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使える筋肉、使えない筋肉論争

先日小島瑠璃子さんがインスタライブで筋トレクラスタをディスったことがクラスタ界隈で波紋を呼んでいる。

要点を順にみていこう。以下は個人の考えであることを付け加えておく。

1.筋トレは世界で一番意味が分からない

筋トレは世界で一番意味が分からないとのことだ。彼女曰く、「ラグビーをやって筋肉が付く、格闘技をやって筋肉が付く」ならよいらしい。

言わんとしてることは分からなくもない。目的がなくトレーニングをするのは何故なのかという疑問定義である。この発言の問題は2つあると予想する。

①ラグビー選手も格闘家もトレーニングは必須科目である。特にラグビー選手はウエイトトレーニングはそんじょそこらのトレーニーは裸足で逃げ出すレベルだろう。またアマチュア格闘家でも強くなろうとするならトレーニングはするだろう。

②トレーニングの目的は多岐にわたる。女性がスタイルが良くなりたいからダイエットするというのは彼女の論理では意味がないことである。競技力向上のために多くのアスリート、格闘家はトレーニングをする。もちろんボディビルダーやフィジーカーもアスリートである。

2.漫画「ファブル」で出てくるセリフ

「筋トレをの時間を格闘技に使えば能力と筋肉同時につくのに。」とのことである。確かにファブルは私も愛読しているが、この話に出てくる彼はモテるためにGYMに通っていることを自慢するのだ。しかし、その彼は対して筋肉も付いていないことが作中でもわかるだろう。また、一つ誤解しているのは格闘技をやればやるほど筋肉は大きくはならない(打撃系)。何故なら彼らは如何に筋肉を合理的に使えるかが肝になるからである。効率を求めた先にあるのは筋肥大ではない。世界最高峰のUFCを見ていいただければいいと思うが、ゴリゴリのマッチョなファイターはあまりいない(ヘビー級のファイターは除く)。つまり格闘技をやって筋肉はある程度で成長は止まるのだ(彼らはウエイトトレーニングも行っているが筋肥大目的ではない)。

3.漢たるもの使える筋肉をもっていろ

使える筋肉とは何か、「使えない筋肉などない。使えないのは本人の能力の問題である。」というのが私の持論である。なぜかと言えば、筋肉とは大きければ大きいほど出力が大きいからである。オリンピックの100m走のランナーを見てほしい。全員がマッチョである。これは瞬発力の大きい筋肉を如何に使うかというのが肝になるその証拠である。また、彼女の言うところである使えない筋肉代表の我らが「なかやまきんに君」は芸能人サバイバルバトル4連覇達成している。これは使えない筋肉云々ではなく使い手のキャパシティによるところが大きい。250ccのバイクレースで好成績を収めていたとしてもF1のレースでは勝てるかは別の話である。本人の能力のキャパシティでその筋量(出力)が使えるかが決まると筆者は考える。

4.何かあった時に使えない筋肉はだめだ

暴漢に襲われたときにどこを殴っていいかわからいなんてダメだ。これが彼女の発言である。1つは格闘家以外の競技の否定である。格闘技以外の筋肉は暴漢に襲われたときには役に立たないし、格闘技をやっていたとしても刃物相手では戦うのは得策でない。2つ目は筋肉は中途半端に格闘技をやるよりも効果的である。格闘漫画の金字塔「ホーリーランド」2巻でも筋肉のつきやすい にくいは個人差があるが誰でも手に入れることができる。技を身に着ければ強力だがとっさに使えるようになるには相当な修練が必要になるだろう。しかも状況によっては使えなかったりすることも路上においては少なくない。ー中略ー。筋力は咄嗟であろうが殴り合いだろうがつかみ合いだろうが必ず効力を発揮する一番確かな武器なのだ。これは筆者も筋トレ、格闘技を通じ感じているところである。筋力はだれに対しても平等である。趣味でやってるサッカー、野球は暴漢に襲われたとき役にたつのか??

個人的まとめ

①筋力は平等

②使えるかどうかは本人の能力次第

③いざというときに役立つのは筋肉

である。



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