「人生の成功」を求めるか、「生きがい」を求めるか。
「成功するために、もっと意識高めて、もっと行動して、高い目標達成しないと!!」
って、考えてしまうことが多かった。
それこそ、最近、人生の成功がテーマの「7つの習慣」も時間があるとき読んでいるのだが、
この本は、そんないわゆる「意識高い系」の本とはちょっと違っていた。
茂木健一郎さんが著書の「IKIGAI」という本。
IKIGAIって何?
簡単に言うと、
「好きで」
「得意で」
「お金になるもので」
「需要がある」
以上の4つに当てはまる行動が「IKIGAI」(=生きる意味)に当てはまる。
それぞれどれかが欠けると、「IKIGAI」にはならず、きっと何か物足りない感覚を覚えている状態なのだろう。
IKIGAIを手に入れるために
ここで最も興味深いのが、
本書では、上記のような説明にページを使っていないこと。
「自分の好きなことを見つけよう!」
「得意なことの探し方は~~~です。」
「需要があるものとは何なのか?」
とかそういう話は一切していない。
なんなら、あの図を理解することは、
「IKIGAI」を得るために、必要なことではないじゃんって思えてくる。
「IKIGAI」を手に入れた方たちの具体例が出てくるが、
「好きなことだったから」「得意なことだったから」という意識は、IKIGAIを得るために必要そうに見えない。
では、何が必要なのか?それが、この本のメインのテーマである。
生きがいの5本柱
柱1:小さく始めること Starting small
柱2:自分からの解放 Releasing yourself
柱3:調和と持続可能性 Harmony and sustainability
柱4:小さな喜び The joy of little things
柱5:〈今ここ〉にいること Being in the here and now
この本では、上記の5つの柱の説明で、ほとんどのページが割かれる。
最初に出した図は、本質的ではないように思う。
「4つに当てはまっているから、IKIGAIをゲットできたね!」っていう話ではない。
まさに、その逆である。
IKIGAIを得ていた人たちが、それらのたまたま4項目に当てはまっていた
という結果がそこにあるということだけ。
ではどうやって得るのかというヒントとして、茂木健一郎さんが示したのが、
「IKIGAIの5つの柱」である。
それぞれの柱は、<生きがい>が花開くための支えとなり、まさに基礎となるからである。これらは相反するものではなく、絶対的案ものでもない、また、特別な順番があるわけではないし、序列もない。しかし、<生きがい>という概念を理解するためには不可欠で、あなたが本書を読み、自分の人生に照らし合わせて考えていく時の、手引きとなるものである。
※本書「IKIGAI」から引用
本書では、これらの柱を説明するために、様々なストーリーが紹介される。
僕は、茂木健一郎さんのそのストーリーの絶妙な紹介かつ、巧みな言葉の使い方ゆえに、2,3度読んだだけでは、理解できるものではないと感じた。
その難解で奥深い文章は読むたび、なにか大切なことに気づかせてくれる。
いろんな人にも知ってほしいという想いで、著書の言葉を借りながら、自分なりに解説していこうと思う。
柱1:小さく始めること
重要なことだが、「小さく始めること」は、若き日々の特徴だ。人は若い時 には、大きく物事を始めることはできない。その人がやることは何でも、世界にはそれほど関係のないことだ。その人は小さく始めなければならない。そしてそういう人が豊富に持っているものは、開かれた心、好奇心である。これらはその人の目標を達成するための上等なキックスターターである。(略)
スティーブジョブズもザッカーバーグも、最初から、世界をまたにかけるビジネスを作ろうとして作ったわけではない。
確かに、最初できる行動っていうのは、だれにも影響はあたえないものだ。
どんな成功者も確かに公の場では大それたことを言っていたかもしれない。だが、常日頃においては、大きな目標を持つことに「いま」の意識を向けていたのではなく、
「今日はこの部分を改良しよう」
「今日はあの人にビジネスの相談をしに行こう」と、
今日できる小さなことを始めることに意識を向けていたのではないだろうか。
柱2:自分からの解放
(略)
「フロー」とは、人がある活動に夢中になって、その他のものが何もかも気にかからなくなる状態のことである。そのようになってはじめて、我々は仕事の喜びを知る。そのとき仕事は、何か他の目的を達成するための手段として、仕方なく耐え忍ぶものでなく、それ自体が目的となる。
(略)
無我は、それゆえに、事故という重荷からの解放になるのであって、フローの基本的側面になる。それは<生きがい>の二本目の柱「自分からの解放」に対応する。
(略)
あなたが主人なのではなく、仕事が主人なのであって、フロー状態に入ると、あなたは本当に喜ばしい共生という形で、あなた自身を仕事と一体化させることができる。
自分からは解放できないでしょって思う人が多いと思いますが。笑
別のわかりやすい言い方をするのであれば、
「情熱」とか「夢中」というのが、一日とか二日とかじゃなくて、ずーっと続いている状態なのかなと。
ここで大事なことは、少なくとも、その状態になっている人自身は、
自分がフロー状態に入っているとは気づけない。
自己の重荷から解放されて、フロー状態にあるならば、それは仕事の質に表れる。
報酬を求めないというフロー状態によって、
市場原理に基づいた常識的予測のはるか上を行くところに、自分自身をおくこと、すなわち「こだわり」というものが仕事の質(=無意識の努力の産物)が結果として現実にあらわれる。
柱3:調和と持続可能性
(組織や大衆という面から見たときに)個人の自由や成功について抑制的にふるまうこと、万事控えめで自制的であることは、実は、日本人の最もユニークで価値ある側面と密接につながっている。ー「持続可能性」である。個人の欲望を大々的に追及することは社会や環境全体の持続可能性と往々にして釣りあわない。なんといっても強靭で健康な社会や環境がなければ、自分の目的を追求することはできないし、自分の野望の達成を目指すことはできないのだ。
言うまでもなく、トップの数少ない人々だけに焦点を絞った価値体系は、持続可能ではない。誰かがトップになるためには、誰かが犠牲にならねばならないのだから。グローバルな文脈の中で競争することがますます強要されている今日の世界では、我々は、この競争に勝たねばならないという強迫観念を持っていることの意味と影響を、よく考える必要がある。勝つことを目指す精神性は、偉大なるイノベーションをもたらすことがある。そして同じ精神性が、個人と社会の両方に、過剰なストレスと不安定性ををもたらすことがある。
持続可能性が重要であることは明白なことだと思うが、
ここで最も重要なのは、
<生きがい>は、社会にイノベーションを与えた人だけが使えるものではないということ。
その意味で、<生きがい>という言葉は、生き方の多様性を肯定しているということがわかる。
<生きがい>を持つことで成功することがあるのは事実だが、
成功することが、<生きがい>を持つための条件ではない。
社会という大きなわくのなかで、<生きがい>を見つけるということは、
ある意味で、社会の歯車になるということである。
ただそれは、否定的な意味で言っているのはなく、自分の欲望を環境の中で調整していくということであり、不必要な争いを避けて、他者の欲望を認めることにつながる。
調和と持続可能性というのは、
日本の「和」という概念そのものかもしれない。
柱4:小さな喜び
人生ではしばしば、自分に与えられたものを受け入れた上で、状況に対処しなければならないことがある。生物学的に言うならば、ある環境の中で、いや、どんな環境の中でも、<生きがい>を見つけるということはとくに精神の健康を得るという意味の一つの適応の形だとみなされる。(略)原理的には、そこで生きる理由、すなわち<生きがい>を持つことは可能である。
勝者だけが<生きがい>を持っているわけではない。(略)勝者と敗者は、全く対等に<生きがい>を持つことができる。<生きがい>を持つ人の内側に入って眺めてみれば、勝者と敗者の境目は往々に消えていく。究極的には、勝者と敗者の間に差異はなにもない。ただ人間というだけだ。
柱1「小さく始めること」にも近いが「小さな喜び」も同じくらい重要だ。
人は誰しもネガティブになりやすい。
大きな目標を達成したときにしか喜びを感じれないのであれば、ずっと苦しい状態が続く。持続可能性がない状態だ。
小さなことに喜びを感じられる人は、幸福な状態を長く保つことができ、悩むことなく次の行動に進むことができる。
<生きがい>は些細な物事に宿る。朝の空気、一杯のコーヒー、太陽の光、タコのマッサージ、アメリカの大統領の賛美、これらはすべて対等の関係にある。あらゆる種類の豊かさを認識できる人だけが、本当に<生きがい>というものを理解し、楽しむことができるのだ。
朝飲む一杯のコーヒーに対して<生きがい>を感じられる人と感じられない人とでは、人生における豊かさは全く違ったものになるのだろう。
柱5:〈今ここ〉にいること
清少納言は人生を描くのに大げさな言葉は使わない。彼女はただ人生の中で出会う小さな物事に注意を払い、「<今ここ>にいること」の大切さを本能的に理解する。清少納言は自分自身のことは話さない。彼女の周りにある、小さな物事に触れることで、彼女らしい個性を表現することになるのだ。それは直接に自分自身を語るより、ずっと彼女自身を語る。
人は、地位や名誉に向けて頑張ったり、みんな頑張ってるからやらないとって思ったり、社会の圧力からくるプレッシャーによって、使命感や義務感、与えられる仕事に没頭する。
そして、「<今ここ>にいること」を忘れる。
忘れていることにも気づかない。いや、気づけない。
そうすると、小さく始めることが難しくなり、小さな喜びも過ぎ去ってしまう。
ときには、意識することで、「<今ここ>にいること」を思いだせば、
”自分自身の弱点や欠点と折り合いをつけて、自分の意識に、外側から見た新鮮な洞察を補っていくのである。”
「人生の成功」と「生きがい」のどちらを目指すか
ここで、タイトルに書いていたように、
あなたは、「人生の成功」と「生きがい」のどちらを目指すでしょうか?
いずれも一致していたでしょうか?
私は一致していなかったですね。「生きがい」を目指したいなあと思いました。かといって、一定程度のお金は欲しいのですが。笑
皆さんも、真に目指していることが何なのかを少しでも考えるきっかけになっていれば、本望です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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