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おさがりのプラニッパー/お悩み相談・スペシャル(2023/5月)

 サムネになるようなもん何もないんだわ。この間疲れをいやそうと飲んでたら授業に間に合うバス逃しそうになって全然味しなかったスタバのイチゴのやつだよ。

ガンプラを買いに

 初めて模型屋にガンプラを買いに行った。ガンダムに触れて二年ほど経ち、当然ガンプラにも興味津々だったのだが、なかなか手を伸ばせなかった。どこに売ってるどれが良い感じの値段のものなのか、どうなってると良くないのか。さっぱりわからない。下手にネットで買うといわゆる「転売価格」らしいところが多いし、とにかく単純に模型屋に一人で行く勇気が無かった。
 しかしつい先日、大学のゼミの院生が、身内でガンプラ同好会をやっているらしいと知った。話を聞くと、大学近くにある模型屋を教えてくれた。一緒にその話を聞いていた同期はガンダムはさっぱりだが、プラモデル好きとのことで、一緒に行ってくれることになった。
 同期は、うんうんと微笑んでわかっていそうに聞いていたが、「正直なんにもわからなかった」との事である。

「一年戦争前後の外伝、膨大過ぎてわかんないですよねえ」
「一年戦争の後も軍とそれに反発する人たちで連邦内部でも分かれていくしねえ」
「勢力図が複雑化して、グリプス戦役ってかなり複雑ですよねえ」
「アクシズなんかも出てくるしねえ」
「軍部が台頭することでレジスタンスとかで戦力が分裂して、単に国とか1つの軍の話じゃなくなりますもんねえ」
「一年戦争自体はアムロが主人公なのもあって連邦軍vsジオンで見れたもんねえ」
 周囲に宇宙世紀ガンダムを観ている人がほぼいなかったので会話できるのが嬉しく、元気に話しすぎてしまったせいで、同期はこんな会話に10分近く付き合わされることになっていたのだ。楽しかったけど。ごめん。
 ちなみに私はZが一番好き。カミーユの本編での顛末とアムロ・シャアの功罪について、寝る前とかよく考えて生きている。

 さて、人生初・模型屋ガンプラ購入チャレンジの時がやってきた。前日までに場所はもちろん、店のSNSのチェックは済ませている。「ガンプラは1日ひとり一点まで」と書いてあったのも確認済みだ。いざ……。
 土曜日なのもあってかやや混んでいる。小さい店舗ながら近くのプラモデル好きにはお決まりの場所になっているらしく、店員と親しげに会話する男性客もいた。怖い。店構えからして「一見さん?困るね……うちはわかってる人向けだよ」を感じて、完全にビビっていた。本当はそんなことないだろうし、若い初心者ふたちがビビりながら入ってきたら捕まえて何かと教え込みたくなるのが面倒なオタク根性というもの。比較的歓迎はしてくれていた……んじゃないかと思っている。勝手に。
 それで、なかなかの混みようにもしっかり売り切れているミカエリスの棚にもビビりながら、HGベギルペンデを買ってきた。やっぱグラスレーのMSはセクシーでかっこいいな。
 絶対また来てやる、と決めたのでポイントカードも作ってもらった。俺はやるんだ。
 その後、近くにあったマックでチキンタツタを食いながら駄弁り、本屋で「タローマンクロニクル」を買って帰った。帰るためのバス停探しにやや難航したものの、なんとか乗り切ったのだった。

タミヤのプラニッパー

 当日がかなりの夏日であったことで疲弊しており、帰宅してすぐ!とはいかなかった。週末明け、月曜日に夕食を済ませたあと箱を開け、ちまちま組み始めた。とりあえず素組を綺麗にできるようになりたい。
 プラモデル制作はずぶの素人だが、タミヤのプラスチック用ニッパーや各種ヤスリ、小型ペンチなどは当たり前に家にある。何故なら小さい頃から工作好きだったせいで、卓上のペン立てには当たり前にそれらが入っているからだ。ヤスリに関しては大学で工芸をやっている関係でアホみたいに使うので、山ほどある。
 しかし、このプラ用ニッパーは確か、中学生のころに親父から貰ったものである。タミヤのマークがついている事を今まで意識したことがなかった。模型屋で死ぬほどこのロゴを見てきてやっと目についた。思い返してみれば、幼少期、洋服ダンスの上にガンプラが積まれていた気がする。いや絶対あった。だってあれ、量産型ザクだったもん。シャアザクもあったと思う。あれ?これ、親父がガンプラ作ってたときのやつじゃね。
 親父は、趣味の漫画とゲームを母親にどかどか売られたりしても声を荒げなかった男である。小学生の私が「あの漫画よみたい、昔家にあったよね」と言う度に「ああ、ママが売っちゃったかもな」と静かに言っていた。私が憤慨しても、いいよ、というだけで黙った。日頃は、娘にも妻にも部下にも言葉を選ばずに物を言い、いい大人の部下を泣かせたりするくらい怖い人がそれきり黙った。だから、私も母に文句をつけたり、責め立てたりはしなかった。未だに直接、どう思っているのかとか聞けずにいる。彼は自分から愚痴を言う事すらしなかったから、実際プラモデルたちがどうなったのかは知らない。でも、多分漫画やゲームと同じような事だろう。
 私がサン宝石と簡単なアクセサリー制作にハマってた頃、小さいプラスチックチェーンなんかをいじっていたら「これ使えば。金属用と分けなよ」と自分のPCの横の棚からタミヤのプラニッパーを出してきて差し出したのだ。「あげるよ」と。
 親父としては、もう使わないけどデスク横にまだプラニッパーとか置いてあったから、娘が何か知らんが工作とかで使うんだったら、あげちゃっていいか……くらいだったかもしれない。でも、今大学生になった私が地元から離れた土地でひとり、自分で買ったガンプラを組むため手に取ったのはこのプラニッパーである。かつて、幼い私が眠った後にぱちぱちとザクのバックパックをランナーから切り離していたかもしれないプラニッパーだ。それがなんとなく嬉しかった。

お悩み相談・スペシャル

 ほったらかしにしていた「いろいろ相談」フォームに、知らぬ間に悩める素敵な人類たちからお悩みが、ふたつも……。
 なんか大体「いいのか、私にそんなこと聞いて……」みたいな内容だが、匿名・長文可・知ってる人相手・なんでもOKというのは、なかなか相談しやすい窓口かもしれない。私は普段、日頃の行いや機嫌によって言動が変わるせいで「お悩み相談」をされる機会がほぼない。機会があってもリアルタイムで他人の不安に付き合っていると私自身が持たないので回避してしまうし、「いつ答えてもいいし答えなくても良いが、私に対する相談のトピックが存在している」のは本当にうれしい。たとえ文章を送信すること自体で不安を解消し自覚的になるための自己完結的な行動によるものでも、それにお答えする権利が私に生じているのが嬉しいね。お悩み相談に答えるポテンシャルがキモすぎるからこのくらいにしておこう。
 早速本題だ。ひとりめ!

 今回から質問文は要約させてもらう。身内コミュニティ中心に公開しているnoteで自分の文そのまま公開されると、誰もわかってなくても誰かバレるような気がして怖い感じがするだろうな、ということで。
 私ならそうだな…という事だが、自意識過剰か?自分で世界を認識しながら生きていく以上は持つことのできる視点は真の意味では自分のものしか無いんだから、自意識は過剰くらいでちょうどいいだろ。うるせえ!こうして仮想敵に吠えてるくらいの滑稽さがあったっていいんだからな。見てろよ。

その1 漠然とした不安

Q.将来について漠然とした不安を抱えています。このままじゃダメだとはわかっているのですが、不安感が強すぎて行動に結び付きません。そも、人生に対して当事者意識が薄く、不安になっても現実逃避してしまいます。

A.私もそうでした。どうすればいいんですか?

あっ間違えて質問で返しちゃった。身に覚えがありすぎる。

A.ある程度迫りつつある危機感を前に現実逃避ができるのは才能なので、出来る限りちゃらんぽらんになるしかないと思う。
 不安の解消方法は専門の人に聞いてもらうしかないので、私は超不安の爆弾を抱えて生きる前提で考えたことを書きます。
 不安→現実逃避の流れの存在自体が貴方の中の危機感を示唆してるんじゃないでしょうか。具体性を欠いた漠然とした不安でも、「このままではいけない」「立ち行かなくなる気がする」的な危機感があるから先が不安になるんじゃないでしょうか。わかんないので問いかけまくるけど。これらは適宜おのれの心に問いかけて相談してください。よろしくお願いします。
 私は「不安で動けない自分を責める」ための自分も過負荷に感じて放棄しようとしがちなので、「このままでは良くない気がする~」がしっかり不安の核にあること自体すごいと思う。「あ~このままじゃダメだよ~」は、危機感であり、言い換えれば向上心みたいなものである。向いている方向こそ違えど、「もっとよくならなければ」の言い換えに過ぎない気がする。
 じゃあ「ちゃらんぽらんになるしかない」とは何なのかというと、私がしている事である。ヤバいな、しんどいな、と思いながらも現実逃避に耽ることが出来るのは才能だ。だって現実やばいんだぜ、外的要因で人命に関わるとかではないのに、精神が疲弊して元気に生きていく気力もなく、調子が悪ければ死まで連想してしまうくらいヤバいのに、一旦置いておくことができる
 それは実際、心がギリギリの防衛線をする中で行う戦略的撤退であり回避なのだが、ここは都合よく捉えておこうよ。胆力があるんじゃないかとか、想像力が豊かだとか、そういうことにしておくと、ちょっとだけどっかり構えることが出来る気がする。
 個人的に、不安の本質は「わからなさ」、不明瞭さである。だから不安自体の解像度を上げないと、とるべき行動もわからない。行動がわからないと「漠然とした不安」は幅を利かせる。感覚としてみんなわかっている事だと思う。だって、この不明瞭さを払拭し、問題を問題として分析して関連ワードをググれるくらいの気力があったら、もうやってるよ!聞こえています、その声が。
 解決に入るための情報収集に入るための行動ポイントが足りてないのに状態異常で時間経過のスリップダメージを喰らい続ける羽目になっている。じゃあ今既にできている現実逃避を利用して、ある程度ちゃらんぽらんになるしかない。そうして「まあ、私って結構いけてるしな」くらいの適当さが生まれたら、自分の心の隙を狙って「そう思っているだけの胆力があるしな」と自己暗示していく。私はそうやっています。大体どうにもならないけど。そういうときは新しく推し作るか、太陽浴びるか、ただ時が流れるのを待つしかない。
 せっかく考えた事かいたのに振り出しに戻しちゃった。現実はかなりどうしようもないが、とにかく小さい余裕を生み出さないと「不安なのに動けないどうしようもなさ」は変化しない。都合よくいろんな事を忘れたり放棄することじゃないでしょうか。「不明瞭さの払拭」がカギだと思う。
 こんなこと言ったって、できないときはできないけど。どうしようもなくいる間も人生で、日々感じたり考えたりしてることは、意味らしい意味を感じられなくとも尊いものだと思う。綺麗事でキショいことを気休めで添えてんじゃないからな。そう思わないと生きてられないからだ。常に後付けで意味と価値を付与した方がいい。その期間に本当にクソほどの価値も見いだせないなら相対的に人生の良かった瞬間を美化しろ。その方が良いに決まってるよ。
 具体的な状況や内容は全く違うんだろうけど、感じ方は自分とそっくりだから、かなり自分事としても有意義な思考になったと思う。相談してくれてありがとうございました。
 元の相談本文には「自分の人間性がカスなだけではあるのですがカスなりに悩んでいます。」という一文が添えられていたので省略するか迷った。わかる。私もそうだよ(知ってる人かも、だから相談してくれたのか?)。出来るだけなあなあにできるタスクは放棄していこう!次!

その2 思考と抽出のプロセス(そして推敲)

Q.最近思考がしっちゃかめっちゃかになってしまいます。例えば文章を書くとき、素敵な事を思いついて今すぐ書き起こしたい!と思ってnoteとかを開いても、その瞬間何が言いたいかわからなくなったり、違う結論に至ったり、逆のこと考えてたり、それに対する批判まで湧いてきて、結局文章が書けません。これから卒論を書くにあたってかなりの不安要素なので、云々さんの思考の捉え方を聞きたいです。

A.どう考えても長くなりそうなことを聞かれたので、面倒くさい文章で返してやるぞ。卒論についての不安の解決が本題のようだし、文章を書くときに絞って考えてみます。
 まず思うのは「しっちゃかめっちゃかになって抜け落ちてしまうようなことは無視していい」という事だ。私は、何か思案しているつもりでなくとも、いつもしっちゃかめっちゃかである。しかし、わかんなくなって書けない、と思ったことはほぼ無い。何故なら文章にしなくても良いと思っているからだ。大抵、思考そのものは文章にするに堪えない程度の質で、凄腕の作家でもない限り思考は文章になり得ない。しっちゃかめっちゃかで当然である。常に思考をはじめから文章にできるとか、そうそう無いんだから。
 しっちゃかめっちゃかの中、何を「書く」のかと言えば、しっちゃかめっちゃかの過程自体だと思っている。文章にならずとも、箇条書き、図、らくがきで「思考した事と過程を記しておく」ことが大切だと思う。「書き起こしたいと思う」「変化する」「それに反発する」というプロセスに自覚的であるなら、それを記録することはそこまで難しくないのではないでしょうか。思考でのたうち回った結果の記録が断片的にでもあれば、時間をおいて再び見たときに整理できるし、新たに湧き上がってくるものがあれば再び乱雑に書き留めておけばいい。
 私がレポートや書き物前によくやるのは、ノートを開いてボールペンで書きたい!と思った事を(前後の繋がり気にせず)箇条書きする。繋がりが見えたところを色ペンで繋いで、脳内にある情報や意見を可視化しながら整理する。最初から文章なんて書けないから!

以上。5月上旬に書き始めたのに、いろんな嫌な事に見舞われて6月になってしまった。こんな調子ですっとろく進めているnoteだが、お悩み自体はいつでも募集しているので(急を要する話題以外は)なんでもどうぞ。
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