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花吹雪 シロクマ文芸部

花吹雪のトンネルの入り口、そこで待っていたのは20年前の母だった。ふくよかな身体に和服姿の母は当時見慣れた姿のまま。胸のあたりで懐かしげに手を振ってくれていた。
20年前の約束は守られた。

母は70歳で旅立った。
その時約束したのだ。私が70歳になったら会いに行くと。

そして、私は70歳になってこの日を迎えた。会いたかった母。
私たちは今、同じ70歳。母と言うより懐かしい友に出会っているような気もした。

桜の散りゆく中で私たちは肩を寄せ合って歩いた。
話すことはたくさんあると思われたが、何も言えない。父の事も尋ねたかったが、どう切り出したものか迷う。色々あったから。母も私を見つめて笑顔を見せるだけ。


ふと、聞こえてきたのは幼い頃一緒に歌っていた童謡。
母が小さな声で『花嫁人形』を口ずさんでいる。
母はこの歌がとても好きだった。一緒に歌おうと誘っているのだ。
今、歌うと泣き出しそうな気がした。

幼い頃、私の歌をいつも上手、上手と褒めてくれた。私が歌う事が好きなのも母が褒めてくれたからだ。
ずっと並び立っていた桜の木は少し先で途切れる。花風吹のトンネルもそろそろ終わる。

「私も70歳の母と会った事があったのよ」
「おばあちゃんと?」
「あなたも、あなたが亡くなった歳に娘がなったらね」
我が家系のルーティンなのだろうか。知らなかった。

いつの間にか、二人で『花嫁人形』を歌っていた。
花吹雪が最後の挨拶のように大きく吹き抜けた。そして、母を連れ去って行った。あっという間の出来事。


私は小さく母にさよならの手を振る。私もそろそろなのかもしれない。なんだか待ち遠しいようにも思えた。

私は桜の花びらを一枚拾いそっと息を吹きかけた。花びらは先ほどの花風吹を追いかけて行く。


立ち止まった私。
気の早い夏の風が遠慮がちに私の背中を押してくれた。







花風吹、美しい日本語ですね。
小牧幸助部長の企画、『花風吹』に参加させて頂きました。


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#ショートストーリー