「中国語の部屋」化した日本の英語教育
「中国語の部屋」という有名な思考実験があります。だいたいこんな感じ。
この思考実験の目的は、「言葉がわかる」というのはどういうことか、をいろいろと考えることにあります。
イギリス人が中国語を理解しないのは間違いないが、部屋全体としては中国語を理解しているといえるのではないか、いや言語の意味というのはそんなに表層的なのか、そもそも意味とはなんなのか、などなど。
たしかに部屋全体としてはいろいろな解釈ができると思いますが、ひとつ重要な点が、「イギリス人は間違いなく中国語を理解していない」ということです。
さて、戦後に一般化した日本の英語教育ですが、どういう英語表現をどういう日本語に変換するか、を主軸においています。シンプルに言えば「訳し方」を覚えて、それに基づいて「日本語訳」するのが日本の英語授業の中心です。これをしばしば「文法訳読」と呼んだりします。
考えてみればこれは「中国語の部屋」に近いのではないかと思うんですよ。訳し方というマニュアルに沿って、文の各部位を日本語のフレーズに変換する。インプットとアウトプットの言語が違うだけで、やっていることは中国語の部屋と大して変わらないのではないか。
「中国語の部屋」は部屋全体としては中国語が理解できているとかんがえることもできるんですが、このイギリス人が中国語を理解しているわけではないんですよね。この文法訳読も、「部屋」全体としては英語を理解していると解釈できなくもないんですが、学習者自身が英語を理解していると言えるのか…
それも「直訳」と称する日本語なのか何なのかよくわからない語の羅列をつくるに至っては、「部屋」全体としてすら英語を理解しているとは解釈できないでしょう。そんな中国語の部屋では、外にいる中国人も中の人が中国語ができるとは思わないはず。
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