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〈古い記憶〉こんな事ありました

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昭和時代(30年代以降)の記憶であり、私の記録です。
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#エッセイ

戦争を知らない子供たち

<古い記憶より> こんな事ありました この曲は私達世代の、もう一つの校歌のようなもの、と言う位置づけではないかと思う。私達はクラスで集まると、必ずこの歌を合唱した。 批判の声もあった曲だけれど、私は私達世代の、少し緩めの反戦歌だったと思ってきた。  シラケ世代とか、三無主義などと言われた私達世代にはピッタリの反戦歌だった。 …………………………………………………………… 三無主義 【60年70年代の若者を指す世代の特徴として言われた。 無関心 無気力 無責任を言う。

昭和の三種の神器(家電)

白黒テレビ 洗濯機 冷蔵庫 戦争も終わり少し落ち着いてきた頃、私は生まれました。皆んなが同じように貧しかったけれど、それはまた人間関係において独特な連帯感を生み出していた時代だったと記憶しています。 幼い頃、我が家にあった家電と言えるものは、白熱電球の照明、扇風機、アイロン、ラジオだけだった。 それが憧れの家電を揃えていくスタート地点。三種の神器といわれた電化製品を揃える事を目標に、頑張った大人達。白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機、一つ一つ揃えていったのだ。 庶民には高価であ

洋式トイレとの出会い

どうやって使うのか、それが問題だ それは私が小学生だった時の話。 六年生だった。(50年以上前だ、愕然) ある日教室で、グループは違うが仲良くしていた女の子(Mちゃん)が、私に頼みがあると言ってきた。彼女のグループのメンバーの1人に家に来るよう頼まれたが、行きたく無いと言う。 同じグループなんだし、行けば良いやん、と私は応じた。 小学生の頃の女の子のグループ作りと言うのは、仲良し同士というより、通学路が同じというのも大事な要素であったと思う。 「どうするん?」と、私

オシッコと青天井

遊布野ユーフさんのページで トイレができれば旅はできる! と言うエッセイを読ませて頂きました。 面白いお話で、トイレ話を堪能させて頂きました。ありがとうございます。 トイレの話で、私もスケールは小さいのですが、古い記憶の引き出しの中から浮かんでくるものがありました。思い出しながら書いてみたいと思います。 私がまだ小学生の頃の話です。(半世紀以上、、、前、、。) 夏休みに親元を離れ、一人でひと月ほど母の実家で過ごしました。そこは農家で、工場の建ち並ぶ地で育った私には別