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【短編小説】夜なき人狼/憂杞

夜なき人狼

 この世界は夜を失うことに成功した。あらゆる大陸の名高い魔術師達が捧げた命と、幾百年という歳月の結晶である『第二の太陽』によって。
 第一ほんものに相当する直径と光度を持ち、対極から付き従うかたちで周回軌道を辿り続けるもう一つの球体。それは、ただ夜を失くすためだけに創られた特殊な発光体だ。第一の太陽が西に沈むとき、同時に第二の太陽が東から昇る。その繰り返しにより世界全域で朝と昼が、つまり夜のない時間だけが絶え間なく循環するようになった。
 今も、午前零時過ぎという、十五年前までなら真っ暗なはずの時間にも青空が広がり、荒れ果てて廃れたこの村を痛いほどに輝かしい光が照らしている。
 人々の暮らしは楽になったわけではない。常に明るいから屋内外を問わず照明の類いは不要となったが、その削減以上に第二の太陽に消費するエネルギーの方が大きいからだ。それに二十四時間ほぼ変わらない日照は、古くからの人の眠りの習慣を未だに妨げる。誰の手もかからずいつまでも崩壊したままのこの村は、人々の今の余裕のなさの象徴と呼ばざるを得ない。
 それでも世界は夜を手放すことを選んだ。俺のような人狼達の存在を抹消するために。

 無人の民家が連なる場所から外れへすこし歩くと、雑草が至るところで生い茂る墓園に辿り着く。ここに並んでいるのは新旧含めて四十基といったところか。今や人手は俺一人だから墓石周りまでは追いついていないが、供えたきりで朽ちていた花などは随分前に全て片付けてしまった。
 そのうちの隅に集中している、土葬と印だけで済まされた十二基に目を向ける。ここだけ不自然なほど簡素な造りでありながら、他のどの墓よりも手入れが行き届いている。その一基の前で、彼女がしゃがんで白ユリを手向けていた。
「こんにちは。また会ったね」
 俺の足音に気付くなり彼女は振り返り、清流のように透き通った声で応じた。汚れの見当たらない白いワンピースに身を包み、長髪も白く肌まで真っ白に染め上げられたような彼女。彼女とは夜が失われる以前からの顔馴染みで、失われて以降もこの墓前で時おり鉢合わせている。
普段はどうしているか訊いたことがあったが、隣町に移り住んで慎ましく暮らしているらしい。故郷を離れたくはなかったとも言っていたが、そうするべきだろうと俺は思った。ここにはもう廃墟と屍以外に何も残っていないのだから。
「あれから十五年も経つのに、まだ来てくれるんだ」
「お互い様だろ。それに同じ場に居合わせた者として、弔わないわけにはいかない」
「そっか。嬉しい。一人じゃないってことだから」
 彼女が屈託のない笑みを見せてくる。十五年前には決して見なかった表情に、胸がざわついた。
 俺と彼女は、この村の人狼裁判で最後まで生き残った二人だった。
 人狼とは、昼間は人の姿で人と同じように振る舞い、夜は狼の姿となり人を殺す化け物だ。ただし習性だからか一夜に人狼が殺す人は一人までと決まっていて、昼のうちに狼になってそれ以上を殺すこともない。それでも鋭い爪と牙による残忍な手口は、いずれ同じ手にかかりかねない人間達を恐れさせるに十分だった。人狼による殺戮は世界の至る地域でも起きていたから、かつての村の大人達もその前例をわずかながら知っていたらしい。
 集落内で人狼による犠牲者が発見されたとき、全ての住民は一堂に会して人狼裁判を開く。昼間のうちに集められた全員で話し合い、人狼の疑いがある人を多数決で一人決めて処刑する。(言うまでもないが処刑するとは殺すという意味だ。)処刑した人がもし無実だった場合は、当然人狼が残っているから夜に一人殺される。その場合はまた裁判を起こして一人処刑する。また夜に一人殺されたら、また一人処刑……これを夜の犠牲が出なくなるまで繰り返す。地道かつ非道な済し崩しだが、これこそが世界では最良の妥協案として推奨されてきた。
 しかし、この村は妥協の末に最悪の終わりを迎えた。たった一匹の人狼を話し合いの中でいつまで経っても見極められず、最後の二人になるまで村人達を処刑しきってしまった。
 この村で初めに人狼が殺したのは不運にも村長だった。最も統率の取れる大人を亡くしたなかで裁判を起こせただけ良かったかもしれないが、命のやり取りに不慣れな大人達はまともな思考ができていたとは言えず、誰もが聞くに堪えない罵り合いを、見るも無惨な蹴落とし合いを、延々と繰り広げるばかりだった。
「あの時は私もあなたも五歳の子供だった」
 手に持った白ユリの束から一つ一つを墓に添えながら、彼女が当時のことを悔しげに呟いた。
「何もわからない子供だった。私なりに手を尽くしたいとは思ったけど、結局何もできずにみんな死んじゃった」
「それこそお互い様だ。君はなにも悪くない」
「だとしても私達が人狼に負けた事実は変わらないよ」
 俺は慎重に慰めの言葉を選んで返した。幼かった彼女の悲惨な姿は朧気に憶えている。父は真っ先に人狼に八つ裂きにされ、母はその裁判でただちに猟銃で処され、あとは議場の隅から途方に暮れた様子で修羅場を見ていた。何もわからない、何もできないという絶望に黒く眼を濡らしながら。
「仕方がなかったんだ。俺だって、何もわからなかったんだから」
 そう。
 わからなかったからこそ、俺と彼女はほとんど疑われなかった。
 ましてや俺が人狼であるとは、誰一人思いもしなかった。
 人狼は一夜ごとに村人の誰を狙うか思考して動くというが、当時の幼い俺にはその辺りがてんでわからなかった。そもそも、俺自身が人狼だという自覚すらなかった。夜間に行う殺戮は――いや、行われる殺戮はいつだって衝動的で、ただ視界に映した一人がまたたく間に引き裂かれ、翌日の裁判でその人の名が犠牲者として上がるという具合だった。
 悪い夢を見ていただけだったと、思い込むだけでよかった。他に犯人がいると固く信じて震えているだけでよかった。何もできない子供を蚊帳の外にして、大人達は大人同士で勝手に争う。俺は自分が何もわからない子供だと信じぬくだけでよかった。
 そして愚かなことに、俺と彼女と大人一人の三人だけが残ってしまった。その大人は警備員の男性だったが、この際職業も性別もどうだっていい。一日目の裁判で母を手にかけた大人と同い年、どちらを彼女が信じるかは明白だった。全てを悟った男性は呪いの言葉を散々吐いた末に、目の前でみずから首を吊った。
「……ありがと。やっぱり優しいんだね」
 何も知らないままに彼女は笑う。
 二人だけになったちょうどその日に、世界から夜が失われた。だから彼女は本来なら自分が喰われる運命にあったことを、十五年が経った今でも知らないでいる。最後に亡くなった男性が人狼クロで、俺と彼女が両方人間シロだったとしても辻褄は合うのだから。
 この世界には悪を証し立てる神も審判もいない。だから全てが終わっても真相を知れるわけではない。
 そして、知らなくていい。むしろ知らない方がいいからこそ、世界は夜を失った。
 人狼は夜が来なければ狼にならない。だから殺戮による一連の惨劇は、元凶が残っていようが今の世界では二度と起こらない。おかげで彼女は新たな居場所で存えているし、俺も手を汚さず人のままで在り続けられている。
「ねえ」
 誰もが光の下で前だけを向けるように、世界は夜を消し去った。
「……なに」
「あなたにずっと言えてなかったことがあるんだけど、今言っていいかな」
「ん?」
 雲が一筋通ったらしく頭上から細い影が落ちる。彼女の声の調子は変わりなかったから、俺は無警戒に促した。
「私、実はこの村唯一の占い師だったの。だからあなたが人狼であることも今ならわかる」
 数秒、濃い無音が流れたように感じた。彼女がふふっと鼻で笑ったところで、自分が息をしていないことに気付き慌てて吸う。
「びっくりした?……よね。だって私、当時は何かの間違いじゃないかと思っちゃったから」
 占い師。少数の人間が持つという、職業とは別で人狼に対して有効な『役職』の一つらしい。一夜ごとに任意の村人一人を占い、その正体が人狼か否かを判別できるという。よその裁判でいた前例は幾らか知っているが、この村にも占い師がいたとは聞いていない。
「私が占った大人達みんな人間だったからアテにならないと思って。偽物だと疑われるのが怖くて名乗り出られなかった」
 全ての白ユリを十二基に供え終え、彼女は立ち上がり俺に向き直る。真っ白な装いに微笑を浮かべたその姿は亡霊を思わせた。話しぶりは至って穏やかで、俺に対する怒りも憎しみも感じられない、不気味なほどに普段通りの佇まい。しかし俺が人狼であると言い当てた声にだけは、確信を持ったような異様な鋭さが込められていた。
「ちなみに今はもう占えない。夜じゃないと人狼が人を殺せないように、占い師の能力も夜以外は使えないみたいで。だからこの場で本物だって証明はできそうにない」
「だったら!」
 縋るように言葉が口を衝いた。喉は何かがつかえたように苦しいのに。
「だったら、それこそ何かの間違いじゃないのか」
 実際、本当に間違いかもしれないのだから。
「でもね」
 わずかに語気を強めて言うと、彼女は俺に歩み寄る。
「あなたの方が本物だって証明は、できると思う」
「どうやって……」
 言いかけた途端、胸に燃えるような痛みを感じた。心臓を刺されたのだとわかった時点で俺は膝をつき、地面に倒れ込んでいた。痛みは激痛となり、呼吸はできなくなり、体は痙攣して思うように動かせなくなる。視界はまたたく間に真っ赤な血で染まっていく。
 うつ伏せのまま投げ出された右腕を、彼女は土まみれの靴底で踏みつける。
「村の外に出てから知ったことだけどね、人狼は村人以上の人数で生き残るとその集落を制圧するの。人狼が一人なら村人一人以下を、二人なら二人以下を力づくで好き放題にできるし、集落全体も自分達の縄張りとして好きに扱える。でも、その後は?」
 こめかみを爪先で一発蹴りつけた後、再び右腕に靴が何度も振り下ろされる。合間に、気まぐれを起こしたようにこめかみを何度か蹴られた。
「聞いた程度の話だけどね、集落を制圧した人狼はその集落の人狼としてしか在ることができない。つまり村の外へは一歩も出ることができない。当然だけど、出たいからといって後から人間に成りかわることもできない。並行世界にでも移ったりしない限りはね。あなたはどう? ぼろぼろになった村に十五年も一人でいて、一度でも外に出られたことはあった?」
 なかった。
 妙に鮮明な意識で、彼女の問いかけを聞いて「なかった」と気付いた。この村から抜け出したいとは幾らでも思ったはずなのに、そもそも本当に抜け出そうと動いたことすら一度もない。冷静に考えてみればおかしな話だ。
 顔を覗き込んでいるのか、わずかに彼女の息が頬にあたる。
「……ごめんね。あなたに嘘ついちゃった。私、本当は占い師じゃなくてただの村人なの。カマをかけただけだったんだけど、でもあなたは人狼で間違いないみたい。残念だったね。生かすも殺すも自由だった私を逃がしてしまって」
 彼女は俺の胸から刃物を乱暴に引き抜くと、真上から無作為に俺の体を刺しはじめた。腕を。手の甲を。首を。こめかみを。脇腹を。背中を。脚を。抜いては刺し抜いては刺し抜いては刺し抜いては刺し。凍るような熱さと寒さと激痛に悶えながら、俺は悲鳴を上げることすらできなかった。どの傷口からも夥しく血が流れるのを感じ、なぜ自分が死なないどころか意識を保っていられるか不思議に思えた。
「ねえ、ここに閉じ込められている間、あなたがどんなふうに生きてきたか訊いてもいい? 大人達は殺し尽くして私にも逃げられて、幼いあなたにできたことは何かあった? 家畜も死に絶えた中であなたにまともな食事はあった? この墓園にみんなが供えていたお花は、全てあなたが食べたんじゃない? あなたが何も持たずここに来る目的って、弔うためというより雑草で飢えを満たすためじゃない?」
 もういやだ。殺してくれ。そう俺が強く願うのは、思えば今この時より前にもあった。飢えに苦しんでいたからでもあるが、なぜ何もない場所で自分が生き延びてしまえるのか、なぜ生き延びなければならないのかわからなかった。
「ごめんね、私は神様じゃないから、あなたを救えそうにない。だからせめて亡くなった村の人達のために、あなたにちゃんとした罰を与えたい。本当は私一人の手じゃ全然足りないけど、幸いあなたは今後もっと罰を受けられる。人狼は処刑されればになるけど、一度私達に勝ったあなたはもうから」
 勝ち負け、だなんて。喜劇じみた理屈には苦笑されられたが、それでも一部においては納得せざるを得なかった。何かの間違いでもなんでもなく、俺は本物の化け物なのだと。
 背中に勢いよく刃が突き刺さる。後から靴底で押し込むような力が加わり、刃先はゆっくりと右の肺を貫いた。
「ねえ痛い? 苦しい? でも生きていられるだけありがたいと思うよ。あなたに殺された人達は、尊厳や自由なんかより大切な未来を失った」
 言いながら彼女はもうしばし俺を痛めつけたが、やがて大きく息をついてやめた。耳をすますと、小さいが乱れた呼吸が頭上から聞こえてくる。わざわざここまでの仕打ちを彼女から受けるくらいだから、村人達を皆殺しにした人狼も本当に俺なのだろう。
 誓って嘘は言わないが、俺は今までずっと自分が無実である可能性を信じてきた。
 最初の夜に見た村長の姿を思い出してみる。あんなに歪んだ表情と形に子供の俺ごときができたとは思えないし、爪と牙の感触を思い出そうとしても上手くいかない。次の夜に見た大人も、その次の夜も、最後の夜までの大人達を思い浮かべても同じだ。俺が殺したのか夢だったのかの判別がどうしてもつかない。少しでも自分を疑っていれば見極められたはずなのに、当時の俺は生存本能に従うのに必死だった。
 しかしそんなことは犠牲者からすれば言い訳にもならないということだ。
 この世界には悪を証し立てる神も審判もいない。唯一の手がかりとなる闇夜をも世界は焼き払った。人狼による過ちを増やさないためと理解はしているが、そんな光の暴力に俺の罪と孤独の正体は有耶無耶にされた。
「今日はここまでにするね。私にも自分の生活があるから」
 だから俺は、彼女に感謝しなければならなかった。俺の生き方も存在もみな間違っていたのだと、罰をもって教えてくれる彼女に。
 返り血にまみれたワンピースの裾をなびかせ、またね、と彼女が去っていく。流れる雲がまばらに視界に落とす影は妙に心地良く、脱力に目を閉じてしまうのが惜しいと感じた。


本作は第一回あたらよ文学賞(テーマ:夜)に応募した作品を一部改稿したものです。
また、文学フリマ東京37および広島6にてフリーペーパーとして頒布させていただきました。PDF版は以下より。

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