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ことばや感情で殴られているきみへ

かつてそうであったわたしが、いま、そうであるきみへ贈ります。

世の中は理不尽なものです。道徳や倫理や正しいとされ、教えられたこれまでのこと。は、これから、ますます疑わしく通用しないものとなって行くでしょう。それは、人間が矛盾を抱えたいきものだからです。世の中が矛盾で満ちあふれているのは、そんな人間で世界が構成されているからです。

たとえば、親。わたしの場合は親でした。わたしは、ことばと感情により、彼らよりすべての侮辱と屈辱をもらいました。そのことにより、わたしは感情が死にました。じぶんがこの世のなかには存在していない。と心底感じられる離人症や、じぶんがなにを感じているか、考えているのかわからない感情鈍麻(かんじょうどんま)になりました。じぶんには、何も無い。そんな気持ちだけで、生きている時期が長くつづきました。いまも、そんな風に実感することがふと、あります。(終わりはないようです。)

親は、自分たちが子供にそんな暴力を振るっているとはわからず、(今も分かってはいないでしょう。)わたしは彼らにとって、ただ物分かりの良いだけど無気力な傾向があるこどもだったようです。いつも親からは励まされ、はっぱをかけられていましたが、それが、とてもつらかった。意を決してその辛さを訴えると、ただ一言だけ、情けない。と言われました。感情鈍麻がますますひどくなりました。

高校を卒業してからは、夜間の専門学校に2年かよい、2年ほど会社勤めやアルバイトで働いたりしたあと、親の都合で家を出て一人暮らしをすることになります。かえって、それは良いことでした。独りになったことで、わたしは考えて生きる自由を手に入れたからです。しかし、こころは病んでいたのでこのころから、現在にいたるながい時間を病院のお世話になっています。これからも、そうなのでしょう。しかし、このことが、わたしに自分との付き合いかたを教えてくれましたし、考えてもみなかった、人生を共にするパートナーと出会うことができました。パートナーとは、死によって別れが来るまで一緒かどうか。は、正直わかりません。が、いまは落ち着いて共に暮らしています。

パートナーを得たことでわかったことは、ようやく、わたしにも家族と呼べる間柄の人間が出来た、ということです。私たちのあいだには子供はいません。そして、そう遠くないうちに、わたしは女性の機能、産む、ということ。を失う年齢と時期を迎えるでしょう。生きていれば。

さらに、パートナーを得てわたしは感情鈍麻や離人症から、少しだけ解放されました。この少し、は実に大きな変化をわたしにもたらします。酒を呑んだくれて最後は野垂れ死ぬであろうところであった、そんなわたしが人生に真っ当と呼べる感覚を見つけることができたのです。立派なアル中だったわたしは、もう10年以上一滴もアルコールを口にしていません。アルコール中毒(依存症)は治りません。が、酒を毎日やめ続けること。によって(断酒  だんしゅ といいます)人生を取り戻すこと。はできるのです。これは、あらゆる依存症にも言えること。です。

このとおり、自分を失い。流されるだけ、そんな人生でも希望を、見つけることは、出来るのです。時間や、経験が解決してくれる。そういうこと。もあるでしょう。しかし、いちばん大切なことは、まずは死なないこと。(わたしは恥ずかしながら過服薬自殺をしくじりました)  それから、なにが起こっても、自分だけは自分の味方でいること。です。そのことにも疲れたら、休みましょう。ほうほうは、どんなこと。でもいいんです。(ただし、人さまに迷惑をかけるようなこと。は絶対ダメです。いずれ、自分にも返ってきますし、まず、それではこころゆくまで休めない。罪悪感って、本当に、追いつめられます。恐ろしいです。)

はじめに、人生には苦悩ありき。疲れたら、休む。これで生きること。はどうにかなります。どうにもならなくとも、そもそも人間、最後には死ぬように出来ていますから。どうにかなります。元気は、出さなくっつもいいですよ。生きているだけで、大仕事なんですから。

以上です。あなたの人生に、いま。に、ひかりが見いだせますように。

たけの。



ちゃんとするって向いてないから うっかりだけが人生だ