自然を畏敬する文化
日本人は特殊なのか?
(最近の私のテーマです)
海外旅行どころか、本州脱出すら数える程しかない私だからこそ、ネットで日本人の特殊な記事、独特のコトなどを見つけるたびにこの疑問が大きくなっていきました。「本当なの?」って。
どこもそうなのじゃないの?たまたまでしょ?あるいは日本人や親日外国人が書く日本びいきの話でしょ?バイアスがかかってそんな記事が目につくだけでしょ?みたいな。
でもやはりそうじゃないみたいです。某スーパーパートの私にも過去にこんなことが。
返金だとか包装だとかギフトの申込み、忘れ物処理などを行うサービスカウンターに金髪碧眼の見た目にも日本人ではないとわかる、十代くらいの男の子が来ました。拙い日本語で、どうやら自転車の鍵を落としたらしいことがわかりました。
自転車の鍵?見つからないことが多いよな、と思いつつ台帳をみたらそれらしいものがあり、確認を取ったところ、まさにそれでした。男の子は大変感激し、お礼を言い、最後にこう言って去っていきました。「イギリスじゃあり得ないよ!」
私はたまたまで、出てこないこともあるからね、と言いたかったですが、英語出来ないし、去って行った背中にそう心で呼びかけただけでしたが。
他にもたくさんの記事を見聞きする中で、やはり日本(人)は特殊なのだという確信めいたものが生まれつつあります。
一応断っておきますが、良し悪しの問題ではなくて、だから日本人は凄いとか言いたいわけではないです。こうなる環境が整っていたんだなという確信です。
太古の昔、遥か海を渡って、あるいは陸続きだった北回りからヒトが渡って住みつき、(両方可能だったようです)やがて島になりました。寒すぎもせず、さりとて暑すぎでもない気候は住み続けるには最適でした。ただ自然災害は非常に多い地域でした。しかも地震も多い。
色んな意味で自然は最大の敵であり、同時に恵みをもたらす人智の及ばない領域であり、ヒトは畏敬の念を持って対峙しました。
ここに住むものにとってはヒトよりも自然対策の方が重要で、団結力が必要だったのです。
団結力が必要、皆が協力する必要があり、意思疎通をはかるコミニュケーション力が必要で、非協力的な者は省かれ、自然からの恵みを受け取る権利を失う、ということでもあります。
つい最近も、瀬戸内海で船が座礁、沈没したけれど乗客(小学生がほとんど)乗組委員全員軽症で助かるという記事を読みました(後に船長は逮捕されてるけど)
それはさておき、こんな大きな事件があったことさえ知りませんでしたが、取り上げたYou Tubeでは海外の反応があり、勿論かの国で起きた沈没事故との比較の他に、日本では水泳の授業があるから水に対する恐怖心が薄いことにも触れていました。(船長の指示のもと救命胴衣着用し海に飛び込んだ)
そう、どうやら海外では水泳を授業に組み入れているところなんてあまりないらしいんです。泳げるようになる、の他に、水に飛び込むことに対する恐怖心をやわらげる効果も狙っている、ということなんです。
そういえば日本は海に囲まれているし、川も多いし、海に接していない県の方が少ない。水による死亡事故軽減のために授業必須科目になったと知り、私も海は憧れ対象の海無し埼玉県民だったけれど水泳の授業はありました。これも島国ならではのことなのかもと思いました。
かの国では今まさに侵略され、戦っています。自然よりもヒト対策。
現代では他国から攻められる危険性も非常に安易になりましが、日本の立地による歴史ではその必要性はあまりなかったことは確かです。
ヒトには何かされると色んな感情が湧き上がってしまうけれど自然にはそれがない。怒ったところで太刀打ちできるものではない、そんなものは超越してる、次元が違う。防災するしかなく、諦めや仕方無さ、運だとか、無力感だとか、されるがままだとか、というそこからワビサビという概念も生まれたと思います。
他国にはない日本独特の言葉も自然に由来するものが多いですよね。
八百万の神とはよくいったものです。
日本人(と呼ばれる特性)は全て自然から学び、それが根底に流れているのかなと。
某著書で日本は、海外からの何かがないと、変われない国になってるってありましたけど、もとより自然災害の多い国だからその中でいかに安定させるかが長い歴史の中で切磋琢磨されてきたコトだからなのかなと。
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