見出し画像

③ バットウーマンBat woman


このところこどもにいつも言って聞かせている言葉。
「もうだめだ、と思ったときに、すべてが始まる」
きょうは、これをじぶんへの処方箋とする。ほんと、もうだめだ、と思っていた。どうしよう。で、そこからだ、とさっき、思った。
で、おとなヴァージョンは、こうなる。
「もうだめだ、か。 ってことは、いい線まできてるわけだ」
最近ある方に、散文のときには、はてなのあとに、ひとます空ける、と
教えていただいた。
まったく、そんなことも知らないで生きてきた。
でも生きてこられた。
よかった。

どこかで殺されたり、死んだり、殺したり、しなくって。

ゆうべ、部屋のなかに蝙蝠がとびまわっていた。

あの、はばたきの音を、じぶんのベッドのうえに、聞くことができた。
あの羽ばたきの音を目の前にして聞くこと。
家の外にもいるが、近くないから羽ばたきの音をきくには至らない。

それはこのところの、夢だった。
なんとかしてかなえたい、と思っていた。
それは、富士山に行ってかなうかと思った。
つきあってくれた子どもたち、それから親友には、それが夢だなんて、いわなかった。だって、そんなの、おとななのになんだかおかしいから。
でも、そうだったんだ。
あの蝙蝠のとぶときの音。
あの音と、鹿のセンサスのときにさっと鹿が逃げる、ひらりと高く跳躍して見せる旗みたいなまっ白いしっぽを見ることとの間にはとても深い関係があったはずなんだ。
そのうちの一つを、また見ること。
で、蝙蝠のいる洞窟をわざわざ夜になっておとずれた。
でもそこにはいなかったんだ。蝙蝠はでていったあとか、違う場所をルーストしていたみたいで。
そして今の家で。
ゆうべ、じぶんの今いる家で、子どもが家の中の井戸の間で

捕まえて私のところに 虫取り網にいれたままの蝙蝠を見せに来た。

蝙蝠にそっと触れると、そいつは私を見て、チカリとまばたきした。

蛍光灯がまぶしい、というように、翼手で顔をかくした。

それからそいつは逃走した。それから二四時間たった。

蝙蝠は、再び現れて、寝室の天井の梁や、木の柱や、まるで
洞窟の天井めいたうちの二階で、ホバリングをくりかえしたり、
壁のところにつかまりきれずに、私の横になってかけたふとんの胸元にずずず、と落ちてきたりした。
私は蝙蝠がおなかすいてるんじゃないかと思った。
えさにするための蛾を入れてやろうとして、窓を開け、そして蝙蝠に、いっそ外にでてはどうかといった。
そうすると、蝙蝠はしばらく飛びまわっていたあと、出ていったらしい。もうホバリングの音がどこにも聞こえず、静かだった。
それは、夢いじょうだった
その音を聞き、触れたことは

きいきいっていって噛もうとして鳴いたよ、と子供がいった
そうか。

どこへも行かなくても
ここにすべてあったんだ。


         foto  そのときのかうもり
         con  ねこのいぬ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?