見出し画像

VRCスクール卒業式『1FPSの世界から見た夢と記憶の交わりについて』

 卒業式は「終わり」としての側面が強い。人が死ぬ時は人生の全体が記憶の状態にあるように、「終わり」の式典に臨む僕たちは、入学から3週間分の記憶を抱えている。否、今この瞬間が知覚されている以上、全体が記憶の状態にあるとは言えないし、むしろ延長線上に広がる無限の未来を自由に予期することが出来る。であるならば、過去の終わりと未来の始まりは同列で、卒業式はある種「始まり」の式典であると言っても大袈裟な表現では無いのではなかろうか。

 やがて僕がこれを考えるに至ったのは、実際に今が第10期VRCスクール卒業式の挙行中であるからというより、訳がありPCが重すぎて1FPSしか出ず、完全なる虚無状態にあったからである。念の為、純粋な自虐であって他意は無いことを断っておく。

自分で見ても笑ってしまう

 遠くから断片的な声が聞こえる。よく通る男性の声、少なくとも会話では無さそうだ。恐らく生徒であろう誰かの名前が呼ばれて、壇上へ上がって行くのが見えた。──以下同文。察するに卒業証書の授与だろうか。PCが重すぎて輪郭の明瞭な単語は何一つとして聞こえないし、僅かばかりでも動いたら落ちそうな予感がしたから、誰もいない虚空を見つめ続けるしかない。その刹那、カメラのシャッター音が近くで聞こえた。反射的に顔を上げると、数人ほどの生徒が一列に連なっていて、深澤もその1人として列を形成している。

 辺りが騒がしいので見回すと、そこは校舎の廊下であることに気がついた。「なんか好きなポーズして、あーカワイイカワイイ」このやり取りには記憶がある。入学初日の放課後だった。初日に生徒1人1人の写真を撮って、後の卒業証書に使うらしい。配置されたクラスは10-3。知り合いの1人や2人くらいいるだろうと根拠の無い安堵に身を委ねていたら、予想を裏切り全員のネームプレートが白色で、世界の辺境、孤立無援な場所に立たされた気分がした。と同時に、全てが未知の存在であるという気持ちの高ぶりに淀んだ期待を抱いた。やがて自分の番が来る。全員に個性が当然のようにあるから、外見について自己の不在感は感じない。ただ、ポーズのバリエーションが少なくて、皆と一様にピースサインを構えてしまったのは若干の反省点だっただろうか。不安と期待で一杯になった脳髄に、記憶と思考の断片が流れ込んで不規則に舞う。

 PCが重い。常にFPSが1桁の状態でVRChatを初めて4ヶ月、何故かプレイ時間が1000時間を超えた。画面が固まるような苦痛の程度はあれ、流石にこの不快な挙動には多少の慣れが生じていた。今は卒業式の最中で、入学初日では無い。恐らく記憶と苦痛の交差点にある幻想を覗いているのだろう。重さに耐える経験を積んでから度々現れる錯視の対処には、哀しくも順応してしまった。

 カメラのシャッターが鳴る。うまくポーズを構えられただろうかと視線を前に移すと、またしても風景が切り替わっていた。教卓越しに構える僕に対して皆が視線を向けている。自己紹介だ。自分の生き方を自由に表現する場である一方、他人からある程度の価値を決められてしまう。教室で行われる座学は、コミュニケーションに関連する話題が殆どだった。現在に至るまで人並みには対話の場数をこなして来たと自負していたが、会話の価値付けや意思の汲み取り等、あえて言語化された手法を説明されると意外と意識から抜け落ちている新たな発見がある事に気がつく。会話は僕たちの予想以上に複雑で正解が無い。それは同時に、内的な人間の有限性を否定して、終わる事の無い密接した営みとして会話が有り続けることを証している。浴びる注目に恥ずかしさを感じ、視線を皆の顔から教室の後ろ側、更に横に移して窓を見た。窓からは陽光が差し込んで、相も変わらず雲がぷかぷかと浮かんでいる。きっとこの空もどこかの空と繋がっていて、時空間は違えど、同じように空を見上げる誰かがいれば、それは心も繋がっているに違いない。記憶の断片。そういえば窓の外には桜も咲いていたな、などとどうでも良いことを思い出した。この瞬間が夢か記憶かは別として、思い出せば自然と風景にアクセントがついた。見たいものが見えるようになるらしい。

 視線を窓から前に戻すと、「卒業証書授与式」との吊り看板が上の方に見えた。途端に視界へ負荷がかかり、1FPSの世界へ戻って来たことを理解する。式典はさほど進んでいなかった。壇上の演台で誰かが話している。恐らくは校長であろうが、その人声はやはり断片が耳に届くばかりで、秩序ある輪郭をなさない。低く呻くようでも、隠微に笑うようでも、歓びを讃えるようでもある響きが、しばらくは間欠的に続いた。当然このような状況に陥っていたのは深澤1人であっただろうから、逆に周りから自分がどう見えているのか気になった。完全に固まっているのか、小刻みに震えているのか。どちらにせよ、自分がその状態に陥っている誰かを見たら、心配よりもニヤニヤして笑ってしまうだろうなあ、という嫌らしい感想を抱いたところで、ふと衣類が気になった。式典でパイプ椅子に座る以上、稀にスカートが捲れてしまう事がある。それを写真に撮られたら堪らないから、PCが落ちないように恐る恐る目線を下げた、ドラ表示牌は南。

 それを確認して目線を手牌に戻すと、風牌がそれぞれ1枚ずつ、9筒の対子が1組、他は全て連続しない酷い配牌だった。時代が違えば十三不塔が成立していたのだろうか。南4局オーラス、満貫ツモでトップが狙える3着の西家だった。ただ、4着との差は僅か100点。今が卒業式でない事は自明であって、3組の放課後はたまに麻雀をしていたことを思い出す。夢や記憶だと分かってしまえば、事態は平凡すぎる程に平凡だ。絶体絶命のピンチに深呼吸をしながら肩を回して身体の凝りをほぐし、衣類に何ら乱れが無いことを確認した深澤は冷静だった。PCが重いとき、どうも行動の1つ1つが自分の記憶や願いに連結されて戸惑うことがある。麻雀の勝負のほうは、自身の長考の後に展開がバタバタと進み、程なくして僕が何も出来ぬまま4着落ちした。いったん牌が取り片付けられると、物も言わずに僕は手牌から河へ九萬を叩きつける。気迫だけは雀鬼である。どうやら3組はVRChatの域を越えてLOLなどで遊んでいたようだが、これまでPCも含めゲームとは全く無縁の生活を送って来た僕にとって内容や操作が理解出来る筈もない。空想のことを書いた本や漫画ばかり読んでいたから、地上のことがあまり分からないのと同じだ。地上で生きる人々の営みを遠くから見ていると、あらゆる一切が希薄で遠く感じる。堪らない寂寥感が込み上げて来て、虚ろな影の世界に白い靄がかかりそうになる。

この後ちゃんと勝った(一度負けたのがすごく悔しい)

 いや、実際にかかっていた。ふと気がつくと、見渡したこの場はステージの上、目の前には何故かシカがいる。動作のカクつく暗い劇場で、寄る辺ない寂寥感に耐えかねた僕が徐に人がいる方へ向かったその場所は、即興劇の舞台であったらしい。そんなつもりは全く無かったから、焦った。記憶のためか、夢であるからか、状況を飲み込むことに時間を要する。白い靄にふんわりと人工の光源が乱反射していた。

 神社から感じる異国の雰囲気。PCが重くて会話がまばらにしか聞こえない。当然聞こえなければ返答も出来ない。畑違いの世界から迷い込んだ人間が、どれほど明確な目的を持っていたとしても、最低限度の能力が無ければ価値の無い置物と化してしまう。前々からPCに対して若干の限界を感じつつある深澤がまず感じたのは、どうにかせねばという模索の道であった。おぼろな乳白色の靄が全体に広がり、意識とともに気分を高揚とは逆の方向へ押し込んでゆく。内向しつつある精神が静かに眠り込む、淡く夢見る調子の底へ落とされた。

 ふと気がつくと、卒業式はもう終わっていた。どうやら今はクラスごと、或いは全体での集合写真を撮影する時間らしい。少し離れた場所で10-3の皆が集まっていて、僕を待ちながら呼んでいるのが見える。君たちは本当に優しかった。多少なりとも覚悟していたのだが、深澤の動作が重いことに対して、否定的な感情をぶつけてくる人が予想に反して誰もいなかった。恐らく皆が道徳的に重視すべきと考えているのは行為の動機より結果なのだろう。たとえ心の中で思っていたとしても、口に出すかどうかは別の話だ。いや、そもそも思っていないのだとしたら。告白するが、この3週間、動作が重い1人のせいで皆に迷惑をかけ続けただろうと僕はかなり後ろめたさを感じていた。それなのに、今こうして目の前で皆が僕を待っている。普段からの君たちの言葉には、僕が抱えている自責の念とは裏腹な許容の気配が溢れていて、それが僕の中の敏感で脆い部位に直接触れてきた。何事にもひた向きで真っ直ぐな君たちが、僕はずっと不思議だった。ある時、ある人に聞いた。「貴方は一体何者なんですか」「思い切りVRChatを楽しみたい人だよ」間髪を入れずに答えてきて、本当に驚いた。創作された世界にしかこんな人はいないと思っていたからだ。もしかすると君たちもそうなのだろうか。不意に与えられた言葉が、意識に緩やかな波紋を呼ぶ。未知の作品に出会った時の新鮮な感覚。それは必ずしも強い力では無いけれど、僕のあらゆるイメージや思考の断片を引き寄せて、渦を造る気配がある。しかし、当然ながら意志の力でFPSは上がらない。依然として肉体的な機能が働かず今いる場所から動けずにいた。鮮明な意識も覚醒の水面で足掻いたまま、先程のように夢と記憶が現実に対して混じり合っている感覚がある。「じゃ、はじまるよー」突然背面から声が聞こえた。確かに、皆がいない後ろを向けば、多少は軽くなる筈だ。振り返ると、体育館であった場所の大きな空間は暗闇に包まれていて、透明になった皆がカメラを構えてどこかを見ている。

 パーティクルライブだった。暗闇で何も無い筈の世界に、鮮やかなレーザービームで色彩を与えてゆく。ポップな音楽の響きが空気に溶け込み、奏者のオーラに乗って深澤の全身へ運ばれる。皮膚をなぞり、血潮を沸き立たせ、五感の全てを通して意識の覚醒を促してくる。今なら前に進める気がした。

 身体が動いた。なりふり構わず歩き出すと、コードネームのワールドに辿り着いた。パネルはあと2枚、マイクを握っていることから、僕はリーダーであるらしい。ポップな音楽が転調し、メリハリのある旋律を奏で始める。僕たちは他人を真に理解する事は出来ない。だけど、理解しあう以上のことなら可能なのではないか。連帯への熱い願い、それが今なら叶う気がする。ヒントを待っている君たちに大声で叫んでやった。無事に通じた願いに喜びを共有するため階段を降りると、パーティクルライブから放たれる青白い星の数々が上空に舞って、虹とともに幻想的な夜を形成した。

 「一緒に撮る?」と呼ばれている。PCが重くならずに声のする場所へ移動できた。空翔ける流星群に向かって目一杯の手を伸ばす。僕たちはあの星に手が届く気がした。実際は何光年も離れているから、そんな事はありえない。だけどきっと届く気がした。僕は自分がそう思ったから、君たちを信じることが出来る。

 星はまた、弧を描いて飛んだ。夜空にビルが林立して、今がパーティクルライブの一部であることに気がつく。ただそれらも次第に輪郭がはっきりと視認出来なくなり、やがて星々とともに漆黒の大地に溶け込んだ。

僕は撮影を待つ皆のもとへ走った。更には全身が滾って、もっと遠くへ行けると思った。その瞬間、目を疑うような光が見えた。見覚えのある姿があったからである。姿というにはあまりに不鮮明であったけど、節々に見られるその特徴は自分と寸分違わぬものだった。

 深澤はパーティクルライブの一部になっていた。ある1人がサプライズで用意したものらしい。本当にこの世界の住人にはいつも驚かされる。

 突如として赤みがかった空が広がった。果ての見えない凪いだ海の表面には、立派な雲が反転した形で映り込んでいる。パーティクルライブのサプライズはもう1人いたのだ。それぞれが積み重ねてきた記憶の数々は色とりどりの衣装を纏い、有機的な連鎖の環をなす世界の中へ組み込まれていく。それは誰かをも排除しないだろう。

 皆の声がする方へ向かって体育館を走る。幾つかのパイプ椅子が行動の妨げになると予想されたけど、コライダーが設定されていなかったから、貫通するように通り抜けた。そもそもそんな些細な問題は今の僕にとって気にはならない。

 パーティクルライブも佳境を迎えている。旋律は徐々にテンポを落とし、3週間の幕が閉じられようとしていた。あと少しで皆のカメラのレンズに僕の姿が捉えられそうだ。あと少し、もう少し。目線をカメラに向けるため、前もってレンズの方を向いた。後退りしながら皆のもとへ歩を進める。

 体育館である筈の目の前では、カソウ舞踏団の団長がパフォーマンスを締め括っていた。3週間分の一連の出来事は、大掛かりな1つの劇中での出来事だったのだろうか。そう意識したのも束の間、全ての幻想が体育館と同化して消えた。それはこの場で初めて鳴ったカメラのシャッター音が、彷徨い行く記憶の穴底から僕を引きずり上げてくれた為らしい。

 写真撮影を終えるカウントダウンが始まった。次第に視界が狭まって行く。横を向くと、皆がそわそわとポーズを変えていた。カウントダウンが0を迎えると、他のクラスの生徒たちも、早々にカメラをしまってポーズを崩してしまう。周りの皆がゆっくりとした足取りで何処かへまた集まるのが見えた。それは3週間を終えた感傷によるものか、ただ単に僕が1FPSであるからか、或いはそのどちらでも良いような気がした。PCが悲鳴をあげている。これも1つの終わり方として有りなのではないか、視界が完全に固まって、落ちた。もはやお家芸として受け入れられているのではないだろうか。こうして、深澤のVRCスクールでの3週間は1つの区切りをつけたのだった。

 卒業式は「始まり」の式典である。当然これからも、僕らは個性に溢れたそれぞれの軌跡を残して行くのだろう。軌跡の太さ、進む速さ、長さ、進み方。各々の人生の数だけ、その軌跡は存在する。それが真っ直ぐでも、曲がってしまっても、偶にどこかで交差して、新たな喜怒哀楽を生み続ける。無限の未来を予期することが出来るから、きっとこの先も語るべきことは尽きない。

ただし、これが卒業式のことであるならば、話は以上だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?