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2022/12/6 『水面下の会話』

水面下のひかりが
それは落下していく、ようす
で、それがぼくらにとっては
多面体である、水面と、その周辺では
よく考える時、いつもそうなんですが
この聖書の厚さを、静かにしているわけですね
それは絶対的に、小面(こおもて)の裏から支えられている
つるされたものとして、見えて来るわけです
さきほどまで、言葉はくぐもる
その不安定感のさらに奥の方では
じつに理解しがたいものとして
いや、これは何かを表現しようとして
そのように言うのではないのですが
やはり、こだわっている、砂の方に原因があると
思うわけです
キャンバスの上に残るものが、流れる可能性の方へと
僕には重要に思えるわけです
ーーああ、どういえばいいのか
ーー水面下のあの泡の向こうに、包まれて
ーー沈んでいる、あれがそれらしく思える
ーーなんだかわからない
ーーしょうがないですねえ
ああ、首のふるえは
神からの線を受ける位置を見つけられるために
今も、いつも
わたしはそれを確かめる
無に近づくことによってわたしは
人々の視線の中で、縁起そのものとなる
でも、こうして、踊っているわたしは
わたしの位置から人々を見る
無ではないわたしが、無であるわたしのように
しかもわたしが、かつて見た花は今は消えてしまった
幻想と無と縁起の狭間で
わたしはわたしを知っている
どうしてこのわたしを、わたしは見ないですごすことが
出来ると言うのだろうかーー
ああ、水面下に、落下する
それがわたしと言うもの
わたしのものと思えるのに
木立の姿も、わたしの姿であるのか、確かにゆれている
あろうとして、ありえないものを
落下する形として、わたしの哲学は
しかも木立のように、
ひたすら、水面下の
言葉である。