生
私は、クリープハイプ が好きだ。「好き」という言葉だけでは、足りないくらい彼らの事がとても愛しく、いつまでも追いかけて行きたいと思う。
その「好き」には色々な種類があると教えてくれたのもきっと彼等だ。そんなまだ齢17の私にとって既に特別な存在である彼等との特別な思い出をこの機会だから綴ろうと思う。
私が彼等と出会ったのは、小学五年生。当時「そして誰もいなくなった」を見ていた私にとって「鬼」との出会いは衝撃だった。当時の私は、歌詞の意味なんて今に比べたら全く理解していなかっただろう。ただ怖いモノとして大衆のイメージにある「鬼」の恐怖さ、このドラマの不気味さが全面に出ていてクリープハイプ の「世界観」というものにどっぷりとハマってしまったのだった。
時は流れて中学一年生になった私は、新学期早々クラスに馴染めなかった。小学一年生の時から私は春がとてつもなく嫌いだった。新しい環境で馴染めない、そしてそれに馴染もうと頑張っている自分が滑稽でそれが何よりも一番嫌だった。友達作りに出遅れた、端っこにいる私が聞いていたのはずっとクリープハイプ だった。中学生の時は、特に「早く大人になりたい」という気持ちが強かった。だから、背伸びをしてクリープハイプ を聞いていたかもしれない。ただ、この時、この中学時代から私のことをずっと支えてくれてたのは紛れもなくクリープハイプ だ。
幾つかの春が過ぎて、私は高校生になった。中学からガラッと環境が一転する高校生活に私は期待をしていた。学校もそうだし、恋愛も、当時ギクシャクしていた家族関係も全部がうまくいくようになると思っていた。ただ実際、そんなにうまくいく話はない。大っ嫌いな春を過ぎて、夏頃。私は胃腸炎になった。家族関係でも、恋愛でも、学校でも自分を取り巻く環境下で私は沢山嫌なこと、我慢しなければならないことが増え、とにかくとても追い詰められていた。当時付き合っていた恋人に、私は全てを曝け出していた。これが最後だと思ったし、彼もそれがいいって言っていた。そんな恋人に浮気をされ、挙げ句の果てに「重い」と、だけ言われて振られてしまった。家族関係も本当にうまくいっていなくて、遂には学校にもいけなくなってしまった。自己紹介で言えるような趣味が欲しくて始めたギターもできない、ご飯も食べられない。寝ていたら涙が出てきて、カーテンを開けたら死にたくなるような日々だった。私は逃げるように縋るようにとにかく誰かに話したくて、太チャン!にメッセージを送った。今思うと、これは正解だったんだと思う。忘れもしない2021.9.14#055。私の太チャンネームが読まれる。私は久しぶりに体を起こして人の言葉を聞いた。二股の話、私は怒りより先に悲しみ、後悔や、自分は結局こんな人間なんだなという気持ちが強かった。ただ尾崎さんは「腹立つな」と開口一番そう言った。そこでもう全てが救われたんだな、と思った。高校一年の女の話を成人男性たちがこんなにも真剣に聞いて、考えてくれる事が本当に嬉しくて私はずっと泣いていた。私は小さい時からずっと「気にしたらダメだよ」という言葉に違和感があった。大丈夫じゃないから、気になるから、死にかけているのにな、という思いがあったからだ。尾崎さんはそれに「気にした方がいいし、怒ったほうがいい」と言った。私はずっとこの言葉を待っていたんだと思う。この言葉はそこからの人生観が大きく変わった言葉の一つでもあると思う。四人が「こういうことを送ってくれるだけで嬉しい」と、そう言ってくれたこと、私はずっと忘れないでいたいと思う。
どん底から救われたのはこの時だけじゃない。2022年、高校2年の春。私はまた新学期馴染めず、体調を崩して寝込んだり、一日中泣いたり、駅まで行って家に戻ったり、いざ学校についても教室に入るのが怖かった。学校を辞めようとも思った。大好きな音楽も大好きな本も、映画も、ギターも。今まではすんなりと自分の中に入ってきて浄化してくれるような趣味までも煩わしく感じてしまっていた。ただ、毎日ずっとクリープハイプ を聴いていた。クリープハイプ だけはずっと今までと同じ気持ちで聴けた。その中でも「風にふかれて」を特にずっと聴いていた。本当に、この時期も先程書いた時期もずっと死にたくて、死にたくて、死にたくてたまらなくて死んでしまおうと何度も考えた。そんな時期私はこの曲に助けられた。その年の春、クリープハイプ は「今夜は月が綺麗だよ」で私の地元に来てくれた。正直体調も優れず、親にも迷惑ばかりかけていてこの公演に行こうかすごく悩んだ。母が「行ってきたら」と言ってくれて、なんとかホールへ向かった。着々と進んでいく曲、やっぱり私はクリープハイプ が好きだななんてしみじみしていたら最後の最後で「風にふかれて」のイントロが鳴った。その瞬間に、私は泣き崩れてしまった。このツアーで、このタイミングにこの曲をやってくれたのはきっと運命だと思う。尾崎さんの力強い歌声が「生きる生きる生きるよ」っていう歌詞が、メンバーの強い演奏が、私はまだまだ生きなきゃいけないと思わせてくれた。アンコールが無しで終わる公演。いつものことなんだけど、今回ばかりは本当に有り難く思った。前の人が驚いて心配してしまうほど私はずっと咽び泣いていた。春からどうしようもない大人になりきれないまだまだ子供の私をこの曲はずっと横で見ていてくれていたんだと思う。
ここには書ききれないほど、クリープハイプ と沢山の思い出を今まで作れたこと、ずっと心に寄り添ってくれた事が嬉しかった。受験期、春、そしてこれからもずっと。私が嫌いな季節が来ても、好きな季節が来ても、クリープハイプ は私のことをずっと見てくれてる。だから普通に私はクリープハイプ を聴いて、普通にクリープハイプ に会いにいく。こういう機会だからこそ、こんなに恥ずかしい事も綴る事ができたと思う。貴重な機会を設けてくれてありがとうございました。これからも末長くよろしくお願いします。
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