(自己診断)鬱病と書いた理由

プロローグ

単純明快です。医者に行かなかったからです。薬も処方されてもらってません。行ったのは自ら探して、ここなら信用できると思ったセラピストのところです。だから保険も効かなくて一回1万円くらいしましたが、この時はお金は二の次に考えてました。

自分で自分のこの辛さを自己分析したところ、やはり家が貧乏だったというのも出てくるのです。お金がないが口ぐせだった母親でしたから、なるべくお金を使わせないようにしていた幼い自分がいて、欲しい物があっても我慢した幼い自分がいて、声優になるための学院に通った授業料、交通費、果ては引っ越して一人暮らし始めた資金などなど全て自分で賄ってきました。
だから疲れちゃったのです。
そんな私の気持ちなんか、おおよそ大学行くだけの資金はあった、しかも金かかる医者!になんか私の気持ちなんてわかってたまるか!というのがあったからです。信用できなかった訳です。

ネットやら本やら貪るように読んで当てはまった症状、それが鬱病だったという事です。

お金の不安は鬱病の原因の一つになり得ます。

本当は苦しんでいる人の一人でも多くの方に読んでいただくために無料にた方がいいのではないかと思っていたのです。
が、マガジンの再編、修正、加筆中にちょっとしたアクシデントがあって、理由のひとつであったお金の不安が又持ち上がる事案が発生しました。
その時に考えが変わりました。
自分自身の身を守るため、再発させないためにも有料にしようと。
せっかく試みたことが無料では本末転倒になってしまうのではないかと思ったからです。



第一章:きっかけ


声優挫折

最後の舞台を踏んだ後、やることがなくなりました。もとい、今までの必死にバイトしたり、引っ越したり、ダンスをやったりした約7年間全ての事が無意味になってしまったのです。
でも生活はしていかなければならない。
バイトは続けていましたが、性格上、飲食のホールなんて本当は一番ついてはいけない仕事の代表みたいなものでした。
占いでもそうだし、様々な自己分析のテストみたいなのをやっても、できれば避けたほうがいい職種でした(一度に色々な雑事をこなさなければならない職種、及び接客業)。
では何が向いていると出たかというと、研究者。編集者。あるいは芸術家。そういう意味では声優は向いている方の職種ではあったのですが、他のものは大学出ていないとなれそうもないものばかりでした。

何回でも言う。

うちは裕福ではありませんでした。高校受験は県立高一本、滑り止めはなし。落ちたら就職と言われていました。高校は結局普通科を受け、進路は親の意向の公務員としましたが、成績は高校に入ってからは落ちる一方でした。
もとい、次の大学進学の選択肢ははなからなく、専門学校行く気なら授業料は自分で出せと言われておりました。そうまでしてなりたい職業は当時なかったのです。
何故勉強するのか疑問が湧いてからは興味がなくなり、成績はガタ落ちしました。
二次募集で某社内ウエイトレス業の職につきましたが、先が見えた職業に、前々から興味あった声優に挑戦してみようと試みました。


だから次が見つかりませんでした。
色々探しましたが、元来声優、俳優業は資格というものは必要ない職業です。たまに乗馬ができるだとか着物の所作が身についているだとかが必要になったりしますが、「馬に乗れれば」いいわけで資格は必要ありません(馬に乗るのに資格が必要ならば持ってないといけないが)。
着物の所作を身に着けるために日舞を習うわけで師範の資格なども持つ必要はないわけです。だから何か職種に就けそうな資格というものを全く取らずにきました。
バブルはとうに過ぎていた時代。新しい正社員の職なんて、資格も何も持っていない私にはハードル高すぎでした。
これからの不安、生活の不安、色々な不安が私に急に襲ってきました。でも又何か始めるには私の気力は尽きていました。
30代後半。独身。資格なし。貯蓄もなければ正社員でもない、ただのフリーター。その現実が目の前に現れました。

同年代の人達は今何してる?

幸いにも私と親しかった学生時代の友人達は皆結婚して、離婚している人は皆無でしたが、だからこそ、誰にも何も言えませんでした。相談も愚痴も泣き言も何一つ言える相手はいませんでした。

ただただ絶望感だけが目の前に拡がっておりました。イメージ。私の人生という道のりは、声優という道路標識に進み、崖っぷちにきてしまいました。崖を飛び降りるという選択肢もありました。あるいは崖を伝って降りる、という選択肢も、あるにはありました。これはそのまま、別ルートで声優への道を模索するという意味ですが、「もう諦めろ」という宣託を受けたようなもの、そう受け取りました。崖からの飛び降りは大怪我、あるいは死へのカウントダウンにも思えました。

来た道を引き返し、分岐点から別の道を行く、みたいな事も
考えて、色々実行はしました。でも、続けるには厳しかったのです。
たまたま派遣契約か何かの募集で、某電気メーカーの店頭MCの仕事を2回程やった事があります。強いていえば、これが唯一やりたかった声優に近しいことが出来た瞬間だったかもしれません。
ただ、こういう仕事は本当に単発で、以降巡り合える事はありませんでした。後はティッシュ配りやチラシ配布ばかり。
そういう仕事がもっと受けられるかと某ナレーター学校にお試しで行って、ぜひきてほしそうなニュアンスを感じてはおりましたが、入学金の10万を用意することがどうしてもできませんでした。

気力を使い果たしていたのです。


・・・・私は段々おかしくなっていきました。バイト終わりだとか、バイト中に一通りすることして、空き時間が出来ると途端に意味もわからずボロボロ涙が出てしまい、止まらなくなってしまったのです。
この年齢にしてただのバイトという現状にただただ惨めに感じ、どうしようもない不甲斐ない自分に嫌気が差してきたのです。

鬱の始まりでした

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はじめに;辛い、この状況からぬけだしたい、変わりたいと思っているからこそ、ここに辿り着いた。それにまず気が付いてください。

はじめに;この記事に辿り着いた貴方はきっと、今辛い立場にあるでしょう。でもこれは私の事なので貴方の役には立たないかもしれません。でも少しで…

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