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ウタタ寝のこちら側

シフクノ時間

僕はボク、あっいや名前がボクなのだ。苗字はキミワだからフルネームは"キミワ・ボク"なのでキミワボクならボクワキミ?では君と僕はヒョッとして同一人物なのかあ?と話がややこしくなって収拾がつかなくなり、頭が痛くなるだけなのでこの辺に・・ワァ〜オ名前のことだけで115文字も使ってしまった。こんなことで良いのかと考えても始まらないので良いことにしよう。これ以降は名前の件は片隅にそっと設置、ふつうの僕で統一したいので御理解プリーズ頂きたい。

僕は46歳、某大手薬品メーカーの子会社のそのまた子会社で営業マンをしている。世間では孫会社とも言うらしいがその呼び名は余り好きになれない。もう入社して24年にもなるが相変わらずのフラットポジション=平社員。ストレスも無く気楽は気楽だが気楽にも限度がある。最近は独り身に苔やらカビやら生えて来て何だかかもし出しそうだし品格とは程遠い妙な落ち着きまで出てきた。特にお腹周りにはソレなりの自信を完備している。独身貴族と言うよりはどう見てもドッシンキン族、ヘビメタな感じが我ながら言い得て妙だ。

今日も仕事を終えて始発の古宿こじゅく駅から降りる野堀のぼり 駅までの40分間が待ち遠しい、何をして過ごそうか?好きな本を読んでも音楽を聴いてもいい自分だけの至福の時間。よく爆睡して窓ガラスにドガンドガン後頭部を打ち付けて、また戻るのを繰り返してる人がいるがその音びっくりするのでいい加減止めて欲しい。大体こんなラグジュアリーな時間を寝て過ごすなんて!勿体なくて眠れない。僕は絶対に眠らない、いや眠るもんかあ~ゼッ・タイ・・ニィ・・・・・

イケナイ火曜日

こう見えても新入社員の頃はチヤホヤのチヤホくらいまではイケてた。残念なことに相手は若い女性では無くオバチャン、今思えば見合い話のターゲットとしては格好のカモだったのだろう・・「おはよーキミワく~ん、いいねぇ、いつも明るくてフレッシュで!」22歳で新鮮じゃなかったら逆に怖い「ところでさ、今度の火曜日空いてる?」来た~っ歳の差20歳以上はあるのにまさかデートに誘うんかあ~い、えっ?でも火曜日は仕事だし、「休んじゃいなよ、有給あるんだから、ね!たまには。朝8時に久駄里くだり駅の改札口の右斜め横で待ってるから、絶対来てよ。リスケしといてねー」スケジュールはいつも開店カランカランだし初めてだからリスケじゃなくファーストスケジュール、略でファースケ!打ったら遠くまでよく飛びそうだ。ここで浮上して来たのは行くべきか行かざるべきかのハムレット問題、そして湖面に広がる浮草のごとく脳内をジワジワと埋めて行く・・なんて詩人してる場合じゃない。例えば行かなかったとしたら翌出社日から気まずくなって態度が豹変でもしたら顔色伺いの日々で最悪会社に居られなくなるかも知れない、総務部長補佐だし。悩ましいなあ~でも行きたくないよなあ~そうだ、行ったけど巡り会えなかったことにすれば?いやあんなミクロな駅で会えない訳がない、嘘レベルが低すぎる。急な腹痛に襲われて下痢が止まらなくなったとか、幼児か?恐らくバレる。あ~どうすればいいんだ~悩んだ末に僕は火曜日の朝に体調不良の理由で行けないとTELすることに決めた、会社に。

そして朝が来た!アパートから約束の駅までは歩いて15分、通勤はそれとは逆方向に10分歩く野堀駅、そっち寄りに住んでいるので3点を結ぶ線はいびつな逆三角形になる。その野堀駅まで歩き、電車で久駄里駅へ1つ乗れば2分早く着けるが運賃160円を出費するし2分ばかり早く着いたところでオホンさん、言いそびれていたが総務部長補佐のことで”御縁”と書いてオホン・ユカリと読む、どう見てもお見合いコーディネーターか仲人引受け人のどちらかになる為に生まれて来たとしか思えない名前である。そのオホンさんに「流石!」と3文字賞賛されるくらいで他には特にこれと言ってメリットも無いので15分の方を選んだ。こちら側の道も何回も歩いて把握はしているが何かあった時の保険時間5分を足して約束時刻20分前の7時40分に家を出ることにした。結局99パー何も無いけど何時でも石橋を叩いて渡る癖は両親の"人生何とかなるさあ的生き方"への反発なのかも知れない・・

看板オッチャン

スタートして直ぐに保険時間を使うことになるのは誤算だった。立て看板には「すいません、この先で謎わく工事をしてます、となりの道をどうぞ!」と書いてあった。この道が通れないとなると少なくとも3分はロスする、でも何だか文章変じゃねェ?大体となりに道はないし気になるのは"謎わく"って何だろう?それに謎とか言われると余計に知りたくなるのが人のさが、僕も一応は同霊長類なので当然そうである上に「思い込んだら誰にも止められない!」アクション洋画のタグラインのような操縦不能型キャラでもあるのでここは読者の期待を絶対裏切らない。

えっ・えっ・え~っ?立看板と何処かの会社の塀との20cm位の隙間から覗き込んだ光景に思わずフリーズしてしまった。「太田精肉店のオッチャンに似ている・・えっオッチャン?確かにオッチャンだ!」3度見したから間違いない。週5で"マジでかミンチ"を買いに行く精肉店の店主が作業着ヘルメットで掃除をしてる?精肉じゃなくて清掃だなんて、どうしたお店は?もしかして〇〇〇の影響で閉店に?まさかあ〜数秒間妄想の直後、こちらに気付いたオッチャンが用具を立て掛け近づいて来る。1m位の所でいつも買いに来る僕だと気付いたようだった。「お~何してんのこんな所で?」それはこっちのセリフなのでそのままお返した「えっ何してんの?オッチャンこそこんな所で!」するとこんな理由だと話し始めた。

「いや~まあ店は相変わらず可もなく不可もなくって感じなんだけどさ、ある日お客さんがオレの顔をマジ見して言うんだよ~毎日、工事関係の仕事を手伝うと運気が上がって店も繁盛します!って。人相専門の占い師だそうで、オレの顔の相が?ソウですかハッハッハーってその時は軽く笑い流したんだけどね、後から気になっちゃって店でもボーっとしてて玉葱と肉の割合を逆にしたもんだから"マジでかミンチ"なのに"オニオン揚げwith肉"作っちゃうわカミさんには怒鳴られるわでうん、だからさあ近所で工事するって回覧板見てねえ、頼み込んでチョッと手伝ってんだよ。じゃあな、おっ、また買いに来てくれよな、マジでかミンチ!」と一方的に話しまくって倒れたほうきの方へと小走りに駆けて行った。

ふ~ん、そうなんだあ~ヤバっ忘れてた。7時45分、ここ迄で5分も消費してしまった、約束の時刻に間に合うのかあ?まあロスタイム分を使い切った程度だからまだ大丈夫、想定内だな。とその時はまさかの展開になって行くことを知る由もなかった。

疾走コンクリート

歩いた後に自分の道が出来ると粋なことを言う偉人もいたが、作り出す気概きがいも無いしどう転んでも隣りに道も無いので信号まで30m程戻りこの道とパラレルなもう1本の道を使おうと考えた。

信号を右に10m歩き想定通りもう1本の道でリトライする。何か嫌な予感がする・・「この先でね迷わく工事中、となりへどうぞ!」ほら~やっぱりこんなことだろうと思ったよ~でも何か腹立つなあこの看板。すいませんの一言も無いし、何だこの「この先でね」ってタメ口は友達かあ?家族かあ~?「迷わく」あーさっきの看板に書かれてた「謎わく」は誤字だった訳かあ「惑」も漢字で書いて欲しいんですけど・ん?

こんな校正ゴッコしてる場合じゃないぞ、間に合わなくなる!急がなきゃ~隣りねハイハイこっちしか道は無いから仕方がないけど、またフリダシだと思うよ・・「すいません、その先で謎わく工事をしてます、となりの道をどうぞ!」ほらさっきの誤字看板、と言うことは30m×10mの長方形の一周80mを無駄に歩いただけかあ~い。

スマホのストップウォッチは00:07.53、もう8分を切っている。焦った僕は目前の道を只管ひたすら走った、チョイチョイ歩き、そしてまた走った・・・・・

走り歩き疲れて自分に帰ると見覚えのない景色に状況を理解した時"リ~ンゴ~ンガァ~ンゴォ~ン"レトロな鐘音が鳴り響き、近くの商店街がオープンする8時を告げていた。コンプリート!いや何も完成させてないから何か違う、自分の走って来た道をボウ~ッと眺めて叫んだ。コ、コンクリート!

キマズイ水曜日

オホンさんにTELする、ブップップトゥルルル・・・・・おかしいなあ出ないなあ~28回も鳴らして出ないのは留守か出たくないかだろうけど携帯だし後者の方?次の呼出音で切ろうと思って耳から受話部を離す寸前、モワ~っと湯気のような声がした。「ん~ぷあっ、キミワぁぐぅぅん?あ~ゴメン~うぅっ、飲み過ぎたあ~気持ち悪っ、もう少し寝るわ~また埋め合わせするから、じゃわね~プチッ・プ・プ・プ」何なん?どゆことぉ?それからアパートに帰りフテ寝して目覚めたら水曜日の朝5時だった。頑張って生きても精々4.400回位しか無い僕の大切な火曜日を返してェ〜

会社へ行く支度をしながら思う、オホン部長補佐と顔合わすのが何か気まずい。まあ約束ブレイクは向こうの方でこっちは悪くないんだけど、でもどんな表情で?何だか顔面のコーデが難い。そんな気持ちとリュック鞄を背負っていつもの出勤ルーティーンに乗り込んだ。会社に着くのが妙に速く感じたがオクタゴンビルのシンボル時計はいつも通りの8時40分を表示していた。

正面玄関のセキュリティゾーンをパスしてエレベーターに乗り3秒で108階だ、今日こそ飛ぶんじゃないかと心配で扉が閉まると同時に「飛ぶな飛ぶな飛ぶな飛ぶな・・」と扉が開くまでサイレントでいつも呟く。でもこの前はつい普通に発声してしまい、他社の女子が吹き出したのがみんなに伝わりエレベーター全体が笑い出した時は僕は「止まるな止まるな、止まるなあ〜」と連呼リピートしていた。勿論こんなに速いエレベーターはこの物語以外にはないと思う。

降りると直ぐ目の前がオフィス、セキュリティウィルスチェックエリアが見える。手指のアルコール消毒・体温測定と虹彩認証をパスしてオフィスの扉が開くといきなり「キ~くんおはようゴメンねぇほんとゴメン!先方にも謝って置いたからね。美容師さんの卵で27歳、とっても純粋な子なんだあ~で、リスケいつにする?まあ、直ぐは無理かあ、だよネェ。またセットするから、じゃネェー」何となく見合いかも?とは思っていた。美容師さん火曜日休みだからカア〜5つ年上カア〜金わらじカア~といつの間にか呟きカラスになっていた。オホン台風は通過して行き、朝の不安もモヤモヤも吹き飛ばしてくれたのは良かったが2文字もカットされてキ~くん1文字で来るとは思わなかった。キ~って鍵じゃないんだから僕は、それより何時からそんな間柄になったのかと新たな懸念を感じずには居れなかった。

最短シリトリゲーム

いつも疑問に感じてるのは退室時にも入室と同じことをやるシステム。アルコール消毒と体温測定はまあ理解出来るが虹彩認証は不要だといつも思う。入室を許可された者が何故出る時にもチェックされるのか?入室してからトイレに行って入室許可者の虹彩をコピーしたコンタクトレンズを外して機密データを盗み、退室する時に入室許可用コンタクトLを装着し忘れたスパイを網に掛けようとしてるのか?でなければ仕事が終わり更衣室でカラコン入れてハロウィンもどきのパーティーに繰り出すのを阻止してるとしか思えない・・まあ、いいけど。

その日はオホン部長補佐は出張だったので定時まで顔を合わすことは無いと安堵したのも束の間、どうやらオホンさん、パンドラの箱をキー付きで置いていってくれたみたいだ。

相変わらず退室チェックの列が出入口から通路側~掲示板~窓際〜グルっと一周して、これから椅子取りゲームでも始まるのか状態だった。でも、それに近いことを先導した強者がいた。車力部長だ、因みに車力と書いてシャリキ、名前は人と書いてジン”車力・人:シャリキ・ジン”後ろから読んだら”人力車:ジンリキシャ”名付けた人が親御さんかどうかは定かでないがこのネーミングセンス、僕は好きだ。車力部長、普段は無口なので補佐のオホンさんが殆ど代わりに喋っているが知っての通り今日は不在だ。1人の部長は何を話していいのか・・と言うよりも何を仕出かすか分からなかった。予想は的中した。人が集まる場面に出くわすと、何故かもう一人の自分が騒ぎ出し一緒に何かしたがる"祭りだワッショイキャラ"が待ってましたとばかりにやって来た。そして椅子取りゲームと思いきや始めたのは頭の2文字が異なるだけの割と単純発想な尻取りゲームだった。

「ハイハイホイハイ~薬の会社なんだから薬の成分名尻取りで行こかあ、他社のでも何でもOKにしよっさあ但し、正式名称と効能を述べることだでぇ"ン"が付いた人にはチャンとご褒美もありマンモス、いざっ」と江戸っ子のくせに変テコな方言風のデタラメフレーズに昭和ダジャレまで添付して実に困ったことを言うのだった。薬の成分名は"ン"が付くものが意外に多いので油断してると地雷を踏むことになり兼ない。「じゃあ、おっ目が合ったのはキミワ君だなあ、ヨロシュクゥ~」つぶらな瞳から飛んで来た鋭い車力ビームをかわせず見事に捕獲キャプチャーされた。

まだ心の準備も出来てないのにこんな状況下に置かれると緊張で頭ん中はホワイトアウトだ。1番目だから最初の文字は何でも良いと言っても全くもってスペシャルに浮かんで来ない。はい、ア~イャ、ゥ~エぇっオっぉ・こんな時は何故か母音ばかりになってしまう自分に苦笑する。んん~「もう"ん"が付いてるぞ~キミワぁ、ハイっ、キミワぁ、ハイハイ、キミワぁ~」始まってもいないのに何故に盛り上がるアンコールとスタンディングオベーション、最初から既に立っているけど。包囲するストレス、迫り来るタイムリミット、追い詰められた後ろは断崖絶壁、足元の石がポロポロ溢れだし真下の海までは余裕で30mはある、絶体絶命Helpくださあ〜い。でもそんな時、ひとは一瞬冷静になる。そうだ!ポケットを探ると風邪薬の小袋があった。朝何となく風邪ぽかったので1包飲んで予備を1包持って来たことを思い出した。そして掌の中で救いの小袋裏の文字を読み上げた。

「ク・ロルフェニラ、効能はのどの痛み・発熱などです!」と半ば自信ありげに言うと車力部長は「効能がアバウト過ぎるなあ~ッ、風邪薬全体の効能だよねん、それは。名称も中途半端だ、正式名称はd-クロルフェニラミンマレイン酸塩でアレルギー症状を抑える抗ヒスタミン薬でくしゃみや鼻汁、気道・喉のはれ炎症、皮膚のかゆみ、目の炎症などのアレルギー症状を緩和する働きがある。総合感冒薬、鎮咳去たん薬、鼻炎薬、トローチ、鼻炎用の点鼻薬、点眼薬、また脳の中枢や内耳の自律神経の働きを抑えめまいや吐き気を起きにくくする作用により乗物酔いの防止薬にも使われている。プロなんだからこの位の答えは聞きたかったなあキミワ君、当選おめでとう!語尾に"ン"が付いたのでこれにて尻取りゲームはお開きで~す。キミワ君は明朝9時15分に部長室まで来て下さい、ご褒美を与えます。ヨロシュクゥ」と言い終わるや否やゲッツポーズの縦型バージョンで車海老のように部長室へ戻って行った。コケないことを祈った。ドテッ

余談だが「ヨロシュクゥ」は車力部長の定番口癖で会話ラストにもれなく付けてくる。何でもハッピーエンドを祈願して漢字で”喜祝よろしゅく”を心にイメージして言うことにしてるそうだがそれを知る前は変なオッサンがチョッと噛んだだけにしか思わなかった。他にも"車力本願"や"アタリキ車力"等があるが最後に必ず付くのは"ヨロシュクゥ"のみ、噂だがまだその存在すら誰も知らない未公開シークレットノートがあるらしい、それをみんなが知っている。要するに"ダジャレノート"でしょ。まあそんなことはどうでも良い、悩みのseedたねは明日の部長室だ。

フザイノ神サマ

どうしよう~まあどんなご褒美かは見当が付く、きっとトイレ掃除だ。何でもコバヤシさんというライターが書いた本を殊更ことさら気に入っていて、いつも鞄に1冊、机に1冊、車に1冊、家のトイレに1冊、居間に1冊、同じものを合計5冊も持っている。それにると新しく家が建つと神様がやって来るそうだ。一番大きな荷物が重くて遅くなった神様はトイレしか残ってないのでそこに落ち着く。なのでいつもキレイにしてあげると喜んだ神様からご褒美が貰える説を信じて10年前からトイレ掃除を欠かさないらしいが「まだご褒美は貰えてないのかなあ~」と囁く社員達の声がカエルの歌のように輪唱拡散して、近々エンターテイメントの域に到達しそうだ。車力部長のお宅は並の建売住宅が3つは買える程立派だが小さな声でハッキリ言えば「トイレに神様は居ない」と言うのも神様がやって来るのは新築限定なのに車力部長宅は中古物件だったからだ。想像だが神様は前の持ち主と共に引越したか例えば事情があって住み続けているとしてもどんな神様がどの場所に居るのかも分からないのでどんなに掃除してもご褒美は貰えない。勿論そんなことを言う勇気は僕には無いのでいつも通りニヤニヤしながら相槌を打つだけだが・・どこのトイレ掃除になるのだろう?ご褒美というワードからはもうそのこと以外に何も浮かんで来なかった。

ゴクヒ任務

コンコン、コンッ「おぅキミワ君だとしたら入りなさ~い」何だか意味深なフレーズだが僕は何を隠そうキミワなので入らない訳にはいかず、失礼しますと車力部長室に入ると6本の視線を感じた。そこにはもう既に同期入社の2人が着席している、今井と謝部里だった。車力部長が口を開く「揃ったところで3名にご褒美だ!」2人がどんなミスをしたのかが少し気になってニヤッとした。もうてっきりトイレ掃除だと思い込んでいた僕には車力部長の話しは寝耳に水、それは極秘の任務だった。でも何てことない"アンケート調査隊"だった。調査期間は1週間で来週の月曜日にまた、この部長室に集まり結果報告をする。方法は家庭訪問、街頭インタビュー、SNSの三択で誰かが何れかを担当、通常業務をストップして本任務だけに専念するということだった。

ここで数ヶ月間で得た同期2人のキャラ情報を少しだけ書いて置きたい。
年齢としは同じだが専門学校出の僕と違い2人共某大学の薬学系卒、そう言うのかどうかは不明だがヤクダンとヤクジョだ。

今井いまい桜人おうと4月の桜の季節に生まれたのでお母さんが"桜の様に見事に咲いて人を喜ばせる人間になって欲しい"という願いをこめて名付けてくれたと本人が言っていた。シンプルに良い名前だと思う。噂によれば今井ファミリーのドンはお母さんらしい。一見普通の青年だが声のトーンがメチャ高く、前〇〇〇ネット社長のように話すので3分もすると周りに誰も居なくなってしまう。でも寂しがり屋な面もあり今はアパートで愛するヤモリと仲良く暮らしている。弱点は弁が立つ割に大事なことをいつも誰かに先に言われてしまい、その時必ず自分の名前を入れて「今言おうと(今井 桜人)思ったのにィ~ツラっ!」と存在感アピールをするとか・・でも最近そのフレーズが言いたくて先に誰かが言うのを待ってると勘付かれて敬遠されてるらしい。
謝部里しやべり申子しんこ身なり、仕事、全てにそつが無く会社内での評価は中の上越えをキープ中、お察しの通り彼女の最大の特徴は「喋り出したら、もう誰もそれを邪魔できない!」何処かで聞いたような気もするが名前の文字通り"お喋りの申し子"だった。でもそのこと以外は特に問題も無く、そのお喋りが例えトラブルを招いたとしても彼女のことを悪く言う人はいない得なキャラだ。

問題は質問内容だった。1つしか無かったがそれは「あなたがこれからの人生に必要な薬、こんな薬があったらイイナぁ~と思うものは何ですか?」と何とも浅そうで深い、鼻炎薬と即答エンドの人もいるだろうし受け止め方次第では論文レベルにまで発展しても可笑しくない質問だった。キャラから言えば3人の分担の想像は付く、謝部里は話し好きなので家庭訪問だとして今井は誰かの言い待ちだから自分が先に言えば確定する。SNSは回答の信頼性が薄い、イイネも本心なのかワルイネとも言えないから取り敢えず押してるのか分からないし、そもそもやり方が分からない。必然的に僕は街頭インタビューを選び、予定通り今井はSNSに確定した。

ツメタイホット缶

任務は今朝から始まっていた。僕は早速出かけて行こうとするが2歩で立ち止まる。果たしてどこへ行けば、街頭ってどこだろう?そうかあ!TVの場面を思い出し向かった先は何故か魚田急うおだきゅう線の蝦蛄名しゃこな駅、そこはMHK歌合戦にも出場した"まきものばっかり"という大好きなカッパ巻が食べたくなるような名前のバンドの活動拠点だった。まだデビュー前のストリート時代、歌を聴こうと集まった人の数が半端なくてインタビュアが揉みくちゃにされてたのが印象的で、これは相当なインタビュー数を確保出来るとにらんだからだ。

午前8時半に改札口を出ると予想通り多くの人達が縦横無尽にスクランブっている。録音機材が要らないマイク1本型のリニアPCMレコーダーを持参したのでフットワークは軽い、後は相手の音声を録るのみ、録音ボタンを押して人波の中にGO!あの、すすいませ~ん、チョッと~イイですかあ、あっ怪しい者じゃありませ~ん、街頭インタビューでぇっす、あの~、道をお尋ねしたいかも・・知れなくてぇ〜、元気ですかあ!良い天気ですかあ!最後の方は殆どヤケクソになりながらも30分は粘ってみたが誰一人立ち止まってくれる人はいなかった。考えてみれば朝のタイトな通勤ラッシュの最中に呑気にインタビューに答える余裕なんてある訳がない。だいたい自分の方から怪しい者じゃないという奴くらい怪しい奴はいない、浅薄あさはかだった。

仕方なく作戦を立て直そうと駅前のカフェに入るとなんと席はほぼモーニングセット食べ隊に占領されている。注文の列に並ぼうとすると「最後尾は真ん中ですね。」横入りは駄目よと言わんばかりの目付きでモーニング歴まだ3ヶ月位のOLに教示される。店内をグルグルと四角い蚊取り線香のような列は隣席との間をディスタンスしてイイ感じに仕切る、プライベート感はあるがコートやジャケットの壁は埃や菌も沢山付着している。例えば昨夜居酒屋で食した"ムネ軟骨ボンジリMIX焼きの臭いがしたり、朝「行ってきま~す」と言ったら愛するモフモフ犬が駆け寄って来て「行かないでぇ~」と言ったような気がしてあまりの可愛さに「ウォ~シ、ウォ~シウォシウォシウォッシ!」とモツゴロウさん張りにハグしてそのまんまコロコロも掛けないで着てきたコートかも知れない。そんなワルい壁に囲まれてどうやって落ち着けばいいのだろう・・色んなことを想像しちゃって、もう作戦会議どころではなくなり店を出ることにした。

すぐ横に自販機があったはずだ、何も考えずいつも飲む缶コーヒーを見つけてボタンを押した。取出し口に手を入れると缶が冷たい、HOTのつもりだったのに何で?1列押し間違えたのかと再度販売機を見ると、えっ、思わず2度見してからガン見&仁王立ち。この販売機は商品の上に押しボタンがあるぞ?いつも通りにHOT缶コーヒーのボタンを押したつもりが実は下列のアイス缶コーヒーのボタンだったとは、こんな自販機を見たのは初めてだった。ウソでしょ~オーマイ、ガーっ!クレームを付けても"ボタンは絶対下にある"と思い込んでいてちゃんと確認もしなかった自分が悪い、オーマエ、ガーということなのだ。でも何かモヤモヤする、収まりがつかない。思い込みついでに"これはHOTなんだ!"と缶を握り締め手元の時計で53秒念じてみたが冷缶に体温を奪われたのかブルっと震えが来てクシャミの5連発、何やってんの一体僕は。

冷たい缶コーヒーは飲む気がしなかったので結局カバンの中のペットボトルホルダーにIN、700ml迄入るホルダーには小さ過ぎて高校3年のお兄ちゃんの学ランを幼稚園児が着たみたいになってるが大は小を兼ねるでこれもOKとした。兎にも角にも作戦会議は中止に至った。

キミワ?オバチャン

駅前は諦めて次に思い付いた人の集まる場所、それはカクイ百貨店だった。でも困ったなあ、開店まであと1時間以上もあるし何処かに居場所はないかなあ~開店前特別待機待合室を設置してる百貨店なんてあるはずもない。仕方なく長~い遊歩道プロムナードをブツブツ言いながらゆっくり歩く。何往復もするうちに普通の声のトーンになっていた。ブツブツ独り言を言う癖は鍵っ子だった中学生くらいから、一人暮らしの部屋でボリュームUPするのは勝手だとしても此処は部屋じゃ無い。チョッと危ない人間にでも見えたのか、すれ違う人が皆んな避け出して明らかに目の輪郭みたいな人流に恐らく変えていたと思う。

いらっしゃいませぇ!開店と同時に入った僕はポッカ~ン、人はフロア内に数人の店員さんだけ、当たり前だ自分が1番なんだから。愛想笑いを浮かべながら13個のいらっしゃいませと8個のいかがですかを照れ笑いでスルーしてそのままエスカレーターで昇ると3Fレディースフロア、人の数がスゴイ!こんな朝早いのに30人はいる。ただのバーゲンセールじゃなさそうだけどあっ、ノボリがある「ひとつかみ1000円チャレンジ、絶対キミを落とせない!」恋愛ドラマ系のつかみ取り大会なのかな?順番待ちの列が競技を観戦するように丸く輪になっている。進行係の「タぁ~マぁ~GO!」の掛け声でゲームスタート、観てたら競技内容が大体分かった。誰が考えたのか結構面白く会場も盛り上がっている。

競技手順①ゆで卵の殻を剥いて白身だけを食べて、残った黄身を割り箸でつかむ②3cm位のピラミッド砂利が敷き詰められた10mコースを裸足で鶏の鳴き真似をしながら黄身を落とさず60秒以内にゴールする③クリアした人は1.000円支払ってゴールドエッグチャレンジの権利を獲得、選んだ1個の金色卵型のカプセルに入ってるカードに書かれたものが貰える。1等はゴールドエッグS玉、しかも純金。市場価格は20万円はする。2等はプラチナエッグこれも18万円位する。3等は玉子ワンパック、but普通の卵じゃない!発売初日で在庫切れになり予約注文殺到で現在8年待ちという「不老長寿卵ヒャクマデェッグ」S玉10個で10.000円もする、これがほんとの玉物たまものだ。側のモニターにエンドレスCMが流れている。微妙に有名な博士が出て来て、ヒャクマデェッグ使用前後の写真の年齢をインタビュー、あっ思い出した自分の仕事、アンケート調査だったんだ。ここで何人かに聞けるといいんだけど・・インタビューのために僕は並んだ、今度こそ!

「あらあ今日は仕事はお休み?」振り向いたのは筋金入りのオバチャンだ「あたし毎日来るけどサ、今日のゲームはメッチャ面白いわよおん。子供は2人、あ~M1とF1ね、いるけど~2人共自立して旦那は相変わらずクイックイッて釣りよお〜まあ、あたしも釣られた口だから魚の気持ちはよく分かるのよ、エサよこせ~フッざけんな!って感じ、全くサッ、近所のグチウワサ井戸端会議なんかに参加する気もないし家に居るのにも飽きたからここ迄来てるってわけ、まあ人生楽しいことが1番の薬よ私にはネ、ウアッファッハーウオッホッゴホ、」喋り圧の凄さに圧倒されたが咳き込む前に止めるテクもお見事だった。会場はタぁ~マぁ~GOと手拍子とコケコッコーだけのゴスペル合唱団のようなお遊戯会のようなシュールな現実の中で気持ちが迷子になりそうだった。そろそろオバチャンの番だ、あっ、おっ、あっあ~あ、オバチャンは黄身まで食べちゃうから失格になってしまった。説明を聞いてなかったか腹ペコだったかのどちらかだな。到頭僕の番だ、やりますかあ~!何でこんなにやる気になっているのか自分でも分からないが気持ちより先に身体は走って行く、やっと気持ちが追いついた時には黄身を持ってゴへゴッフォーとせながらゴ〜ル58秒!やったあ~この達成感・満足感は何なん?暫く味わったことの無い上気分だった。1.000円を支払っていざゴールドエッグチャレンジ、よしこれだ!パカっ"はずれ!とも言い切れない4等"ふざけたフレーズだなあ、スタッフにカードを渡すと「おめでとうございむあ~すっ、4等賞はこちらになります」と貰ったのは水晶クリスタルの玉子、Sサイズだった。

キエタ餡シュウマイ

結局はコケコッコ~レースに出て1.000円出費して透き通った玉子を貰っただけでアンケートは録れなかったけど次へ行こう!こんな時は切り換えが速い単純ポジキャラもオプションで追加したくれた両親に感謝する。残されたフロアは地下?あっそうか入って来たのは2Fだから1Fになるのかあ・・食有館、食べ物が有る館かあ、なるほど・・そのまんまや。エスカレーターの中間くらいで何やら賑やかな雰囲気になって来た。「ハイハイいらっしゃいらっしゃい、寄って頂戴見て頂戴買って頂戴、シュウマイシュウマイ餡シュウマイ。ノーマルのシュウマイもあるよ~MIXもあるよ~朝はMIX、昼と夜にノーマル、御10時と御3時は餡シュウマイだよ~さあさあ、いらっしゃいらっしゃい〜」と売り込むオバチャン販売員さんとまたしても目が合ってしまった。目をらせない気の弱さを自身で呪う。「ハイハイお兄さん今日は何にしますか?3種類あるよ全部いっちゃう~それは多過ぎくんだよね、じゃあMIXなんてそのスーツにぴったりフィットしてイイと思うよお・・・やっぱりノーマルかな?」オバチャンの顔圧とパワフルトークに後退りしながらも買いに来たんじゃないと精一杯の勇気を出してアンケートの”アン”と言った瞬間、オバチャンのクイック販売攻撃「餡の方ね、やっぱお兄さん見る目が違うねぇこれ今日が初めての新商品、お兄さんトップGETいい事あるよ1番は、良かったねーこれがまた味を言えないくらい美味しい!はいありがとうございます6個入りで300円、お兄さんゴメンね次の人が来るからチョッとこっちの方にズレてね1.000円札かな?ハ~イ700円のお釣りでぇっす。毎度ありがとうございました。」アンと言う間の出来事だった。台風が来る前日、友達とサーフィンをした日を思い出した。テイクオフも危うい初心者の僕は友達の背中を追いかけて懸命にゲティングアウト!やっと追い付き、反転して波待ちになると驚愕した。50m程離れたビーチまでがえぐれた絶壁、これが台風前の波だと初めて知った。「次来るぞ~」友達が叫んだ次の瞬間背後から来た巨大な波に丸呑みにされた。グァラ~ンゴロ~ンと洗濯機の中の靴下は多分こんな状況なんだろうと後から思った。数秒後自分に返るとビーチで鼻血を流し呆然としていた。とまあ、その時とNearlyイコールな思考停止状態だ。アンケートのアンにアクセントを付け過ぎたかなあ?いや違う全部聞こえても聞こえなくてもそんなことは関係ない、アンの2文字さえあれば後はオバチャンBiGウェイブに巻き込んでシュウマイとお金を滞りなくチェンジさせて送り出す催事販売員上級スキルをマスターしているんだ。今日は生憎あいにくかぶってないがオバチャンに脱帽する。

気の抜けた強炭酸水みたいな僕は百貨店を出た。10時40分かあ~さっきは出なかったグゥーの音とは別のグゥ〜が鳴った。朝食を食べそびれていたのでお腹が空いていた。折角なので餡シュウマイを頂こうと蓋を開けると餡子玉らしき6個がひしめき合って"ぼたもち"の構図、えっシュウマイはまさかこの餡子の中だったりして?何れにしても素手じゃ食べれそうにないし爪楊枝も付いてない。割箸か何か貰って来ようと先程の場所まで引き返すや唖然!ここにあったはずの催事ワゴンとオバチャン販売員は跡形もなく消えていた。

他の場所に移動したのかな?辺りを見回してもそれらしきものは無い、休憩?にしてもワゴンと一緒にはしないよなあ・・こんな時は直ぐ誰かに聞きたくなる。手っ取り早いのは困った時のサービスカウンターだ「本日は催事の予定は1件もございませんネ、申し訳ございませ〜ん。」どゆこと?確かにさっきあの辺りで・・妄想だったとしたらこの餡シュウマイは一体?何がどうなっているのか理解出来ないまま空腹には勝てず、ついでにプラスティック製のフォークスプーンを1本貰って近くの木製ベンチに座って頬張った。餡シュウマイ、幻の食べ物は美味だった。不思議なくらいに。

イデ入リテ

百貨店から2度目の脱出を試みる!チョッと大袈裟な言い方だが2度あることは3度あるってこともある。石橋叩き型キャラの僕は覚悟を決めて思い切り出ないとジンクスを突破出来ない故に勢いよく飛び出した。割とスピードが出てるので減速するために左に曲がって並み居る対向者を懸命に避けたら何故か下りのエスカレーターにON、まだ目指す場所も決めて無かったので人流にアレッアレッ、アレエ〜と身を運ばれてしまう。横断歩道ゼブラゾーンを渡るとポストの背景になってるインフォメの看板に立ち止まった。

この映画観たかったんだよなあ12月20日、明日公開かあ〜今日なら良かったのに・・ノーマルな僕ならそこで止めていたのに現在いまのこのフワフワニュートラルな気持ちは既に映画鑑賞ギアににオートチェンジされた後だった。午後3時を過ぎないと人は増えないから仕方ない、割り切ろう!と自分を正当化する理由まで付けてホットコーヒーとポップコーンバター味Lを買ってスタッフからチケットの半券を受け取る。席に着くと撮ったらダメ、蹴ったらダメ、大声ダメとダメダメ尽くしの鑑賞マナー説明が始まる。終わったかと思えば CMとかもう17分以上もやっている。早く始まらないかなあと思うのは僕だけじゃないはずだ。暗くて静かな場所にいるとほぼ誰の所にも必ずやって来る魔物もチラホラ・・そしてカミングスーンの予告編の最後は今1番観たいと思っている映画だった。

その船は夢の船と呼ばれた・・・本当に夢の船だった・・TITANIK!劇場内の電灯あかりが段々暗くなって行くと待ってましたとばかりにやって来た睡魔に僕が案内されたのはもう1つの世界だった。

ウタカタノ永遠

どうやらトンネルのような場所(ところ)にいるらしい、たぶん抜けても雪国ではないと思うが・・何かが横切った次の瞬間、琥珀色アンバーに輝く木板を滑ってフワッと浮き上がると異国人の微笑みに迎えられた。その時はまだ僕のリアルは想像を受け入れられず思わず何?と発する声を自分で聞いてビクッとしてしまった。ここは何処?僕は誰?まあ僕はボクなのでそれは良いとして、いや良くない御馴染みのいつものボクでは無い、大体カラダが無い!でも現状把握に長くは要らなかった。音楽隊が小さくなって行き15m程浮き上がると洋上を軽やかに進む船の半部分が見えた。4本の煙突のある巨大な船、あのタイタニク号だと直ぐ分かった。場所は一等船客専用プロムナードAデッキ、そこで演奏する音楽隊マスターのフォレス・ハートリーの奏でるヴィオロンから流出してる音、それが僕だった。

風は冷たく悲しいくらいの晴天だ。高い音で船から離れると今度は低い音で近づいて行く、楽団の奏でる音たちと浮遊する楽しさに理屈など要らなかった。

演奏が終わるとスゥーッとヴィオロンの中に引き戻された。でも真っ暗ではない、紐状の軟体動物みたいな窓から漏れてくる仄光ひかりは縦長の柱の所為でヴィオロンの中が意外と狭いことを映してくれる。時間の感覚は無い。見えない震える何かにけしかけられ滑り出ると今度は正装ドレスアップした紳士淑女たちの晩餐会場だった。音楽隊の奏でる音にうっとりしながらそれぞれが至福の時間を過ごしているのが伝わって来て僕も幸せを感じた。でも1912年4月14日の暦が目に入るや否や青ざめる、それが最後の晩餐だと知った僕は誰かに伝えたい衝動に駆られた。この船はもう直ぐ氷山に衝突して沈没すると今言えばまだ間に合うかも知れないと思った直後、自分が音であることを再認識して愕然とした。為す術がなかった、どうしようもなかった・・・僕はただの音、音に口は無かった。 

冷凍倉庫の中を無心に踊り続けるような違和感を感じる、どうやらデッキの上なのか音楽隊メンバーの4つの顔が見える。みんな優しい表情なのに目は笑ってなかった。演奏を聴いていた人達も1人、また1人と離れて行った。遠くに乗船客の悲鳴や叫び声、船員達の怒号がウネっている・・一瞬演奏が止み音楽隊マスターのフォレスが口を開いた「諸君。今夜、君達と演奏できたことを光栄に思う」運命の時が近かった。その言葉を彼のヴィオロンの中で聴いていた僕は共鳴を抑え切れずに思わず外に飛び出すと音楽隊が奏でる音達とひとつになった。

音楽隊が縮小する、視界を埋めていたタイタニク号の船体像すがたも侵食されて行く。巨鯨がスパイホップの後に海に帰って行くのか・・そのカタチが見えなくなるより前に僕は登って行った。音楽隊と共に高く、空高く・・・

オオタ肉タイタニク

「おいおい、降りる駅だよ~起きなあ、何だヨダレ垂らして美味しい夢でも見てたのかあ?」エッ、あっオッチャン?太田精肉店の・・・「息子の方だよ、ム・ス・コ!親父だと思ってないかい?」親子そっくりだったから間違えるのも無理はなかった。電車のシートは程良く暖かい、疲れも手伝って少しうたた寝をしてしまったのか?でも何てリアルな夢だったのだろう・・いや夢じゃない、乗船客の心をなだめようと最後まで演奏を続けた音楽隊の気持ちが命の音がまだ胸に残響リバーブしている僕は泣いていた。7歳の時に公園で迷子になった時以来泣いた覚えがなかった僕にはどこまでも透明な涙だった。

斜め上から見たから口元へ視線が行き、肉屋の息子にはヨダレと思われて良かった。涙だと知られなかったことが余計に僕だけのエピソード記憶に美しく保存できた気がする。

今は数少ない太田精肉店常連客の1人なのに最近は仕事の忙しさを口実に少なくとも3週間もご無沙汰していた。でも何でこんなとこにオッチャンの息子が?理由はこうだった。

それは10日前のこと、常連客は僕を含めて18人いる。肉屋だから2(ニ)×9(ク)=18人でメンバーズカードの名前は”ジャストミーツ(丁度肉)”と何とも分かりやすいチープなノリ、僕は満更嫌いじゃない。その中の1人に宿ヤドリハコブという占い師になるために現代に降りて来たような名前の女性No.2 がいた。(No.1は何てったってオホンさんだ、No3は・・)実は24年前オッチャンが工事現場でアルバイトをするハメになったのもこの人の一言からだったと記憶している。それを息子が知っているか否かは定かではないが・・彼女曰く「店名を変えれば運気も変わり、客をシコタマ連れて来るでしょうね、多分。」シコタマが何だかさっぱり分からないしラストの多分が気にはなるがやはりDNAは争えない、それを鵜呑みにした息子も指示通り「太田精肉店」から「大田肉」に看板を変えた、いや塗り替えさせた。太田の「太」の点が余計だし店名は5文字より3文字が良いと言われ考えた候補名は「大精店、大田店、大肉店、田精肉、田肉店、大田精・・」等でどれも肉屋だかチェーン店名だか分からなかったりで結局、大田の名前を残してパッと見て肉屋だと分かる「大田肉」にしたとのこと。

看板リニューアル初日、常連客は何かサービスがあるかも?と詰め掛け、近所の人達の冷やかしもあって結構賑わったが2日目から無風状態でパタッと誰も来なくなり、それが5日目には大雨が降ったかと思ったら店は沈んだ。オッチャンとオッチャンの息子家族がみんな無事だったのは幸いだったが元々地盤が弱かった為、雨で地面が液状化して本当に店が地中に沈没してしまったというのだ。僕は看板の所為だと確信した!「1912大田肉」大田肉はタイタニクとも読める、そして1912年4月10日の処女航海から5日後にタイタニク号は沈没したのだった。リニューアルから5日目に沈んだのも不思議にマッチする。何故わざわざ1912を付けたのか?それはオッチャンからダジャレ語呂合わせ好きまでも継承した息子が後から追加で店名の前に1129(イイニク:良い肉)を付けたいと言い出し、忙しい看板屋はそれを 1912と間違ってメモして確認もせずにそのまま徹夜作業でオープンに間に合わせたからでオッチャンの息子も新看板がまさかそうなっていたとは夢にも思わなかったようだ。最も今となってはそれを見ることも叶わない、地海の底に眠っているのだから。

もしも看板屋の数字を間違えなければ?いや看板屋には罪は無い。これは運命だ、時間ときの河はそういう風に流れていてどんなに変えようともがいても変えられない。仮に運良く流れを変えられてもそれは自分の目前に映る景色を変えただけに過ぎない。ドローン神から眺める俯瞰世界には悠々たる時間ときの大河しか映らない「で、どうかしたの?」と言う声が天空から聞こえて来そうだ。「何をやってもどうせ変わらないなら何もしない方がいい」とつぶやけば「では、何のために生まれて来たのか?」と禅問答ループに入室後ラビリンスを彷徨うことになりそうなので止めて置こう。

と言う訳でオッチャンの息子は太田精肉店の再建を目指して現在単発派遣のアルバイト中、毎日スマホで翌日の仕事を探しながらあっちこっちの現場へ行っているらしい。その仕事帰りに何だか見たことある顔だなあと思って見に来たら僕だったということだった。プッ、シューっと電車の扉が開いた「また、マジでかミンチ、買いに来なよ・・って言っても無理かあ、もう今は~ハッハァーじゃあ・・またね。」オッチャンの息子の背中が心做こころなしかボヤけて見えた。

ウタタ寝ノコチラ

46歳の僕は相変わらず某大手薬品メーカーの子会社のそのまた子会社で営業マンをしている。御さんは去年定年退職し結婚紹介サイト" Ophone オーホン Me ミー "を立ち上げた。「新端末かぁ〜い」車力部長は77歳の喜寿きじゅを迎えて更にヴァージョンUP!着る服も残りの髪もDEEPパープルになっているらしい。同期の2人、謝部里は喋りたい願望が高じて某地方TV局アナになりエッセイ本も出した。(何気に売れてるらしい) 今井は三つ子の女の子達のパパで育児奮闘中、4対1で全然勝てる気がしないと風のメールを着信した。

僕はと言うと電車でのうたた寝で24年前の自分と再会してから以前とは少し違う日常を送っている。

朝は6時のアラーム前に自然に目が覚め、窓を開けて朝の光と空気を身体いっぱいに浴びると今日も生きてることを有難いと実感できる。トイレ、歯磨き、寝癖直しのシュッ、いつものルーティーンをゆっくりとこなしていく・・そして玄関ドアを閉め2つ目のキーを回すとやる気エンジンがグゥオーンと快音を上げる。誰かに背中を押されてる訳でも無いのに足取りも軽く左手にはあおい鞄を提げ右手には見えないバトンを持っている、この夢のようなスペアレスな時間ときを繋ぐための・・・

        −オシマイ


アトガキ

リアルとバーチャルと言えば世間では普通に通じる。以前は何の違和感もなかったが今は使うのを躊躇ためらう。世界はリアルとバーチャルなんかじゃなく「信じられないこと」と「信じたいこと」で出来ていた。そして僕はこのエントロピックな世界の中で"believe"信じるという真ん中の道を歩き始めている。何が起きても偶然ではなく必然で起こるべくして起きている、それを引き寄せていたのも自分の様な気がする。人は集合交流型の動物だ、1人では生きて行けない。喜んだり怒ったり哀しんだり楽しんだりから発生する感情のゆらぎを生きるエナジーに変換する。何時も何かを誰かに伝え、誰かに何かを伝えられている。そうやってこれからも続いて行く人生はまだ、捨てたもんじゃない。


※この物語はフィクションであり登場人物名や固有名、場所名等ほぼ架空のものです。表現等で不快な気持ちにさせたりご迷惑をお掛けした場合、また?と!と~の多用が気になる点もどうかご容赦下さい。すべては夢中の物語はなしですから・・・

P.S.最後までお読み頂きありがとうございます。スキと言ってください!^_−☆


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