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歪さを認める

先日、なんだかどうしようもない気持ちになって、離れて暮らす母に電話をした。

母は私が仕事で悩んでいることを知っていて、よく話を聞いてくれている。今の私は、次にどうしたいのかは決まっているけれど金銭的に身動きが取れないという状況だ。お金が貯まるまでしばらく働いて、次への一歩を踏み出そうと思っている。

心の中でどうしたいのかが決まっていても、すぐに行動に移れない場合、時々本当にそれでいいのか不安になってどうしようもない気持ちになってしまうことがある。

私の場合、職場に明らかに問題がある訳ではないということも決心が揺らぎがちになってしまう要因なのだと思う。私の勤める企業はいわゆるブラック企業ではない。割と長く勤めている人が多く、良くも悪くも安定した堅実な社風の会社だ。そういう会社に勤めていても、私は違和感を感じ続けている。どうしようもない気持ちになる時は大体、みんなが普通に出来ていることが私には出来ないんだなぁなんて考えてしまった時だ。

さらに私が進もうとしている道は、今の所最初の一歩しか見えていない。その後どうなるのか、本当に分からない。そんな先の見通しが立たない道に進もうとしているのだ。

つい先日、母に話したどうしようもない気持ちの背景には、もしかしたら今抱えている違和感は時間が解決してくれる問題なのではないかという疑問があった。今の会社は目立って悪い部分がある訳ではないし、違和感を感じるという理由で会社を辞めても今後も同じことを繰り返すではないかと不安に思っていた。

そんな話を聞いていた母は、話し終わった私に言った。
「かほちゃんは周りの人たちのように企業に勤め続けられるタイプじゃないのに、なんでその人たちみたいに生きようとするの?」

それを聞いて、私は笑ってしまった。数分前まで暗い気持ちで話をしていたにもかかわらず。

「そうだった。私は一ヶ所に留まれないタイプだった。きっと世の中でいう普通の人生は歩めない。今までも先を見据えて何かのために行動するよりも心がワクワクする方に向かって行くと上手くいった。だから、今回も自分の感覚を信じて進めばいいんだね。」

私はそう答えながら、私の歪さを受け入れている母と普通に生きられないことをきちんと認められた自分を嬉しく思った。

もう普通の人生を生きる人たちのように生きられないことを不安に思うのはやめる。今までだって何度も、普通になれない自分に対するどうしようもない気持ちを乗り越えてきた。

"誰かみたいに"ではなく、私は私の人生を生きるのだ。誰に何を言われたって構うものか。

#エッセイ

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