急げ! 早くしろよ!!

 又、毒親&DV夫絡みの話になってしまうのだが……。

 題名の言葉は、ことあるごと、彼らから浴びせられていた言葉である。それによって私は、何をするにも、早くしなければ、即座に結果を出さなければと、思い込まされた。常に何かに駆り立てられ、追われる思いで焦り、慌てふためきながら、あらゆることに取り組んでいた、取り組まされていた。そこに、私のペースは皆無だった。
 紆余曲折を経て、幸いにもDV夫と別れることはできたが、さまざまな面、意味で私は傷つけられていた。そんな私を想い、癒やし、支え、受け止め、いつも応援してくれたのが、再婚相手となった夫である。
 その夫が亡くなり、おひとり様となった。現実問題として終活を思えど、具体的なことは遅々として進まない。片付け然り。これだってもう、何度となく書いて来た。早く終わらせなくちゃと焦り、何でさっさと、サクサクッとできないのかと、自己嫌悪、自己否定の日々。
 そして気付いた。私にだって、時が必要なのだと。
 「急げ! ぐずぐずするな!! 早くしろ!!!」この言葉が、いつの間にか鳴り響いていた。「何やってんだ! のろま!! 駄目な奴、つかえない奴」こんな言葉だって、あったかもしれない。それらに翻弄され、ビクビク、オドオドし、自分で自分にダメ出ししていた。終活も、それに伴う片付けもろくにできないと、自己批判ばかりしていた。
 いや待てよ? 終活も、片付けも、そんなにさっさとできるものなのか? 人生の締めくくりだもの、時間がかかって当然じゃない?? わかっちゃいるけど、なかなか進められなくても、仕方がないんじゃない???
 そうなんだ、時間が必要なんだと、心の底から納得できた。気が楽になった。まだまだ、毒親たちの呪いが染み付いているのを、再認識した。
 そんな呪いはもう、必要ない。今の私に必要なのは、時。時間をかけていいんだ。時間がかかるんだ。「あなたの時間はあなたのもの。誰に遠慮する、必要も義務も無い。」こんな言葉にも出会えた。
 一振りすれば完成するような、魔法の杖など、誰も持ってない。急がば回れ、とも言うし。急いては事を仕損じる、こんな言葉もある。
 これからは、こっちの言葉が鳴り響くといいなぁ……。
 
 
  

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