僕が「やりたいこと」とは何だろうか。
今日は、夕方から、キャリア相談をしに行く。
その前に、カフェで、自己分析を深められるだけ深めようとしていた。
現在、中古車流通の会社で一年目の僕は、なぜこの会社を選んだのか。
いろいろ理由はある。今だからわかるし、言えることだと思う。
① 「打席の量と質が高い」と考えていたから。入社してから、とにかく責任が大きい仕事をたくさんやって成長しないといけないと僕は思っていた。
② 給与がよくて、大手だから安心だったから。なんだかんだ、給与がいいというのは周りがすごいと思ってくれる。自分がすごいということを特に親に証明したかったのだ。
③ 興味を持ったきっかけは、「IGNITION」というインターンだ。
リーダーシップ、チームワークと言うものの尊さ、偉大さに感動したし、そのインターンを創りだした「その人」の言葉は、心に火を灯し、行動を起こさせた。こんなインターンを創り出す人はすごい。信頼できる。と思った。
④ 「教育」という領域から離れて社会を知るべきだと思った。
日本教育を変えたいというMissionをもって就活をしていた僕は、人材系、組織コンサル系をよく見ていた。それぞれの会社はすでに教育に対しての「答え」を持っていたことに違和感を感じ、これではまた型に当てはまったことを伝えるだけだと思った。まずは「教育」から離れて社会全体から「教育」を見て、何が「答え」なのかを追求したいと思い、全く関係のない「車」という業界に足を踏み入れた。
僕の「学校教育」時代
教育というものに対して、僕が問題意識を持ち始めたのは、中学生のときだ。
授業が終わった後に、僕らは、毎日毎日、同じ場所を掃除していた。
先生に、ふと思った疑問を投げかけた。
「なんで、もう綺麗になっている場所を掃除するんですか?
汚くなっている場所を探してそこを掃除したほうがいいやん!」
確か先生の回答はこうだった。
「そう決まっているからだよ。」
学校の教室で、ぼくは歴史の授業を受けていた。
「僕は、なぜ、仕事に役に立ちそうもない、歴史の勉強をしないといけないんですか?」
「確かに仕事では使わないかもしれない。けど、学校では、歴史を勉強しないと決まっているからだよ。」
意味のないことをなぜ大人はさせようとするのか?なぜ、もっと面白く教えようとしないのか?子供の僕にとっては全く理解できなかった。
友達はみんな、「仕方ないから勉強しよう」って。
当時は、教育委員会が、頭が悪いからだ。とそう思っていた。頭がいい人が、教育の立場の上に行かねばならないと思っていた。笑
だから、僕は、中高大学では、ずっと、意味がないものを軽視していたし、先生に反抗していた。「なぜ?しないといけないんですか?」っていえば言うほどに、嫌われていった。
おかげで、高校では、一人で教室を掃除させられることもあった。
「弓削君みたいに何も考えずに、選択を間違えないように!」ってね。笑
それでも、僕と一緒に考えてくれる先生もたくさんいた。信頼できる先生は、絶対最後に、「そうだね。なんでだろうね。先生にもわからない。」ってプライドを捨てて伝えてくださった。
今だからわかる。
人は、生きているうちにすべてを知ることは不可能だ。
だから、不完全なまま、教えるという立場に立たねばならない。
それから、僕は、社会が面白くない楽しくないのは、教育のせいだと思うようになった。
「先生はもっと面白い授業をしないといけない。だからみんな勉強をしないから、点数も高くならないし、良い成績も取れないんだ!!」
「もっと何が意味のあることであるのか?を考えないといけない。意味のないことを減らして、意味のあることに時間を使おう!!」
僕の「就活」時代
ここまで考えたのが、ちょうど「就活」の時だ。
会社選びを始めたときに、
人は初めて、「本当にしたいこと」を聞かれるようになる。
「君は社会人になって、何がしたいんだ?」
大学選びなんて、結局「しないといけない勉強を何にするか」を考えることがほとんどだ。大学に合格するためにも、させられることをしないといけないし。笑
それに対しての「答え」は、やはり「教育を変えること」だったのだ。
(なぜ、公務員でなくNPOでもなくビジネスなのかは割愛する。)
だから、教育への想いを持つ人たちと会いまくった。
そこで強く思ったのは、
「教育の替え方ってたくさんあるじゃん。」
「すでに、教育を変えようとしている人たちいっぱいいるじゃん。」
だから、僕がすぐに行く必要性もないなって。すごい遠回りかもしれないけど、学校教育と言う価値観に縛られないようにするためにも、一回普通に社会に出てから、教育に戻ってもいいかなって。
教育と言う領域から離れて学んだこと
ついに、学校教育から離れてみたものの、
相変わらず「意味ないでしょ、それ。」っていうことが多い。たくさん感じる。
「そのやり方は、そう決まっているからやらないといけないからやりなさい。」
「それはマナーだから、マネージャーに怒られないために、紙でメモを取りなさい。」
「それが常識だから、恥ずかしくないように、そうやりなさい。」
学校で感じたことと同じこと、社会のここでも起こってるよって。笑
文化、習慣、マナーなどには、確かにメリットもある。ただ、決まっていることをそのまま鵜吞みにしてると、より良くなっていかないよって。
なぜ、そうなっているのだろう?なぜよりよくしていこうと思わないのか?と考えたときに、
「変わらない」ことの根源的問題とは
さて、学校でも、会社でもそうなってしまう。なぜそうなるのか?
今の僕にとっての回答は、
周りを「信頼できていない」ということだ。
信頼とは、信じて頼むということ。
それは、自分自身の結果の原因を、相手の行動にゆだねるということに他ならない。
周りが会社をよりよくしようとしていると信じていないために、その人自身も会社をよりよくしようと思わなくなり、自身の利益を第一優先にしようとするようになる。
そうなると、信頼しようとしない人は、楽な道を選ぶようになる。
・怒って、プレッシャーをかけて、部下の行動改善させようとする。
・たとえば業務改善などの,、何かを提案するということを行わなくなる。
・やれと言われたことだけしかやらなくなる。
結果こんな意見が出るだけ。現実は変わらなくなってしまう。
「本部は、店舗に働いている、僕たちへの報酬が少ない。これだけ頑張っているのに、これだけしかもらえない。」
「僕らが稼いだお金を、なぜこんな広告費に使っているのか理解できない。意味のないことにお金を使っている。上層部は、能力が低い。」
要するに、
「何もしないこと」が、「安心」(安らかな心の状態)なのだ。
さすがにそうは言ってられない時代に来ていると思うんだけども、、
さて、僕はどんな世界を創りたいのか
信頼というものが、僕にとって最も重要なポイントなのかもしれない。
信頼している状態とは、どんな世界なのだろうか。
・言葉でつながっているのではなく、心と心がつながっている状態。
・信頼する勇気を持てていて、行動に移せている状態。
・信頼するということが美しいと思えている状態。
・信頼されたいではなく、自発的に信頼したいと思っている状態。
・他者に対しての行動に、損得感情がない状態。
言っていることが高度過ぎて、抽象的過ぎて、書いている自分でも訳が分からなくなってきた。笑
だが、書きながら気づいたのだが、
「信頼すること」の延長線上に「愛すること」があるのではないか。
人が「信頼」しようとがんばる最初の人は、「パートナー」ではないか。
きっと、パートナーを信頼しようと努力するが、できなくての繰り返しで、「信頼する力」がはぐくまれていくのではないか。
今思えば、僕はそうだった。「パートナー」との時間の中で、人として成長していった気がする。
人の成長段階って、以下のような感じなのかなあ。
パートナーを愛せるようになる。
自分を愛せるようになる。
周りを愛せるようになる。
遠くの人を愛せるようになる。
見知らぬ人を愛せるようになる。
人類を愛せるようになる。
地球を愛せるようになる。
まだまだ言語化うまくいってないですが、何度も言葉にしていくプロセスを経て、目指す世界観をことばにしたいな。
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