こころ

夏目漱石の こころ という小説で
主人公の先生は 友人であるKを出しぬいた結果追い込んでしまったことを悔やんでいたのだとなんとなく読み流していたが

先生が後悔していたのは
友人であるKの心の苦しみを わかってあげられなかったこと 支えになれなかったこと なろうともしなかったことに 一番後悔して 苦しんだんじゃなかろうか

とふとおもった


私は人の弱さに厳しい
おそらく 自分の弱さにも。


私の心にも つもってるほこりはある
きっと他の誰の心にもある

人に言えない秘密や コンプレックス 自分の力ではどうにも抗えない現実との対峙

みんなみんな いろんな ふりつもり を心の中にかかえてる

みんなそれぞれ 出し方は異なれど
少しずつそのチリ掃除して 空気の循環して

多くの場合 もはや無意識でやってる
でもあんまりふりつもりすぎたり
お掃除がうまく回りきらなかったりすると
それこそ、無意識で 心の重荷になってしまうときがあるのかも

心の健康を維持することにおいて
不器用ながらに うまくやってる つもりだったが
ふりつもり の程度が どの程度かなんて 外からはわからない 
誰とも比較なんかできない

無意識のうちにうまくうまく心までコントロールして
心の塵掃いて
今日もうまく回ってる
そう思ってきたが

コントロールなんて忘れて 心のままに 楽しい 嬉しい 興味 関心 に全力疾走してたら
悲しみ 悔しさ 憤り 虚しさ みたいなのもデイリーに積もってて
整理整頓 掃き掃除 うっかり頻度下がって
ばーん ぷしゅー
 ・・・ てなることもあるのかもしれない

それは なんかむしろ わるいことではないというか
むしろ健全なように感じる

私という人物は つまらないなと 自分自身に感じるのは
ばーん ぷしゅー   すら しないこと

先回り先回りして 自分をととのえてしまおうとすること

それでいて ばーん ぷしゅー したひとに 寄り添えるようで寄り添いきれない

あちらからしても 大きなお世話だろうけれど。
けど 寄り添いたいのだ たぶん
心のどこかでは 本当はすごくすごく 引っ張られるくらい 心持ってかれそうなくらい 気になってる
だからこそ 抵抗してる 

そして日々 小さく小さく 悔やんでる
寄り添わなかったこと 寄り添っていないことに

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?