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私は わたしを 守りたい。

最近、私の周囲でなされていた会話の中で
「あの子も、甘えられるようになったら、楽になれるのに…」
というのがありました。
状況としては、「少し羽目を外してふざけたことしてもいいよ」ってアドバイスした人がいて、
言われた方の子は「それはしたくないです。それをできなきゃいけないとは思いません」とキッパリ断って帰ったのです。そして、おふざけをお勧めした人が先述の言葉を呟きました。

アドバイスした方としては、少し位ふざけることができることが、心の余裕や行動の幅が広がり、本人が楽に生きられるようになるのでは…という思いがあったように感じます。

だが、しかし…。

例えば私はお酒が飲めません。すぐに酔うし、ビールも苦くて飲もうと思わない。一度ワインで酔って、次の日に二日酔いで苦しんで以来、無理して飲もうと思わないのです。私には、あえて苦しい世界に行く選択肢はありません。

飲み会もHSP気質としては疲弊する時間です。仕事の付き合いとして参加したことはありますが、家に帰ったらドッと疲れが出て泣いて、行かなきゃよかったと後悔する始末。(ほんとに仲の良い人との語らう飲み会は、ソフトドリンクで参加しますけどね)

それでも周囲の人は、「飲めたら楽しいのに!」とかいう理論でお酒の席に誘ってきます…。

ここで ふと 思うことがあります。

「これこれ出来たら良い(あるいは、楽しい)のに」って、
それは誰が感じることでしょう?

私は、最初の話題のきっぱり断った人って、凄い人だなーって思います。
「それを行う事」が、自分にとっては不要な事であると、はっきりと断れたのですから。私なら、アドバイスした側に善意があると感じるから、断りにくいことですもの。

確かにキチキチっと生きていくよりは、少し心の余裕はあった方が楽です。でも、キチキチっと生きたい人に「ほら、ふざけてもいいんだよ。やりなよ、楽しいから。ホレホレ」って、お勧めしてしまうのは酷です。きっとその人は、無理やりおふざけをやらされても、「嫌な時間」になってしまう気がするんですよね。

本人の価値観は、本人がプライドを持って守りたい本人の生き様に反映されます。

こんな私も、時に美味しそうなラベルのお酒を少し舐めてみることはあります(そして、呑んべぇのパートナーにあげちゃいます)。そうやって、人は少し興味が出たら試そうと思うものです。全く拒否ではなく、いずれそう思った時に挑戦して、「ああ、あの時勧めてくれた人がいたな」でも良いと思います。それまでは、堅苦しく生きている本人でもいいじゃないですか。本人には、それが楽なんです。

アドバイスを断ると「人の言うことを聞かない」等と批判されがちですが、本人の思いを見守る事や、本人がその世界の価値に気づくのを待つことも思いやりではないでしょうか。

集団で何かを行うことを美徳としていた時代もありましたが、本人の個性を大切にし、皆がのびのびと生きていける空気になっていったらいいな…と願うばかりです。

あなたにも、私にも、

心にやすらぎがあったっていいじゃない。

花音と共に願っています。

花音:中平 和寿子

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