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我が家は多分、亭主関白

フォロワー様の記事に触発されたので、私が知っている亭主関白について書いてみたいと思います。




九州男児といえば亭主関白の象徴のようなイメージがあるのではないでしょうか。

私は両親共に九州人で九州で育ち、かつ県外に住んだことがない九州人のサラブレッドです。


実家はどちらかというと亭主関白な家庭でした。
父は堅めの仕事をしていたのと、アルコールに弱い体質だったので、酒も女も博打も手を出すタイプではありませんでした。
母は結婚するまで働いていた典型的な昭和の専業主婦です。

私にとっては一家の主が権力を握るのがスタンダードなので、亭主関白家庭で育っておきながらどこが亭主関白なのかが正直よく分かりません。
父方の祖父母が亭主関白の極みのような夫婦だったので色々麻痺しています。

いかにも亭主関白だね、というルールとしては

・何事も最終決定権者は父

・父がNOと言えば絶対に覆らない
 ※理由は説明されない
 例)友達の家に泊まりに行くのは大学に入るまで禁止。

・父がYESと言えば拒否権はない
 ※拒否すると怒られる
 例)父の思いつきにより兄13歳、私9歳のときに2人で東京の叔母の家まで各駅停車で24時間かけて行くことになった。
今なら警察保護案件。

・父の采配ミスが起きた時のフォローは母
 ※父からの謝罪弁明はなし

て感じです。
文字にするとやっぱり亭主関白だな。

母はとにかく父を立てました。
家のことは全て母が1人で回し、仕事が忙しい父はほとんど子育てをしていません。
"出来なかった"に近いです。
そして母は何事も

 お父さんに聞かないと分からないよ
 お父さんにお願いしなさい
 お父さんにお礼言って


と兄と私に言いました。
その言葉通り、父にお願いをして許可が降りれば錦の御旗を得たがごとく母の反対があろうがおかまいなしでした。
しかし許可が降りなかったときはどんなにゴネても泣いてお願いしてもダメでした。
ダメな理由も説明はされません。
「ダメなものはダメ。せからしい(うるさい)。」
で終わりです。

私は幼稚園のときにはすでに父に何かねだることを諦めている記憶があります。
おもちゃやお菓子に限らず、何かをしたいという気持ちもです。
 どうせダメって言われるんだろうな
と、希望を口にするのも嫌になっていました。

ただ幸運だったのは、子どもの頃は理不尽にも思えた父の裁可が、大人になってみるとそこまで理不尽なものはなかったと思えることです。
幼い頃の抱えていた憤りも今はありません。
父が無茶苦茶な価値観で家族を振り回すタイプの破天荒関白でなかったのはラッキーでした。


そして結婚した今、(高校生の頃から薄々感じてはいましたが)改めて思うのは
 亭主関白家庭の要は母
ということです。

仕事で家にほとんどいない関白を関白たらしめたのは母の言動があってこそです。

父は母に愛を囁くタイプではありません。
母が作る料理も無言で食べます。
感謝の言葉も"言わない訳ではない"程度。
誕生日に花でも買ってあげればいいのに、と言ったことがあるのですが
 無理。恥ずかしい。
と断られました。

それでも母は父を一家の主だと立てました。
ウチはお父さんが中心なのよ。と。
兄と私は、父の言うことは絶対に聞かなければいけないと思う子どもでした。


では、同じことが私にも出来るか?


夫は同県出身です。
実家は3世代同居のド亭主関白家庭です。
亡くなった夫の祖父は食事の時、定位置から一歩も動かず箸すら自分で用意しなかったそうです。

そんな家庭で育った夫は今、リビングで寝そべり

 ドン!亭主関白が現れた!
 旦那さんはコーヒーが飲みたい
 嫁よ、コーヒーを淹れるヨロシ

と言いながら腰に手を当ててドヤる関白です。
私は、

 「美人で気が利く優しい素敵な奥さん、
  わたくしめにコーヒーを淹れて下さいませ」
 って言って

と答えて微動だにしません。
夫は、

 び…、びじn…オエェェェ(水ゲロ音)!!!

と嘔吐します。というコントをします。
コーヒーを淹れるか否かはその日の私の残HP次第です。


子どもの前では
 お父さんがお仕事してくれるからご飯が食べられるんだよ!
と言っているので、多分ウチは亭主関白です。
え、違う?うーん分からん。

亭主関白が出来るか否かはやっぱり妻次第かなぁとは思います。



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