邪馬台国四国説を考える

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卑弥呼が中国王朝に献上した鉱物の採掘場所が、

若杉山辰砂採掘現場で発見され、

女王卑弥呼は阿波女だった説が俄に浮上している。

卑弥呼は女王と言うよりは巫女であり神官の役目を担い、

殆ど人民の前には顔を見せず、

政治は神託によって弟に告げられ邪馬台国を治めていた。


当時の邪馬台国は連合国家に近く、

他の国にも女帝がいたらしい。

卑弥呼の後継者もトヨと言い、

卑弥呼が死亡した後に弟が統治したが国が治まらず

卑弥呼との血を引き、巫女であったトヨが引き継ぐと

国が治まったと古事記には記載されている

やはり古代には巫女に依る神託政治が主流だったらしい

現代で言えばチャネラーだった訳で、

古代日本には女性優位の時代があったらしい。


この源泉は、海女などが食糧確保の役を担って主導的役割を果たしていた事も関係すると思われる

男性は狩猟に出ても獲物を必ずしも

持ち帰る訳でもなかったので、

海洋資源から豊富に取れる魚介類によって

部族の食料が賄われた現実が基盤となったと

日本のルーツを探る通信教育の教材には書いてあった。



四国はマカ不思議な処で、

空海が八十八箇所の札所で内陸部に

他人が一切立ち入られないように結界を引き、

神社は全てお寺に変わった。

この真意は逆に「本当の神を隠した」と言う事だろうし、

神聖な場所を巧妙に守るという意図が滲んでいる。


魏志倭人伝からの邪馬台国への航路を中国から順に韓半島、

対馬を辿ると、どうしても距離や日数では九州は当てはまらない。

それが対馬から瀬戸内に入り、香川当たりから上陸し、

それから陸路を四万十川の流れを逆に

四国内部の高地に入ると記紀の記述とも一致し、

正に、標高2000㍍級の堂々たる山並みが続き、

「高千穂の峯々」が現れる。


豊葦原の瑞穂の国、

失われた十戒石・アークもこの本当の霊山に存在する必然性がある

アークは、大剣山の高千穂峰の急斜面に自然にできた

洞窟の中に隠されそれが岩で封印されている。


大和朝廷に壬申の乱で易姓革命が起こった時、

天智天皇を抹殺し、後継者争いを制した大海の王子事、

天武天皇は中国皇帝が混乱に付け込んで大和国に攻め入る事を恐れ

アークを秘密裏に四国に移し、

本当の大和の国の場所も九州にカモフラージュし、

高千穂の地名もさもありなんの地に冠名する。

富士山もしかりであり、

富士山の本来の名前は浅間山であり、

富士山には今でも浅間神社が鎮座している。


空海の叔父は古神道の神官であり、

空海の悟りには古神道の基盤があり景教の影響も感じられる、

それ故に遣唐使として唐に渡ったが、

直ぐには長安に行かずにネトリウス教(景教)、

つまり、原始キリスト教に触れていた事が判る。


長安に到着し、1ヶ月で惠果大師は空海に仏教の勧請を与え、

半年後の惠果大師の葬儀委員長にも任じている。

これらは尋常では考えられない事。

つまりは、仏教の極意の中に、

原始キリスト教(景教)の教えが共通して存在していた為であろう。


5大宗教の元は一つ、発信元は一つに他ならない。

最高創造主はひとりだから当然の事。

枝葉末節は後に人間が歪めて、

その時代や民族に告げ弘めたものに過ぎない。

日本にアークが存在する必然性を語るには

紙面が足りないので又の機会とする。


私の家内の姉弟が九州の宮崎県に居るので、

若い頃にレンタカーを借りて、

宮崎県つまり日向の国を一周した。

高千穂峰や高千穂峡、西都原古墳の数々の古墳も見学した。

神社の数の多いのにもビックリしたが、

流石に、神武こと、磐余彦が猿田彦と共同して、

倭朝廷に東征軍を率いた元の地である。


古事記にも、神武天皇の東征は苦労した事が記されているが、その戦いの最中に兄を失っている事は削除されている。記載されて居るのは日本の古文書にのみ

戦った相手は長鬆彦とその兄の安日彦であり、

最後の瀬戸内海を海軍で攻め上げる作戦が、

長鬆彦らの油断を突き、攻め崩す。

長鬆彦と兄の安日彦は蝦夷の地に逃れ、

途中に塩竃の地で、天日塩の製法を地元民に教え、

その功績から、塩の神と崇められ、荒吐神とも称される。

アラバキロックフェスティバルの由来も其処から来ている。

そろそろ、神話の歴史がリアルな歴史として

解明される時代が来たのかも知れない。

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