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(1)カグツチの合議。

こんにちは。
毎度不動産投資の実践的金儲けの話を書くのも飽きるので、完全なフィクションの小説を気儘に記して行きます。

不動産ブログの間のたまに小説を挟みはするとも思いますが。

では早速。


【鏡】

28年生きてきたモノが紛い物だと思えた瞬間の僕の事を話していこうと思う。

高校を卒業はしたのだけれども、偏差値が50やっとの学習能力でしかない僕は、同級生と同じく地元の製造工場に集団就職的に職を得たので在る。
僕の家族は父と母、姉が在り、矢張りと云えば其れ迄なのだが、父は中卒で九州地方の炭鉱労働者として働き、其の後炭鉱が閉鎖去れ今は警備の仕事に就き、母も中卒で近所のメッキ工場で金属を磨く仕事を得、姉は高校中退、姉とは不仲で善くも知らないのだが、スナックや居酒屋を手伝っているので在ろう。
父と母の倅の僕が大学に行く事は、遺伝的にも抗う事でも在り、親に望まれど元来の怠惰な性格、飽きっぽい性格故に勉強が手に付かず、将来の展望を施策する事を高校時分には現実逃避し、結果努力等無縁な学園生活送り、誰でも出来得るような所謂ライン工と云う近所の工場に勤務し、彼女も出来ずに代わり映えもしない毎日の繰り返しで、人生を閉じるのかとも半ば諦め顔の固い決意の怠惰な自分でも在る事を理解してもいたが、其の事は父からの系譜としても、父と生活した事で学べた証しとも思え、贅沢は決して出来ないが健康で在れば、時給が低くとも労働時間を長くし、上の方に居るで在ろうブルジョワ達の余暇の時間迄も働きさえすれば、家を借りなんとか子供を育てる事も出来ると証明出来たのだから、自分に取っても悪い事でも無く、居心地は正直悪くも無いと思っても居た。

先にも云ったが、元来怠惰を怠惰とも思わない自分でも在り、社会的には歯車の一部品でしかない自己を鑑みる事でも未だライン工を疑問には思わず、10年が過ぎた頃には、誰よりも精密に働き、楽しいだとか辛いだの、遣り甲斐等をも超越した、或る種詰まらない事の歯車に徹する自分が、誇らしくも優雅で可憐にも感じるのだが、其れが何故かも理解しているのでも在る。
其の根源は、元炭鉱労働者の父の日頃の所作から、子供が学び染みついた諦めと割り切り、大きな金銭を渇望する夢を見る事すら無い社会の部品として位置され、また位置して仕舞った事の遺伝的な呪縛と穢れの多い系譜と云うモノを朧気に捉え知り、上の誰かの部位の糧を効率的に制作し、残るオカラの如しオマケな人生が、此の父と子たる僕の家族の運命なのだと悟るなり、自己に云い聞かせるなりが僕と云う人間なのだと云う事とも理解成立していたのだ。だから、学問が出来なく、また興味も出ず、其れを観ていたで在ろう親も教育には熱心とも云えず、或る意味此の社会醸成の中で僕たち家族が果たす底辺との事の支えを忠実に守る事を遺伝的に知らしめても居るのかとも思え、其の意味を含め怠惰の怠惰なる系譜との事なのかも知れない。
また、学が無い事は遺伝だと諦めつつ、専ら学生時代も社会に出てからも仲間との交流を大切にし、友人は金銭に代えがたい存在でも在ると信心し、会社でも同期ではリーダー的な存在でも在った。
リーダーと云っても社会の極々小さい歯車の凸凹を纏める存在でしかないのだが、其の頃は其れでも満足で在り、自己の承認欲の充足もし得て居たのだった。

或る日、精密機械の僕が珍しく体調を崩して午前中にラインから外れ早退し自宅に帰ると父が帰宅しているのが解った。
此の時の父は68歳、多少年齢的に躰に堪える警備の仕事が此の日は夜勤明けの休みなので父も家に居たのだろう。小さい平屋のトタンの壁が錆付き、如何にもバラック然とした築50年程の貸家なのだが、物心付いた時には既に此処が我が棲み処でも在り、今も昔も決して綺麗では無いと思える母と母似の5つ違いの姉とも育った想い出の場でも在る。
色褪せだらしのないTシャツの様な紺色の軽自動車が、昨夜降った雨で出来た轍の水溜まりの泥水の痕跡が車のフェンダー部分に残る其の車が、父と僕の兼用の車で在り唯一我が家の財産と呼べるべき物なのだが、僕は仕事場が近いので毎日自転車で通い、普段は父が車を使用しいて、其の車が玄関を塞ぐように行儀悪く停まっていた。躰を捩り、動きの悪い引き戸の玄関に手を掛け少し力を入れると年中無施錠の玄関がガタガタと音を立て開くのだが、寝て居るで在ろう父を気遣いゆっくりと開き、何時取り込んだか、または脱ぎっぱなしなのかも解らない洋服や男女入り乱れの下着を足で跳ね退け、玄関から直ぐの廊下の無い和室を抜け奥の寝床に忍び足で入る。此の瞬間、毎度繰り返しの動作に細やかな家族への優しさを勝手に自覚する自分が好きでも在り、此の玄関を開けた時の梅雨時期に苔が繁殖しそうな匂いも好きで、在り触れた日常なのだが何故だか未だに此の感情と匂いを思い出すと嬉しくも気恥ずかしくも為る。

体調が優れないので、身支度もそこそこに万年床にうな垂れ就いたが、夜勤明けの父も隣の布団で寝ている、隣の父の存在は日常なのだし、寧ろ安定の鼾と、高齢男性の脂の腐った様な不健康な匂いと、ほんのりと酒の匂いもして居たのだが、此の日は其の事以前にどうにも寝付け無かった。
少し落ち着き、自覚する社会的低位置の者として許された少ない娯楽の夢想を愉しみしつつ眼を開くと、現実は父の禿げ上がった頭のつむじを見付けたり、父のランニングシャツと其処から覗く筋彫りで未完の刺青と丸い背中越しに、バラックの木戸の歪んだガラス越しに見える僕が産まれた時に植樹した記念樹の柿の木を観るに付け、得も言われぬ焦燥感や漠然とした不安に襲われ、同時に聞こえる隙間風が木戸をカタカタと揺らせる音も、其の不安を増幅させている様にも聞こえた。

今思い返すと此の時、無意識に寝付け無いのだから、本来毎日見ていた事物、物事を鳥瞰し、向き合い、自己の想いとは裏腹に勤勉や欣然を用いて対峙して仕舞ったので在り、今迄、眼を瞑ってきた事柄や自己の忠心に囲い込まれた鬱積した劣等感が堰を切って溢れ出て来たとの事でも在り、観も知らない無の幼児の初体験の様な、急に湧いた状況に投げ込まれたのでは無く、本質的に僕が産まれた時から慣れ親しむ風景や事柄の変化は皆無で在り、変化したのは僕の思索の変化との事で、変態変節の兆しだったので在ろう。
また、此の自己の思索的鳥瞰性の感覚は、時代の変化でも無く、或る種の生得性でも在ると捉えられ、通俗的には歯車の大小で終焉を迎えるで在ろう炭鉱夫や警備員の倅で在るのだから、日常の全ては鏡で、父の背中を眺めた処とて本来ならば諦めも付いていて、自己の中での兼ね合いに齟齬は無いとも思っていたのだ。

此の経験は、自己でも収拾の効かない何かの知覚が作用し、突然、思索と云う存在が縦縞の寝巻姿の儘で鏡面の様な湖畔に放たれ、乞食が今日に此の日此の時に執着する様な餓鬼の様相でも在り、生き様の彷徨いだが確かに力強くも感じ、内から煮え立ち湧く感情とも感じ、裸足で落葉の上を歩き得体の知らぬ虫に触れる恐怖感覚でも在るのだが、其れを霞みがかった森から梟が様子を窺って居る様にも思えた。
どうやら此の時、漠然とでも在り、朧気で、半信半疑でも在ったのだが、父や一族と袂を分かち社会の歯車で在ろうとも、また違う部材や部品にも成れ得る可能性とやらや、抑々部品では無く其れ等を設計し組み合わせる者に成り得る思索を遅まきながら、社会にお伺いしても罰は当たらないのではないかとも思い出でたので在るが、同時に此の事は家族への精神的義絶にも為り、其の結果が招く物は、猜疑心と嫉妬等等の狭隘な物なのかとも想定したのだが、其れを同じ家族として診える事が自己としては最も辛い事でも在ると知るのだが、此の時には自己への好奇心が其れを上回わったのだ。
また、何時もの遠慮のない空っ風と相性の善い錆びたトタンと木戸の雑音が、此の時には自己変態の時節の口火のハモニカとして聞えたのもので在った。

観る聴くは意識しないと無と同義で、此の事は、恐ろしく上座に居座る金満達や脈々と続く優越的遺伝子達と炭鉱夫とは本来、相関関係に在るのだろうが、炭鉱夫は上座の者からは完全に無とされ、多くの上座の者達には、炭鉱夫が視えては居ないのでも在ろう。
此の事を理解した時、其の存在を知らしめる術を思索するか、通俗的な社会の中で自己が因り善い糧をえられ、其の後の遺伝子達に滅私奉公に励み自己犠牲し期待するかの二択でも在るのだが、此の時の僕は手探りで、自己の歯車が自己の中では噛み合わないと知り得、其の疑問を探索しても善いのかも知れないと思索出来た事は、上手くは云えないがヘレンケラーが水を認識出来た時の感情にも似た喜びなのかとも思い、先ず自己救済的に、今の産まれた時に宿命付けられたと思い違いな位置から脱する模索の選定を急ぐとの事で自己の忠心と合議し意見は合致したのだ。

此れが思索的雷という事なのだろうし、或る意味、忠心からイザナギの鏡を本質的に診て、初めて診えた自己の本当の顔との事なのかも知れないと思えたのだ。

続く。

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