どうも、小暮ようです。

こんにちは、小暮ようです。

読者の皆さま、初めまして。小暮ようと申します。
知り合いに勧められて1記事書いてみることにしました。新参者ですが、どうか優しい目で迎え入れてもらえると嬉しいです。
小暮は長いこと趣味で物書きをしております。あくまで趣味で上手くはありませんが、好きです。どのぐらいの人がこの感覚に共感できるか分かりませんが、常に頭の中に別の世界がある感覚です。もう、好きというより日常です。
さて、ここでは年齢も性別も立場も全く明かさず、小暮の書きたいことをただつらつらと書きたいと思います。物語でも何でもない、日記に近いものとお考え下さい。だから、読んでも読まなくても構いません。たまにきてざっと読んでふーんとなって下さい。そんなお気楽なものです。
と、紹介はここまでにして、今日は試しにこの間行ったところについて書きます。

夏と、銭湯と、歩道橋

先日、小暮は軽く自転車を走らせて銭湯に向かいました。日が西に傾く午後五時。走れば当たるぬるい風、綺麗なオレンジ色とまでいかない空、遠くで存在が確認できる蝉の声。
そんな途中、小暮は歩道橋を渡りました。自転車だったからぐるぐると坂を上って道路の上を渡す橋の上に着きました。この街には背の高いビルやマンションなんてないから、ちょっと高いところに立っただけで空がちゃんと見えた。そのときふと思ったんです。「あ、この風景、好き」。

昔よく通ったおばあちゃんの家の三階から見える景色にそっくりでした。別にそんな遠い場所ではないですが、いろいろ事情があって行けなくなってしまいました。
小暮はそういう景色とか、雰囲気とかに出会うのが好きです。

小暮は無駄な時間が好きです。朝目が覚めて起き上がりもせずにタオルケットにただくるまったり、空いた電車で座って車窓を眺めたり。週明けからの生産性を上げるためのリフレッシュとか、そんな将来のための充電とかではありません。ただ、その何もない時間を過ごす。そこには何の意味もありません。
小暮は思います。そういう時間こそが一番人間らしいのではないか、と。
今、世の中で効率化とか叫ばれているけれど、確かにそれは悪いことではない。無駄な時間は省いて限りある時間を有効活用しよう。それがより高い生産性に繋がる。
しかし、小暮にはそれがときに窮屈に思えるのです。ただぼっーとするとか、あととか先とか考えずにただ感じるとか、そういうことって人間のもとある姿なのではないか、と。価値があるとか、必要とか、そういうものですらない。ただ、それが人間としてありのままではないか、と。
ちなみに、だから小暮はアンニュイな雰囲気のするドラマとか小説とかも好きです。

終わりに

結論はよく分からなくなってしまいましたが、まあそういうのが好きだという雰囲気だけでも分かってもらえればうれしいです。
次回はどんな中身になるか、そもそも次はあるのか分かりませんが、読んでいただければ嬉しいです。
それでは、またお会いできましたら。

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