2023/08/15

周りを見ながら

少しずつ自分の人見知りと言われるような難ある性格を認め始め自分自身の得意なことと不得手なことを識別出来るようになった。けどどうしても人見知りであることを認めることはできるが改善まではできないのがリアルである。改善できないと感じるのは宴会のような陽気な場であることが多い。

私はとりあえずほぼほぼ一人で過ごすことが多いのだが人がいるとうまく行かないし落ち着かない。人がいたらその人とどのような会話をすればいいかと言う事を考え始めて考えすぎてうまく行かずに変な空気になってしまうことが多々ある。話題展開なんて考えなくてもいいのに、眼の前にある事実を伝えればいいのにと自分の無力さを感じながら自分自身の自信を失っている気がする。結論一人でいる時間が幸せの時間となっている。

独り言を言うことだってそうだ。中2くらいから本格的に喋るようになった。恥ずかしいことではないと思っているけどどこか自分が人と喋れないからそのストレスを独り言で奮発している気がする。

なんでこんなに人と喋ることだけなのに疲れてしまうんだろうか。けど喋らないと自分が他の人と喋りたい欲が自分を覆う。でろくでもないような話をして場を凍らしてしまう。けど本当は凍らしているんじゃなくて凍らしている気がするだけなのかもしれないと思うようになった。結論人は思い込みに過ぎないことが多いと思う。けどそんなことを思って「あっ!そうだったんだ!気にしなくていいんだ!!」みたいな考えの持ち主ではない。単純に考えすぎによる疲労ではないかと思う。

宴会では著名に現れる。私は自分中心であることは自覚しているのでそれなりに自分のことばかり自分がどう思われているかどうかに主眼を当てているから自分が相手にどのように映っているのか不格好ではないかなどを常に気にしている。そのため周りのことに関心がない。「〇〇さんが〇〇した。」のような会話を続けられない。自分が喋ったら場が凍るんじゃないか。雄弁は銀沈黙は金っていう言葉があるじゃないか。とか考えるようになると自分の声に出せないけど頭の中には考えが確立しているようなことばかりだ。喋れない=参加していない、と教えられたカンファレンスを思い出して逃げ出したくなったりもしてしまう。うわー、つらー!となる。けど話題なんてないぞーとか思っていると周りが笑いながら次の話題と話を変えていく。私はずっと立ち尽くすばかりだ。

改善策としては本当にどうでもないことを喋る、そして沈黙に慣れるということかもしれない。やっぱり相手への信頼までの過程が自分が長すぎて未だに信頼しているあいてなんていないのが現実だからだ。相手は何も思っていない。それが事実だが私は事実からにげているのかもしれない。無理矢理でも自分が面白いとか適当に話を組み立ててみて滑って周りの対応を見るまでを過程としてみて試してみるのもアリだなとも思う。

考えすぎな人に掛ける言葉として一番いけないのは「それ、考えすぎだよ誰も思ってないよ〜」だ。考えすぎな人は自分自身が考えすぎだという事実は受け止めてはいる。だが誰もないも君のことは関心がないよという現実という現実を受け入れれるまでの精神面の安定はないと思う。考えすぎな人の改善策は本当にちょっとでもいいから動いてみる行動してみるということなのかもしれない。無理だ!と諦めて現実から逃げたとしても結論は戻らないといけない。無理過ぎる現実を受け止めながら楽しむしかないんだろうな。

未だに喋るのが不得意すぎて周りのことも気にしすぎている自分はあんまり好きではないですが少しでも喋れるようになりたいと思う今日でした。

では。



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