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結婚式の今昔

<古い記憶より> こんな事ありました

1971年(S.46年)
はしだのりひことクライマックス
作詞:北山修
作曲:端田宣彦・坂庭省悟


まだ私がうら若き乙女の頃に流行った曲。駆け落ちであろうと思われる状況なのに悲壮感は全く無く、力強く前向きな曲です。

駆け落ちで、駆け落ち同然で、ご結婚された方もあろうかと思いますが、私の周りには、おられませんでした。私の知っている限りではです。
若い頃は、少し憧れていましたけれども、そうせざるを得ない状況には残念ながら(?)なりませんでした。

この曲を久しぶりに耳にして、今と昔の結婚式の違いを思い出すままに少し書いてみます。

最近の式場での結婚式は、昔とそんなには違いがないかと思いますが、一番違うのは仲人さんがおられない事。少なくとも最近、私が出席した披露宴にはおられませんでした。カジュアル婚と言われるものかな?

私も頼まれ仲人を経験しましたが、ひな壇に仲人がいないと、形にならないと思われていた時代。特に恋愛結婚をされた方からの需要があったのですね。

また、最近の若いお二人が積極的に式の企画などに初めから関わって、自分達の考えを大きく反映されている事。なかなか見事にコーディネートされた暖かい素敵な披露宴となり、羨ましくもありました。

私達は、まさに式場のお仕着せ、そのままでしたけれどね。


私が若かりし頃は、結婚式の後、すぐに新婚旅行に向かう事が多かったように思います。
お式の流れのまま、新婚さん二人と親戚や友人などが駅のホームに同行し、万歳三唱や新郎を胴上げすると言う、今にして思えばメチャクチャ恥ずかしい祝福と言うか激励と言うか、儀式?でしたね。

まあ、当時は新幹線のホームで、よく見かけました。
私の場合、恥ずかしいからやめて欲しいと頼んだのですが、そうするものだと受け入れてもらえませんでした。
私達はハワイのレイのようなものを首にかけられ、新郎は赤マムシドリンクがたくさんくっ付けられたレイをプラスアルファーされておりました。

初めてグリーン車に乗りました。初めてのグリーン車が新婚旅行であった方は多いかと。

乗客の方々が、車両がホームを離れると、立ち上がって「おめでとう」と祝福の拍手とともに声をかけてくださいました。嬉し恥ずかし、でしたね。

主人が例の赤マムシドリンクを乗客の方のおひとりに、もらってくださいと頼んでいましたが、「必要だから持って行きなさい」といわれ、周囲から笑い声が湧き上がり、花嫁は恥ずかしい思いをしたのも懐かし思い出となりました。

新婚旅行のお二人は、すぐに新婚旅行中である事が誰の目にも明らかでした。
判で押したような服装の新婚さんが多かったからです。二人とも真新しいスーツに身を固め、新婦は大抵帽子を被り、これも真新しそうなハンドバッグを手にして歩いておられました。当時の旅行カバンはスーツケースかボストンバックで、キャリーはまだ見なかったですね。

私どもの新婚旅行は40年程昔の事ですが、沖縄の久米島で滞在型で数日を過ごしました。空と海と砂の美しさを今でも思い出します。

万が一、もう一度、新婚旅行に行く事があれば
世界を一周してみたいです(笑)


コロナ禍で不安の多い中、結婚式を延期されたり、予定のままで何も定まらない方もたくさんおられるのでしょう。コロナが終息する日が一日でも早く訪れますよう、願ってやみません。


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動画を初めて入れてみました。
成功!嬉しいです😊