東日本大震災の回想


3.11の東日本大震災から10年が経過しました。あの直後に話題になった「英語のメール文」の事を知ってますか?
「日本人はチャンピオン」と題するそのメール文はその後、一人歩きして 世界中に行き渡り、当時の南アフリカのマンデラ大統領も国連での発言に引用した程です。

       それは、「日本から学ぶ10のこと」として
1,落ち着き。
  胸をたたいて悲しみを表現した、狂ったように悲しみを見せるシーンは一度も見  られなかった。悲しみそのものが昇華されたように思える。

2,威厳。
  生活必需品を買うために日びとが粛然として並んでいる。荒々しい言葉や振る  舞いは見られない。

3,能力。
  信じられないような建築技術。建物は揺れたが倒れない建物が多かった。

4,優雅さ。
  誰もが何かを買えるように、いま自分がひつようなものだけを買う人が多かっ   た。

5,秩序。
  略奪はなく、道路でも追い越そうとしたり、クラクションを鳴らす光景は見られな   かった。

6,犠牲。
  福島原子力発電所でぱ50人の人たちが海水を原子炉に放水する為に残って   働いた。彼らの労働に対する正当な対価などありえるだろうか。

7,優しさ。
  レストランは値引きをし、ATMはそのまま放置されても犯罪は起こらなかった。   強者が弱者の面倒を見た。

8,訓練。
  お年寄りも子どもたちもどう行動するべきかを知っていてそれを実行した。

9,メディア。
  抑制した報道に徹し、混乱を招くようなおかしなニュース報道はされず、淡々と   した報道がなされた。

10 良心。
  店が突然停電になったとき、買い物をしていた人たちは品物をそっと棚に戻して  静かに去っていった。

この記事の前に、「日本人が完璧とは言わないが」という但し書きが付いていたそうです。

被災者の体験として、確かに突然に降って湧いてきた様なあの困難な状況に、泣き叫んだり、喚いている人は見掛けませんでした。寧ろ、淡々として、落ち着いていると言うより、「なすがまま」として受け入れるより他に選択肢がなかったと言えます。

大事なことは、あの教訓から何を学び、その後の生活に如何に生かしていくかの方だと想います。生き残った者達は、替わりとなって生命を供した尊い魂達のお陰で生かされた、其れが真実のようです。

3、11でそんなに建物倒壊がなかったのは真実です。私は建築構造技術者でもあるので、専門的に考察しても、古い構造規準で建てられた建物の保有耐力だと、3.11の時の地震のエネルギーM9.3はとてつもないエネルギーです。新耐震基準の設定値と比較しても2.5倍のエネルギーだったのです。後は、その建物の主要構造部以外の余力の多さとか、太平洋での海抜55㎞下からの地震波ですから、最初に到達するプライマリー派は縦揺れになります。その後の波は速度と距離に依って波が倒れて横波になり、横揺れ主体になります。後は、太平洋は内陸から観て東になるので、日本の建物は殆どが南向きですから、桁行き方向の長さや耐震要素で揺れや被害が支配されます。マンションやアパートは桁行きに長いので滅多に倒壊はしませんが、外壁や柱は場合によっては損傷します。
それでも。建築基準法は60年に一度の大地震を想定した範囲での経済効率も考慮しているので、余りに耐震要素偏重だとコストばかり掛かって合理的ではありません。

震災後に確かに略奪や暴動などは起きませんでした。それでも離島では1日1個のおにぎりしか届かなかったり、充分に行き渡らなかったケースもありました。

スーバーでは、日頃の顧客が早朝からキチンと列を乱さず並んでいました。
私が目撃したスーパーでは、列を乱した遊び人風の男性が、店の店員に大声上げて文句を言ってました。男性店員等は無視して聞かないふりでしたが、レジチーフと言う女性が敢然と対処し、「皆さんに迷惑ですから、キチンと並んで下さい」と直接、相手の眼を観て言っていました。私は、「勇気のある女性だな」と感心しました。その男は渋々、従っていました。その店では飲料のケースが棚から落ちて散乱し、天井も照明器具やエアコンも一部落下していたので、販売は店頭に並べて販売していました。販売開始前に、店員がケースから無事に残ったヤクルトを、店頭に並んだ顧客に、「頑張って下さい」言いながら無償で渡していました。

我が家にも、ご無沙汰していた娘の小学校の同級生の娘さんがやって来て、「おばちゃん処に、水ありますか?」と言って来てくれて、何でも、「嫁ぎ先の実家に井戸があるので、飲める水が沢山ある」と言うのです。トイレの水は用水路の水で凌いでいたが、流石に飲める水は炊飯にも必要だったので助かった。こんな時に日本人の優しさを再発見するものだ。

私がスーパーの惣菜部から貰ってきた食材で1週間は凌げた。無論、実家や兄弟達、そして近所にもお裾分けをしたら、皆んながまともな料理らしい物とあって喜んでいた。

震災後には、心なしか皆んなが優しくなった様な、そして、何かしら、連帯感を感じたものだった。それらのコミュニティーを優先し、他人と自分の境を取り去る体験をさせられた様な気もする。こう言う体験は、言われただけでは実践などは無理な事。心が通じ合う様な希有な体験を、この時代で共有した事に意義あるのだと感じる。

「のど元過ぎれば、・・・・」とか、「天災は忘れた頃にやってくる」とか、「治にいて乱を忘れず」とか、故人は名言を残している。飽食の時代やいじめの問題も根深く存在する昨今、被災地だけの試練として忘れ去る事は日本の為にもならない事である。

シュバイツアー博士の言葉に、「人間は等しく、他人の重荷を背負わなければならない」と言う風な格言があったと思う。

正に、この時代に生きるというのは、運命共同体の一員なのだという「自覚」を忘れないようにしたいと思う。だから、微力ながら、「セーブザチドレン」と「カモノハシプロジェクト」と毎月献金を継続している、珠に余裕のある時には「国境なき医師団」に単発で寄付している。何時まで仕事を現役で続けられるかは分からないが、「初心忘れざるべからず」、想い経った事は実践し、継続しなければ意味がないものと想う。

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