浮かんで、弾けて、選んだもの。

もう終わったと思った?本当に見縊られたものね。
と、言いたいところなんだけどさ。私自身、うん、もうおしまいであとはエピローグっていうか‥ほら、映画でよくあるじゃない。エンドロールのあとのちょっとしたおまけみたいなエピソードっていうかさ、ああいうものだって思ってこの10年ちょっとを過ごしてたのよね。
10年ちょっとはエピローグにしては長すぎるって?
そんなことないわよ。ほら、有名な童話をパッと思い出してみて。王子様と結ばれたり、生き別れていた家族と再会したり、鬼を倒したり。そこで物語のほとんどは終わってその後に1行サラッと描かれてるでしょう?そして誰々は幸せに暮らしましたとさ、って。まさにあんな感じかな。あの一言ってすごいわよねぇ。物語のその後を、詳細は全部ストンと切り落とすみたいに。だって絶対、そして、の後の時間の方が長いわよね?だから、うん、10年ちょっともさ、そんな感じで表せるんでしょう。そして咲良はそのまま時が立つことにも気が付かず立ち尽くし続けたのでした、みたいな。

桐人は、こちらに視線を向けることもなく一気に話し出した咲良の様子を注意深く伺いながら慎重に言葉を選んで会話を繋ぐことに必死だった。咲良は、元々よく喋る。コンビニで見かけた新商品や、電車で見かけた変わった人。面白かった漫画やちょっと気になった言葉、期待して読んでつまらなかった小説の悪口、言葉にできないほど感動した小説への感情。そしていつもの咲良は、喋るのと同じくらい桐人の話も聞きたがるので、自分の話をしながら沢山の質問を挟んでくる。何が食べたい?このお菓子見たことある?昨日の夜何してた?何か面白いことあった?桐人は咲良の視線を横顔に感じながら聞かれるがままに思いついた言葉のまま話す。ふーん、そうなんだ、最高だね、嬉しそうな笑い声と共に打たれる相槌は心地よくて。だから、こちらに視線を向けずに話し続ける咲良の何かを取りこぼさないように、桐人は息を潜めて言葉を聞く。

意味わかんないかもしれないんだけどさ、急にわかってしまったのよね。フランケンシュタインの化け物ってこんな気持ちなのかなって。ああ、こんな気持ちっていうのはね、昔からものすごい劣等感と、ちょうど同じ量の優越感を感じてたのよ。ふつうに喋ると周りに言葉が伝わらない、伝わるようにするにはお芝居のセリフみたいに相手の返答まで全部予想して言葉にしなきゃだから、そうすると言葉を発した時点でもう私の中では全部のやり取りは予定調和でつまらない。ちゃんと分かってたのよ、私が賢くて強いからなんだろうなって。それが優越感。でもさ、それを隠すためだけに使い続けてるのってものすごく下らないし悲しいことで。だからうまく笑えないし、ちゃんとひとりひとりと向き合えない。もしかしたら、みんなこんな風に考えた上で楽しめてるのかも知れないし、そうすると、楽しめない私はなんて貧しい人間なんだって‥それが劣等感。だからもう、桐人に出会ってね、世界が一変したのよ。思ったままに言葉を話しても伝わる。むしろ、私が思っていなかったもっと先の言葉や考えが返って来る。頭の中の言葉のまま話していいのって本当に幸せで。本当に本当に今でもそれが一番幸せなのよ。

「でもそれってどうかしてるんでしょう?」
急にこちらを真っ直ぐに見据えてそう言ってきた咲良の視線の強さを受け止めきれず、桐人は思わず視線を逸らす。しまった、と思い咲良に視線を戻した時には、咲良はまるでこちらを見てなんかいなかったのような態度で、一瞬前の緊迫感を溶かすようにクスクスと笑っていた。咲良さん、と呼んでみると、思い出し笑いしちゃった、という楽しそうな声が返ってきた。
「桐人さ、最初のときなんであんな姿で現れたんだろうね」
「白くて小さければ、咲良さんの恐怖心が和らぐかなって」
咲良がこちらの名前を呼んで質問してくれたことに縋るように即座に回答する。あの時、咲良をあの場にあと数分引き止めたいと強く願う桐人に与えられた選択肢は、蜘蛛の姿で降りることとの1択だった。ならばせめて、と懇願した。蜘蛛どころか蚊にも蟻にも怯えるこの人のために。せめて、小さくて白い姿にさせてくれと。視界に入った瞬間に逃げられさえしなければ、絶対に伝わる自信はあった。心許ないほど小さく軽く、薄い白い姿で降りた自分を、普段の虫嫌いが嘘のように真っ直ぐに見つめて笑顔を浮かべた咲良。その笑顔に、ああやっぱりわかってくれたという喜びが即座に浮かんだ。久しぶりに自分に直接向けられた笑顔が嬉しくて、もっと笑顔にしたくて、当初の目的も忘れ、桐人は花瓶にいけられたばかりの花の間をぴょんぴょんと跳ね回った。本当に数分、引き止めたいだけだったのだ。数分後にくる自分の友人は咲良のこれからをわかりやすく隣で支えてくれるはずで。だから、自分はこの石の前にこの人をほんの数分引き留めるために降ろしてもらったはずで。咲良がこちらにそっと指先を差し出してきたからといって、その指先に飛び移る事など、本来は絶対にしてはいけないことで。でも、飛び移った爪の先のひんやりとした滑らかさにどうしようもなく心が踊って‥。
ねえ、ここから連れ出したら、罰として私も連れて行ってもらえるのかしら。
咲良のその言葉を聞いた瞬間、望む結果が手に入るなら、罰すら選択しようとする真っ黒な瞳に魂が吸い込まれてしまったから。桐人は、戻ってくる前と全く同じように見える自分の指先を咲良に差し出す。その動きや質感には何の違和感もなく、だけれども咲良にしか触れられない事実が何よりも自分の存在の異物性を物語っていた。グッと自分の体の中心に力を入れる。やはりもう一度きちんと伝えなければならない。

あのさぁ、桐人に何回言われても、私は変わらないって。もう本当は桐人はあちら側にいってしまったことはわかってる。でもその上で、あなたの名前が刻まれた石の前で白い蜘蛛の姿で現れたあなたと再会した瞬間に私は選んだんだよ。頭の中で私の記憶だけを拠り所にしたあなたに話しかけ続ける日々よりも、どんな存在になってるかは知らないけれど、絶対に私の桐人だって感じる、私の外側にいるあなたの手を取ったのよ。私の外側どころか、世界の外側にいる?なら尚更いいじゃない。誰からも理解されず祝福もされず、ひとりで好き勝手に暮らす私はとっくに世界から弾かれてるわ。そんなに辛そうな眼をしないでいいの。私の世界に必要なものをひとつだけ選ぶとしたら、それは桐人だったんだから仕方ないのよ。

咲良の両手のひんやりとした体温を両頬に感じながら、桐人は恐る恐る目線を上げる。宝石のように輝く咲良の瞳に視線が捕まり、咲良から離れるべきだという、考えるまでもなく正しいはずの判断の根拠が遠ざかる。あのとき、きちんとこちら側にいた咲良の真っ暗な瞳よりも、このおかしな程爛々と輝く瞳の方が良いと感じてしまう。だってこんなにも美しいじゃないか。

咲良は、桐人が何かを諦めたように手を伸ばしてくるのをゆっくりと見守る。やっと届いた。私にしか見えない、私にしか触ることができないらしい、今の桐人という存在。それを選ぶなんて、私ももうまともな存在ではなくなっているのかもしれない。でも、もう戻ることは出来ないとわかってしまったから。
桐人の指先の感触を待ちながら、潤んだ瞳から涙が溢れないように慎重に一度瞬きをする。目を開いたら、桐人のことが全部の私になるんだ。
ここから、始めるんだ。

シャンディ / 超特急
♬溢れたシャンディライフ シャンディライフ
 二人を創った
 君のためだけに生きていたい
 光宿したモンスター
シャンディで歌われている想いと感情。
シャンディみたいな気持ち、としか言いようのない、大切だけど直視するには怖ろしい、美しく深い輝きにもらった覚悟を、拙い物語に込めて。

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