世界は変わらないかもしれない―時計仕掛けのオレンジからの考察―

こちらが敏感であることを知ってもらうためにはあちらも敏感でなければならぬと書いた。感情や感性を司る部分、オレンジの房は、同じ大きさでないとお互いに理解できない、というような事である。そしてそれが極端だと嫌だなと思って去っていき、結果、同類が集まる、と。

参考資料:マスク問題と時計仕掛けのオレンジ|とみはじめ #note https://note.com/04tomihajime13/n/n74bd69a32cbf

アフリカのとある場所で、人類と呼ばれるものが誕生し、数を増やした。増えると同時に色々な個性と呼ばれるものが出てきた。そしてやはり争いや歪みなどが生じ、現在と同じように同類が集まり、新天地を求めて、移動を始めた。それが積もり積もって現在の世界分布になっている。

つまり、先人がこうがいいと思った者たちの集まりがある集団を作っていて、後人で革新的なものが抜け出してまた新たな集団を作り・・・を繰り返してきた。
当然、先人はこうがいいと思って始めたのだから特権階級は居心地がいい。

こうして世界は、国は出来上がっていった。

ある組織から派閥抗争、分裂、新たなる組織の誕生はどこの世界でも繰り広げられているが、なんの事はない、人類という一括そのものもそうやって世界へ拡がっていったのだ。

そう考えていたら国そのものの性質というものは変わらないのでは?と思えてきた。




さて、今までは、国を変えよう!という事で政権交代があったり、革命がおこったりしていたが、昔に比べたら渡航は容易になってきている。

これからは国そのものの、性質(文化と呼ばれるものなのか?)とマッチングして、私はこの国が合っている!とばかりに世界規模の住替えがより頻発するようになるのでは?と思うようになった。
日本の風土が肌に合うと思えば日本に住替え、アメリカの文化が自分に合うと思えばアメリカに移住し・・・・

そうするとますます国の特徴というものがより顕著になっていく・・・・。

それが風の時代か?

200年以上続くそうだ。




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