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(a+b+c)³ ショートストーリー

朝方、夢を見た。
中学生くらいの少年が現れ、「この問題、解ける?」と言って来たのは、優しい目をした少年だった。
差し出された紙を見たら、(a+b+c)³ と書いてある。 

えーっ!? と思って数字を見ていると目が覚めた。
なんでこんな夢を見たのだろう。
テスト中に白紙のままで焦っている夢を見た事があるけれど、類似的なもの?
まあ夢だし、夢に意味は無いよね。そう思った。

でも、この夢は夢で終わらなかった。

その日の夜、またあの少年が私の枕元に現れた。

その少年を私は少しも怖く無かったが、この世のものでは無い事はわかっていた。

少年は話始める。私はベットに正座し、彼と向かいあう。会った事があるのだろうか、なんだか。

「僕は、武といいます。数学の問題を解いていた時、爆撃のため命を落としました。もう70年以上も前の事です。それで、やっていた数学の答えをきちんと出したかった」

「あの展開ね?」

「はい、ですが、答えを導き出す途中だったと言うだけの事で、僕がこの世に思いを残し、これまで成仏できなかったなんて。なんか、未練タラタラで恥ずかしいのですが、お願いがあります」

彼は、もっと生きて、どんなにか沢山の事を学びたかったろう。私は、そう思うと胸がいっぱいになった。

「私にできる事ですか」
「はい、お願いしたいのは(a+b+c)³の展開をこの紙に書いて、渡して欲しいのです」
そう言って、頭を下げた。

私は机に向かい、彼の差し出した紙に、気持ちを込めて丁寧に展開を書き込んだ。

振り向いて、武少年にその紙を渡した。心無しか、彼は先程より少し透けて見える気がした。

「ありがとう、感謝します」
そう言って彼は消えた。しばらくの間、私はボーっとしていたようだ。
大きなため息をついた。

きっと彼は成仏できたと信じたかった。
彼の助けになったと信じたかった。


しばらくして、父方の祖母が亡くなった。


四十九日の法要の後、納骨の為墓所に親族と共に訪れた。

親戚一同で墓を清め終わると、僧侶の読経が始まった。
祖母の生前の優しい顔が、途切れる事なく浮かんでくる。誰にも優しい人だった。唯一の孫である私には愛情をたくさん注いでくれた。

おばあちゃん、さようなら。私を可愛がってくれて、ありがとう。ずっとずっと大好きよ。
心の中で、おばあちゃんに話しかけた。


読経が終わり、遺族が僧侶にお礼の挨拶をしている。
ふと墓誌に目を向けた。

墓誌の最初に記された氏名には、田岡武とあった。

確か以前聞いた事があった。すっかり忘れていた。おじいちゃんには、歳の離れた弟がいた事、戦争中に14歳で亡くなったって話を思い出した。

あの少年、武は私の叔祖父(おおおじ)だったのではないのか。武と名乗った少年は苗字を言わなかった。

でも、やはりあの少年は私のおおおじの田岡武に間違い無いと思う。
親族としての繋がり、そして、同年齢だった私の元に来てくれたのだ。

そして(a+b+c)³ の展開が、彼の行くべき道を示したと思いたい。

私はその導きを担った事、役立てた事に誇りに近い喜びのような、安堵のような気持ちを同時に味わっていた。胸の中で小さな優しい光が生まれた気がした。
 
武おじいちゃん、会いに来てくれてありがとう。私は空に向かって小さく手を振った。


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