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渚にて(ショートストーリー)

ただ歩くだけで良いからと君は言った。
「最後のお願い、一緒に渚まで歩いて欲しい。話しかけてくれなくても良いの」
私は小さく頷き、彼女の歩調に合わせてゆっくりと歩く。

私たちは終わったのだ。終わりがあるということは始りがあったはずなのだ。それはいつだったのだろう。どこで出会ったのだろう。

彼女の長い髪、その後ろ姿に見覚えがあるような気もした。
そうだ、この私はいったい誰なんだ。名前は?彼女の名前もわからない。自分の名前さえも。
だが、私は彼女を知っていたはずだ。愛していた記憶はあるような気もするが自信は無い。

彼女は立ち止まり、美しい笑顔を見せた。僕は生涯この笑顔を忘れないだろうと思う。
僕たちは、なぜ別れることになったのだろうか。

夕暮れの中、潮風が手招きしている。海が近いらしい。
この道は、どこの海に続くのだろう。初めてそこに思いが至った。風が濃くなり、潮の匂いを運んで来たが、まだ海は見えてこない。

潮の匂いが、さらに濃くなり、息が苦しい。
彼女は、気づかないのか、何でもないように歩む。
時折り振り向く君の髪は美しい弧を描く。まるで絵画のように時が止まる。

彼女は振り向きざまに、私の手をとった。
少し悲しそうな笑顔を見せる。
「行きましょう」
彼女は私の手を強く握りしめたまま歩き出した。

「渚だわ」
彼女はポツリと、私に聞かせるでもなくつぶやく。
だが、渚など私には見えない。見えていない気がしているだけだろうか。
立ち止まり、彼女は遠くを見つめる。
私は波音が聞こえてきた気もするが、気のせいにも感じる。
それに水平線も波も見えない。ただ潮風だけは確かに感じる。

彼女と私は唇を合わせた。静かに、そっと。そして長い時間。
この唇、確かに覚えがある。嗚呼、君は誰なのか。

「引き潮だわ」
彼女の言葉、それはまるで遠くから聞こえてくる海鳴りにも思えた。
私には見えない海。彼女は死ぬ気なのだろうか。私と一緒に。
それならそれで良いとも思えた。
私たちは見えない海で溺れ死ぬのだ。水泳は得意だが、見えない海で、感じることができない海で、溺れ死ぬ。彼女と一緒に。素敵なことかもしれない。

クウを歩いている。海などやはり見えないし、波もやはり感じない。
驚いたことに、彼女の長いスカートの裾は濡れていて見えない波に浮かび揺蕩うたゆたう

だんだん自分が、彼女が、遠くなる。心地よい。このまま身を投げ出したい。

フワフワと体が浮いている。
何に?
海に。
そしてゆっくりと私は沈み始めた。
彼女は立ったまま、私を見守る。いや、見届けるつもりのようだ。

私に次の世界はあるのか。新しい世界が広がることを期待して私は目を閉じた。

最後に目にしたものが君で良かった。のだろうか。





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