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「謙虚」だけど「自信がない」訳ではないので

哲学者の言葉を数回書いてきましたが、ここで少しブレイク。

私は高校時代の社会の選択で「倫理」を学んでから、「謙虚に生きる」ことを目指してきました。

それとは別に、生まれ持った顔…なのですが、父親から「垂れ眉」を遺伝されたので、何もしていなくても「困った顔」なんです。普通にぽやっと座っていたら「大丈夫?どうしたの?困ってるみたいだけど?」と友達が声をかけてくれたことがありました。その時は大笑いと気にしてもらえた事への感謝でした。

さて、その二つの事で、つまり「謙虚」でいようと控えめにいる・困った顔の私でも、考えがあって、自分なりの思いや答えを持っているのですが、よく人に「舐められ」ます。

いわゆるハラスメント、恫喝にあったり、難くせつけられたり、マウントを取られたり…です。

「謙虚」に生きたいから、私は控えめな態度で過ごそうと思っています。それはあくまでも、私の人としての生き方です。

けれど、控えめだからと言って、他人に牛耳られたり支配下に置かれたりされる存在ではなく、人には主張も思いもあります。こんな困った顔をしていても、自分がやるべきことや守っている事があって、そこから生じる「自信」もあるのですよ。

さて、少しウジウジした内容になってしまいました。

私は、最近になって少し反抗して相手を絶句させてみる事が出来るようになったけれど、そうできない控えめな人もいますよね。でも、それでいいんですよ。色んな人間がいるのは、誰にも止められないのです。他人が人を支配しようとか、「変えてあげよう」とかいう心が「悪」なのです。
あなたが日々考えていること、続けていること、守っている事、それは全部、あなたの実績です。私はそう思います。あなたは、頑張ってる。

私に、ただ座っていても「大丈夫?」と心配してくれた人がいるように、あなたがあなたでいるから、安心する人もいます。

だから、私は、あなたの傍にいたいと思います。

あなたと一緒に

花音と共に

やすらぎを感じて生きたっていいじゃない?

花音:中平 和寿子


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