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助けて欲しいと言える環境

子どもたちと過ごして来た
10年間で
気が付いたことがある

私は
実は人付き合いが
それ程得意な方ではないと思う

学童の時代も
生徒の時代も
OL時代も
シングルマザーになってからも

結構仲間外れにされたり
いじめを受けたり
的にされることは多かった

だから当時はWB以外の友だちは
ほとんど居なくて、

お休みになると
何をすれば良いかわからなかったから

資格の取得という
武装をして来たのだと思う。

保育士免許は
生活の為に取ったのだけど

これも
「子どもを旦那が居なくても育てられる」
っていう
武装の一つに
過ぎなかったのかもしれない。

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このnoteを読んで感じたこと。

育ちに困りを抱えている
子どもたちを観ていると

「〜に困ってます。助けてください。」

が中々言えない子どもが多い。

その理由は様々で、

何に困っているかがわからない
助けの求め方がわからない
助けを求めることが苦手又は恐怖
そもそも困っていることに気がついていない

そんなことが良くある

そこに手を差し伸べることも
とても大切だけれども

何より周りの環境が
「助けてください」と言っても大丈夫なのか?
そこが大事な気がする

「困ってるなら、困ったと言え!」

って言われたとしても、
そもそも困っていることを
解って居なかった場合は
助けを求めることは
不可能だと思うし

困っているとしても
助けを求めたことがない場合

又は
漸く助けを求められたのに
否定され続けて生きてきた場合

助けを求めることが
出来なくなってしまうし、
そこには恐怖が伴ってしまう

そんな中、
大人になってしまうと
それが余計に厄介で
真面目すぎるが故に
身体症状に発展してしまう人もいる。

そんな中、

どうしたら良いか判らないことの
問題点を話せる環境であるかどうか?

そんな場所を
作ることが出来るかどうか?

これは
かなり重要なことになってくる

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どんなに伝える相手が
素敵な人であっても、
それが

自分にとって
大切な人であると
感じられるほど

困りを伝えることが難しい

迷惑を掛けたくなかったり、
心配して欲しくなかったり、
いつも笑顔を見せていたかったり。

そうして
どんどん追い詰められてしまう。

ホントは逆の立場であるなら
そんな風に
思ってくれている人なら余計に
話して聴かせて欲しいのに

それでも
黙り込むことが
癖になってしまっている場合
どうしても苦しくなってしまう

これは
今の私自身の課題でもある

今の職場環境は、
この件に関しては
寧ろとても言いやすい♪

私の表情から
様子を汲み取って
声を掛けてくださる方が居たり

逆に私が気が付いて
声を掛けたとき
素直に話してくれたり

自分たちの失敗を
「そんなこともありますよ!」
って笑顔も交えて話が出来るから

「助けてください」が言いやすい。

そんな大人を見ているから
子どもたちも
自分たちの困りを伝えようとする

この環境の中だから
どんどん自分の中の殻が
溶かされて行くのが解る

当たり前がそうじゃないこと…とか
伝えてみようっていう
気持ちを持つのが難しいこととか

色んな気持ちが見えてくるし
私自身の理解も
進んで来ている気がしている。

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私はこう思っている

困っていることがあるから
文化、文明は開かれて来たし
発展して来たんじゃないか?

…と。

私自身、
助けて!が中々言えなくて
それが故に
信じることが出来なくて
結婚生活をリタイヤしてしまったり

今も、
相変わらず
ハッキリ伝えるのは
あまり上手では無いけれど

今ココ!に

言える環境があるから
心がどんどん
自分の方向を向いて来て

いざと言う時
「助けてください」
が言えるから、

色んなことを
試して見たり
挑戦してみることが出来る

失敗しても
角度を変えて
リトライしてみようと思える!

そんな環境の中で
いつか私も
大切な人たちに
そう思って貰える様な
私になりたいな〜と思っています♪

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Mahalo nui loa♡

「日本にクリエイターを増やしたい!!」 ★保育士しながら認定心理士資格取得★ パート→非正規→正規(無認可)→正規(認可) →フリーランス保育士・児童指導員 保育士時代に学んだ心理学を 子育てや保育、描画コンテンツに 生かし実践! 主体的で能動的な日本人を増やし続けてます♪