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縁の下の力持ちの話。

オーケストラを始めて、ヴィオラという楽器に出会って、今年の春で11年目になった。もうすぐ人生の半分をこの楽器と過ごしたことになる。

ヴィオラという楽器は、いわゆる"ヴァイオリンより一回り大きい楽器"である。新年度、自己紹介のたびにこのフレーズを何度使ったことだろうか。説明が面倒な時には自分はヴァイオリンをやっていると詐称したこともある。それほどまでに、この楽器はマイナーであり、楽器のファーストキャリアとしてヴィオラを選ぶ人は少ない。実際多くのプロヴィオリストもヴァイオリンをずっとやっていたけど、という人が多い印象。

私に関して言えば、対旋律もたまのメロディも裏打ちも、オーケストラを陰ながら支える”縁の下の力持ち”という役割に魅力を感じてこの楽器を始めました!
…なんていうのは就職活動の面接で聞かれた時用の外向きの理由。思い返せばこの楽器を始めた理由はただの"消去法,である。強いて言うなら、私が入部するときのパートトップは経験者の上手い人で楽器教えてもらえるよ、と顧問に勧められた(このトップを追いかけて楽器を続ける羽目になったと言っても過言ではない)というくらい。目立つことは嫌いだったから管楽器は嫌で、家で練習が難しいからコントラバス・打楽器は嫌で、持ち運びが大変だからチェロは嫌で、私の代には経験者が多かったからヴァイオリンは気が引けた。残ったのは、弦楽器で、そこそこ小さくて、初心者しかいないヴィオラ。まさかこんな理由で11年も続ける羽目になるなんて誰が思うだろうか。

始めてみれば、噂に聞いていた通り、メロディはない、ワルツになれば裏打ちばっかり、ドヴォルザークをやればうねうねばっかり、シューマンをやれば刻みばっかり。目立たないくせに運動量が多い。それでもなおこの楽器を10年以上も続けてしまったのは、結局のところヴィオラやクラシックの魅力にとらわれてしまっているからだと、ここ最近になって痛感する。

大学4年、学生オーケストラ団体にコンスタントに所属するのは最後の年、かつ、自分がパートのトップとなった年、コロナに見舞われたその年は、文字通り"何もできなかった1年"だった。年3回の演奏会がおじゃんになり、同期と全員顔を合わせることも出来ず静かに引退した時には、あぁ、もう楽器いいかなという想いが自然と頭をよぎった。悲しいとか、悔しいとか、そんな感情よりも先にすっと浮かんだ。

今まで参加するチャンスのある本番は全部乗る勢いで演奏会に参加していたのに、初めて演奏会のお誘いをお断りした。毎日移動時には必ず聴いていたクラシックを聴かなくなった。自分の中では今までない感情で驚きはしたけれど、大学院では研究に集中するからまぁいいかなぁとか理由づけをして見て見ぬ振りをした。友人がオーケストラの練習に向かう姿を眺めながら、本番頑張ってね、なんて乾いた返事をしていた。

ただ、今楽器に触らなくなったら本当に辞めてしまうだろうこと、そしてそれが自分の本意ではないことを薄々勘づいていたのかもしれない。楽器の練習だけは楽しくなくても毎日続けた。

さて。3月にサイレント引退をしてからもうすぐ3ヶ月経つ今現在。本番を3つ抱え込み、プロの演奏会に足を運び、研究のBGMにはクラシックを流しているわけで、結局のところ、音楽からは離れられない生活を送っている。あっけないくらいあっという間に冷却期間は過ぎた。そもそも冷却期間っていうのかな。今でもふと去年の苦い記憶が蘇ることはままあるけれど、それを上回るくらい、音楽を通じて出会えた人や、鳥肌が立つようなメロディや、痺れるような和音や、鮮やかな本番の記憶がたまらなく自分にとって大事で、音楽から離れさせてくれないんだなあと思う。


自分の好きなものを嫌いにするって1番やっちゃいけないことだなって思うんだよね

友人から言われたこの言葉が、冷却期間の特効薬になった、と思う。携帯の画面上でも、笑いながら発言してる様子が目に浮かぶ。本人は言ったことすら覚えていないだろう。
もちろん今でもボーエンの1番は供養したかったなと思うし、頑張って編曲した曲たちが眠ったままなのは切ないし、弓だけ決めた交響曲が3曲もあるのはやるせないけど、この言葉のおかげでまぁまたどこかでやれるかなって思えるようになった気がする。

縁の下の力持ち、あと少しくらい続けてもいいかなぁ

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