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「一線の湖」

「一線の湖」砥上裕將

20万部を超えたメフィスト賞受賞作『線は、僕を描く』に続く、水墨画エンターテイメント第二弾!

主人公・青山霜介が、ライバル・千瑛と湖山賞を競い合った展覧会から2年が経った。
大学3年生になった霜介は水墨画家として成長を遂げる一方、進路に悩んでいた。
卒業後、水墨の世界で生きるのか、それとも別の生き方を見つけるのか。
優柔不断な霜介とは対照的に、千瑛は「水墨画界の若き至宝」として活躍を続けていた。
千瑛を横目に、次の一歩が踏み出せず、新たな表現も見つけられない現状に焦りを募らせていく霜介。
そんな折、体調不良の兄弟子・西濱湖峰に代わり、霜介が小学一年生を相手に水墨画を教えることになる。
子供たちとの出会いを通じて、向き合う自分の過去と未来。
そして、師匠・篠田湖山が霜介に託した「あるもの」とはーー。

墨一色に無限の色彩を映し出す水墨画を通して、霜介の葛藤と成長を描く、感動必至の青春小説!

「線は、僕を描く」の続編。
この作品も、描写がひたすら美しくて読んでいて心が洗われるようだった。とくに第4章は本当に惹き込まれた。
前作もそうだったけれど、砥上さんは生きることの素晴らしさ、一瞬一瞬の輝きの美しさを伝えてくれる。やはり、何かに直向きに打ち込んでいる人間はかっこいい。私も彼らのように強かに生きていきたい。


やってしまったことを頭で考えることはできる。だがやってもいないことを予測しようとしてもほとんどの場合うまくいかない。白と黒とその中間の色しかない、こんな限定的な世界でさえそうなのだ。世界を推し量ろうとするなんて最初から間違っているのだろう。

p118

やってみないと分からないことはたくさんある。
私はこの一年で挑戦したことが多い。自分は向いてないだろうなと思うこともとりあえずはやってみた。その結果、あれできるじゃんって思ったりやっぱり無理ってなることもあった。
「やれない」「できない」って決めるのは今じゃない。
やってみてから考えてみるのもいいんじゃないか。


描こうなんて思うな。(略)描こうと意識することで、描こうとする意志だけが描かれてしまう。今ならそれが分かる。焦りを以って描けば焦りが、哀しみを以って描けば哀しみが、喜びを以って描けば、喜びが筆致に表れる。欲が出れば、線は死ぬ。では、心が何も思わなければ、何が描けるのか。何も思わないとき、何があらわれるのか。

p283

「描こうとする意志を遠くで眺め、目の前にあるものをぼんやりと見て、あらゆるものが過ぎ去り、流れていくことを感じる。自分とそこにあるものの境界線さえ分からなくなるほど、受け入れる。すると、なぜだかそこにポツンと絵が生まれる。自分の内側にね」

p293〜294

これは少し難しい…。
芸術って、何かを表現したいとか誰かに伝えたいと思って創作するものだと思っていて。そういう意志なしでできるものなんだろうか。
でも確かに、絵に「描こうとする意志だけが描かれる」のは違うかもしれない。意志よりも、自然に出てくる思いや人間性、何か瞬間的なもののほうが大切なのかもしれないな…。


「私たちは、美と人を繋ぐもの。運び、与えるもの。一本の筆と、一つの人生を合わせて、それを伝えるもの。どちらが欠けても、森羅万象は摑めない。だからね、青山君…。(略)運び続け、与え続け、分かち合いなさい。その方法は、絵じゃなくてもいいんだ。なんだっていい。優しい言葉、たった一度の微笑み、穏やかな沈黙。誰かを見守ること…。本当に何だっていい。心を遣い、喜びを感じ、分け合うこと。同じ時を過ごしていると認めること。私たちは一枚の絵の中にいる。同じ時間の中にいる。一つの景観の中にいる。そうだろう?」

p293〜294

この湖山先生の言葉は本当に心に沁みる…。
芸術家としてだけではなく、一人の人間として生きていく上で大切なことだと思った。
生きていくのはいいことばっかりじゃない。特に人間関係の悩みは尽きない。どうしてそんな自分勝手なの?なんでそういうことを言うの?他人だから理解できないのは当たり前だけどイライラしてしまうこともある。

でもよく考えたら同じ時代に、同じ場所で、同じ時を共有しているということは、すごくかけがえのないことなんじゃないかって。
今の環境や関係ができる確率は一体どれくらいなんだろうって思ったら、自分の周りの人たちを大切にしたくなった。
このマインドをお互いが持てたら素晴らしい人間関係が築けるのではないか。

この心がけを忘れないようにし、自分の人間性をもっともっと磨いていきたいと思う。


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