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情報溢れる今、選手との信頼関係をどう作る?

スポーツトレーニングの5原則に「意識性の原則」がある。
これは,そのトレーニングの目的や意味を理解して行うことで,その成果は変わるというものである。私の解釈では、理解する事はつまりは信じることに繋がり、だからこそ成果が上がるのだと思う。
この原則に基づき,トレーニング計画や内容について,選手にその意味や目的を細かく説明している指導者も少なくないだろう。

また,練習中や試合中に「考えろ」と選手に伝える指導者も多いだろう。これは種目や場面によって意味合いは様々だと思うが,場面に応じたプレーをしろだとか,上手くやるために自分なりに工夫しろだとかそういったことなのだろうと思う。

「意識性の原則」にしても,「考えてプレーする」にしても,そのトレーニングをより有効なものにするために間違いなく大切なことだと思う。実際、私も指導現場で特に意識している点だ。

その件で,難しいなと考えさせられることがあった。
地味でキツい基礎練習をしている最中に,明らかに気持ちの乗っていないA選手がいた。A選手と話をしていると「このトレーニングの目的が分からないんです。」と言うのだ。
もちろん,普段から特に意識ていることなので,そのトレーニングの目的や意味は事前に伝えている。その上でのコメントだ。
A選手は,普段から競技力向上について積極的に情報収集を行う。ネットや本,セミナーなどあらゆる手段を使って自分の疑問への答えを探す。
これもまた普段から選手たちに伝えていることで,「学びの機会を自ら積極的に作りなさい。その材料は今の時代ありとあらゆるところにある。」と。そうすると当然,身近な指導者と正反対の方法論に出会うこともある。

悩ましきはここから。
その方法論の方が選手自身にとって納得できる論であった時,身近な指導者を信じることができなくなる。

たまに指導者と選手の間に,宗教かと思うほどの関係性がある場合がある。これは,意識性の原則の延長線上にある関係性だと思っている。
要は,身近な指導者を絶対的に信じさせることによって,たとえ非合理的なものであったとしても、何の説明もなしにその指導者のトレーニングは成果が上がるものという意識になる。そうなると不思議なもので,理論を超えた成果が出る。その逆も当然ある。
その関係性が良いか悪いかは別として、それくらい選手と指導者の間に信頼関係が作れるかどうかは、競技力向上の視点でも大切なことだということだ。
もちろん信頼関係は、トレーニングの正解不正解だけで決まるものではない。しかし、未熟な競技者、指導者ほど目先の競技力向上策を持つ人や、もっともらしい意見をする人こそが正しく、そして信頼できる人と思ってしまいがちだ。

話を戻すと、結果的に今回の悩みの先には、選手と指導者の間の信頼関係が築かれずまたは、崩れ、競技力向上の一要素が失われてしまうのかもしれないという不安がある。それでも、他者のコーチングを必要とせず(むしろないからこそ)競技力を伸ばす選手もたくさんいる。それはそれで構わない。
しかし、競技者皆んながそうかと言えば、それは違う。身近にいる信頼する指導者の導きによって大成する選手も少なくない。

信頼される指導者であることを優先するとすれば、情報溢れるこの世の中で、このやり方で進んでいくことは容易ではないだろう。しかし、スポーツ選手として、人として自ら考える力(思考力)を育成しようと思えば、不特定多数の情報に触れさせる指導は絶対に必要だと考えている。

であれば、大切な事は不特定多数の情報にどのように指導者が向き合い、選手と共有するかがポイントで、その上での信頼関係の作り方を模索しなければならないという事だろう。

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