、生きやすくなっていた。どんどん思考が変化して、その都度たくさんノートに記録した。変化すればするほど色んなことに気がついた。中には学生時代、あの頃は楽しかったけれど、今この子とは合わなくなってしまった、苦しい。そう感じることもあって悲しい気持ちにもなったけれど、楽しかった思い出は消えない。また波長が合えば自然と引き合うきっと。変化しても変わらない友情もある。凄く貴重な存在で親友達には感謝している。本当に。そうやって人間関係も大きく変わっていったのがその年から。自分に正直に生きるようになったからだと思う。
こうして懐かしいカルチャーの企画をすると、小学生の頃プリクラに写っている今は音信不通のクラスメイトこととかその時の教室の些細な思い出が蘇る。
どうでもいいことばかり記憶力が良いおかげで脳内タイムスリップが得意らしい。

とにかく健康第一に(本当これに尽きる)、自分のワクワクしたものにどんどん挑戦していこうって。2017年の時も思いました。挫折したりつまずく度に思います。立ち止まってもいい。いつ何があるかわからないんだから、落ち込んでもいいし、楽しい時に思いきり笑っていればいい。休んだって泣いたっていい。でも絶対大丈夫また立ち上がってみせる。って。どんな時も自分が自分の一番の味方でいよう。後悔しないように、法に触れたり誰かを陥れることをしなければ、自分の選択に正直に従っていいんだよって。だから私はこれからも自分のワクワクに従って都度その時の自分の感性を表現して作品としてゆっくり残していきます。年齢や生活が変化しても、表現方法が変化しても創作は一生続けたいです。物作りは自分の心を豊かにしてくれるから。自分が自分で居られるから。
見た目はサブカル女否めないけどマインドギャルだと思ってる。自分の中のマインドギャルの定義的なものもそのうち書き残せたらいいな。

展示、観てくださった方や関わってくださった方、そしてこんな拙い文章をここまで読んで下さってありがとうございます。

今回の展示でこれからもやるぞ〜と思ったのは

・日々を写真に残す癖をつける
・フィルムカメラを持ち歩く
・写真は現像する
・色んなものをデコる

これからもリアルを楽しく残していきたいです。
以上、リアルに近い日記でした!それでは!

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