雨の日には冷えたスプーンを

旅先から帰る途中で、見慣れない街を丸い窓から見ていた時にふと思ったことをまとめてみました。雑文です。コメント頂けたら幸いです。

 まだ、ランドセルを背負っていたころ、正確に言えばランドセルに背負われていた頃、小さな親切委員会というものがありました。保健委員会や放送委員会、生徒会、そして図書委員会など、ありふれたきっとどの学校にもあるような委員会とは別枠に、小さな親切委員会があったのです。

 小さな親切委員会に所属する委員は、クラスの中で誰が一番親切だったかを学期末に決めます。例えば、人一倍整理整頓をした、ごみを拾っていた、きちんと掃除をした…などのことだった気がします。今思えば、小さな親切と言うよりは、当たり前のことを当たり前にできたか委員会のほうが名称的には正しかったのではないかと思います。

 小さな親切委員に今期一番親切だったと任命された人は、緑色の羽を貰い、小さな名札に張り付ける権利を得ます。緑の羽は、きっと平和の象徴。小さいながらかっこいいなと思っていました。ですが、私は、緑の羽を貰った記憶がほぼないので、当時から当たり前のことをぐちゃぐちゃにしてしまっていたようです。笑

 小さな時から、他人には親切にしなさい、相手が喜ぶことをしなさいと言われ育ちます。しかし、大人になっていく過程で、当たり前のことが見えなくなり、小さな親切ですらできなくなるそんな瞬間があると思います。例えば、疲れた帰り道、駅のホーム、長時間の渋滞。目の前に困っていそうな人がいたとしてもつい席を譲れなくなってしまう。エスカレーターについ強引に入ってしまう。レジの待ち時間に苛立つ…。数えたら、きりがないくらい、ほんの些細な心のささくれを治せなくなる瞬間があります。

 けれど、世界はほんの少しの優しさと親切で回っている気がします。雪道運転で、道路に入りたがっている車に道を優先した際に点灯する2回のランプを見た時。バスを降りる際に、道を優先した時のおじぎや運転手さんへのお礼の挨拶。疲れて帰ってきた時のあったかい料理。デートの終わりに見つける短い手紙や仕事の合間を縫ってかけてきてくれた電話。

 どれもこれも、あくせく働いていたら見逃してしまいそうな優しさと小さな親切。高校の時の友人は、必ず雪道で道を譲ります。どうしてか尋ねると、「こんな風に小さな優しさが積もれば、大きな平和になる気がするんだ」と答えました。どんな風に相手の好意に答えたらいいのか分からないと言っていた素敵な人に「自分がしてもらった優しさをそのまましてあげたらいいんだよ」と伝えました。抱きしめて貰ったなら、抱きしめ返す。そんな具合で、私たち一人一人が小さな親切をしていったら、きっとしてもらった人は誰かにも小さな親切をしたくなる。小さな親切のリレーが続いていったら、ゴールは何色なのか、ちょっと楽しみです。

FIN

 

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