専門家の定義するところによると
『白』は色ではない。
同時に『黒』も色ではない。
全ての光を反射する場所なりなんなりが『白』であって、全ての光を吸収するのが『黒』
だそうである。
どゆこと?
昔、色の三原色というものを習った。
ところがこの色の三原色も二種類あって、
私たちが思うところの『色の三原色』は赤、黄、青で(専門的だともっと違う言葉になっているが)この三色で全ての色が作られるという。
これに白を足すと明るさ、黒を足すと暗さに繋がる。
これが色の三原色。絵具を混ぜることを考えると非常に分かり易い。
別に光の三原色、というのがある。
はじめに耳にしたのは高校演劇の講習会だろう。
光の三原色は「赤、黄、緑」で、やはりこれで全ての色が出せるという。
明るさは光の光源の出力を強くし、暗さは逆に弱くする。
ここにも白や黒の概念はない。
そして最大の違いは、
色の三原色は、三色混ぜると黒になる、ということ。
光の三原色は混ぜるほど色がなくなっていく、つまり白になっていく、ということ。
三色それぞれが重なる場所と重ならない場所を出すように円を描くと中心は三色が重なるところになる。絵の具は黒くなり、光だと白くなるのだ。これを演劇講習でスポットライトで実証してみせた。
授業で色、というのは原子の振動で決まる、と習った。その時はそれで終わりになったので、改めて検索してみた
【そもそも物質に色は存在しなくて・・・】
は?
【色は3つの条件が重なって決まる。
光源と、光源が当たる物質と、それを認識するもの。
光源とは自ら光を発するもの。例えば太陽、電気。
認識するものとは例えば人の眼、カメラなど。】
そして例を挙げられた。
【光のない、真っ暗闇の中に赤いリンゴがあるとする。私達はこの赤いリンゴを認識することができるか。
答えはNO。暗闇だからね。
光源のある、明るいところに居るとしても、赤いりんごがなければ認識出来ない。そもそも赤いりんご自体がその場にないのだから。
光源のある、明るいところにりんごがある。
でも私は目をつぶっている。
この場合も赤いりんごを認識出来ない。認識する目をつぶっているのだから。
これで光源、物質、認識する何か、何か一つでも欠けたら色は認識出来ないのだ】
理詰めでいくとそうなんだろうけれど、物質には色がない、なんて肌感覚では理解に苦しむ。
光源、つまり自ら光を発するもの、発光体。
人は発光しないから当然、光源にはならない。
自ら光を発するもの。
すぐに思いつくのは太陽。月は太陽の光を反射しているので違う。他の星々はどうだったかな。
電気、そして火。蛍・・・
発光体ってとても少ない。
古代の人々がどういうきっかけだったのかは知らないが、発光体である火を手に入れたときは太陽を手にした、ととても喜んだことだろう。
発光ダイオードで青色が出来た事は非常に有効で、ノーベル賞を受賞した事は記憶に新しい
そう、赤いりんごが赤く見えるのは発光体の出す光に色がついて居なくて、受け取る側の機能もそうなっている必要があるって事。白黒写真は色がない。
そういえば推理物で、赤い色を出している場所の下で目撃したから、目撃者が証言した服の色と目撃された人が着ていた服の色が違った、という謎解きがあったな。
詰まるところ光の色と当たる物質の性質と光の受動態で色が出る、ということだ。
あれ?
ひょっとして太陽というものは七色(可視光線)の発光色を放出していて、でも重なっているから色が無くなっていて、プリズムを通して光を屈折させ波長で分離させることによって色がわかる、ということか。(正確には色になってない光、紫外線や赤外線も放出している)
白から色、そして光の話になってしまったが。
なんだか色を重ねると黒くなるけど光を重ねると色がなくなる、つまり白になるって何かの教義にでも使えそうな話だな。