香り(ショートストーリー)
この香り、何の花だったろう。ほのかな香り、消えそうだ。
そう思った時、目が覚めた。夢?香りだけの夢ってあるんだ。初めてだ。
でも、私は遠い昔嗅いだ事がある。誰かとどこかで。思い出せない。思い出せないのに涙が。
悲しい出来事があった?それとも嬉し泣き?
わからないまま、紅茶を淹れた。
いつもはコーヒーなのに、なぜ紅茶を飲む気になったのだろう。飲みたいと思ってはいなかったのに。
アールグレイをミルクティーで飲んだ。
独特の味わい。イギリスの人が好んで飲むらしいが、私はダージリンが好きだ。若い頃はアップルティーなどのフレーバーティーを飲むのが近所で流行った事があったが。小さなお茶会で、みんなで笑って楽しんだ時間は、もうここには無い。
お茶会のメンツは度々入れ替わる。
私達は同じ社宅に住んでいたが、殆どの人達は転勤族だった。
転勤先で知り合った人に再会する事もあったが、澱んだ流れのように、再会はあまり愉快ではない事もあった。だからこそ一期一会の出会いを楽しむ事にしていた。それもはるか昔の事。
今は一人でお茶を楽しむ。同伴するものは、思い出の数々。
そんな時間を味わう。
そうだ、思い出した。
夢の中で嗅いだのは、ジャスミンティーだ。香りが苦手で飲めなかったお茶。あの夢くらいの香りだったら、飲めるような気がした。
突然、涙が溢れた。やはり嬉しいのか悲しいのかわからない。
多分、私の前世の記憶としてジャスミンの香りが、未だに心のどこかで漂っているのかもしれない。そういう事にしておこうと思った。
了
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