見出し画像

タイシュウリキ

世界的ネームバリューの歌舞伎、相撲、浮世絵、寄席。
全て江戸の庶民が楽しみながら発信していった大衆文化なんです。

学問や芸事に秀でたお殿様やお姫様からではなく、大衆から広まり世界を魅力していった江戸文化

西欧のオペラやバレエなどは、着飾った特権階級が楽しむ為の娯楽といった感がありますが、江戸の文化は庶民から楽しみだし、噂を嗅ぎつけた武士や奥女中が逆にお忍びで遊びに来ていたらしいです

現代でも私達が親しんでいるのは、庶民が楽しみながら広めていった大衆に馴染み深い文化だからなんですね。

自分は「大衆」という言葉に、どこか生活感や懐かしさを感じます
大衆浴場や大衆理容の安心感もありますし、落語は庶民の愛すべき姿を題材にしてるのが多い。そもそも自分が独立して飯屋を構えたのも大衆酒場や大衆食堂の雰囲気を現代に表現したかったのがきっかけでした。

では大衆とは何でしょうか
異才の小説家、深沢七郎の『庶民列伝』の序文では、
『庶民というものは、どんな人達かだいたい見当がつくものだが、どの生活からどの位までの生活の人達を、「庶民だ」とはっきり区別する事はなかなか難しい』

としながらも、
「庶民とは不恰好で食いしん坊、強情であわてもの」などと表現し、
「この世には庶民か異常神経の持主しかいない」と、冗談を交えながら定義しています。

例えばその定義、自分の身近な話だと
旦那の洗濯物を足拭きマットと一緒に洗って日々の憂さ晴らしをしてる奥さんや、癌を宣告された人がまず近所のスーパーのポイントを使った。なんて話は大衆だなーと思います。

逆に、異常神経だなと思うのは、
なかなか結婚が出来ずにずっと婚活を頑張っている純情な後輩。実は話をよく聴いてみると理想のタイプが人妻である事が判明。そりゃなかなか結婚できません。これは異常神経です。

イワシやアジなど大衆魚は焼きも干物も最高で大衆だなーと、しみじみ思える歳になりましたが、エンターテイメントや効率性に偏り、食を感謝や生きる為の手段から遠ざけてしまった現代の飲食業界は異常神経でしょうか。

喰うて糞して死ぬまで生きる命
大衆メシが大衆パワーの糧になりますように。

天晴レ、にっぽん!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?