隔週買っている雑誌に”HONKOWA"がある。以前の雑誌名が"本当にあった怖い話"で、お察しの通り、霊現象の類を集めた話だが、私がこれを気に入っているのは、霊話にありがちな『・・・・・という事がありました、一体何だったのでしょう』で煮えきらないまま終了ではなくて、いわゆる霊能者が現象を鎮めてくれて、解説もしてくれる話が多数あるからである。
それはさておき、今回のある話に即身仏が出てきた。
即身仏とは徳を積んだ生身の人間が、自ら仏になるためにミイラになる事である。たまに〇〇像をレントゲン撮影してみたら人間の骨格が写って、即身仏が中にいる、というあれである。
さて、やはり即身仏になる事にしたとある僧の話なのだが、語るお坊さんの言葉に"輪廻を断ち"とさらっと出てきた。
おいちょと待て!?
私は確かに輪廻転生、つまりは生まれ変わりを信じている、信じてはいるが確証は得てない。
何か?仏教は輪廻転生は真実なのか?確実な事柄としての扱いなのか?
そして即身仏になるっていうのはもう生まれ変わることはしないという覚悟の選択肢なのか???そういう認識なのか!!!

一応。私個人の認識として輪廻転生とは、借り物である肉体、身体から魂が出て、この世、あるいはこの三次元世界と言ってもいい、そこから抜け出て別次元下で、この修行はまだ得てないから来世でも引き継ぐ、業を背負ってしまったものはそれを因果応報の真理で来世で果報を受けるだとか、そんな感じで精査を受けて、来世でまた生を受ける、そんなふうに解釈してる。"情けは人のためならず"は文字通り、情けをかけると巡り巡って自分に還ってくる、という意味で究極のエゴイズム。来世の自分のために今生の自分は他人に情けをかけておけ。


そうか、即身仏てこの輪廻を断ち切る行為になるのか。『魂魄この世に留まりて』の善行バージョンなんだな。
借り物の肉体を焼かずにミイラ化させるから出来るのかな。
いや、ちょと待てよ。これは仏教を信じているからできる事なのか?エジプトのミイラはどうなのだ?(まあアレも、蘇ると信じて行った儀式であるらしいけど)
期せずしてミイラ化してしまった者はどうなのだ?転生できないのか?ポンペイの街の人々はどうなのだ?
エベレスト山か何かの山の山頂付近で見つかった少女のミイラがあったな、あの人も転生できないのか?
自ら望むのと無理矢理とでは結果が違うのか?


疑問は尽きない。

さて、話の流れでずっと思っていた事を書き足して今回は終わりにしたいと思うのだが。

以前は人が死んだら土葬だったと思うが、火葬になった理由。場所の問題や衛生面もあると思うが・・・


以下内容注意


呪いの藁人形作るときに呪う相手の髪の毛だとか爪だとかを藁人形の中に仕込むのですが、(知らない方がよかった雑学?)それらが無いのと在るのとでは効き目が段違いだそうだ。話によると。
勿論髪の毛や爪よりも皮膚、指、手・・・・そう、生身に近くて重要な組織の方が当然効力がある。更に例えば地方の有力者のだとか、強者武将だとかの方だと使い方によっては守りになったり、呪詛の道具になったり・・・・・家族親戚、子々孫々、地帯一帯に掛かるようにもなるってこと。

そう、そういうことに使われないようにするために火葬して肉体を遺さないようにしたのではないかと。


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