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絵本:もうじきたべられるぼく

仕事が終わって、本屋さんに寄って出会った絵本。

【もうじきたべられるぼく】

牛さんのお話。
食用に育てる牛さんを、畜牛というらしい。

そんなものを、絵本にするなんて、なんて残酷なんだ。
私の頭にすぐに浮かんだことは、そんな安易な思考だった。

ページをめくって、めくっていたらのめりこんでいた。

以下、ネタバレです。

畜牛はある程度成長すると生みの親から離れて、
まるまると育ちなさいと言われる。

本当は、お馬さんのようにシュッとした姿で、颯爽と走ったり、
象さんのように、みんなからちやほやされる人気者になりたい。

だけど、ただひたすら、すこやかに、ぶくぶくと太れと言われる。

大好きなお母さんは、次々と妹、弟が生まれて、幸せそうに見える。

もうじき食べられる僕をみたら、悲しませてしまうかもしれない。

そう思って一人でに、電車に乗って、遠くへ行くのだ。

それに気が付いたお母さんは、必死で息子を追いかける。
電車になどかなうわけもないのに、
ただがむしゃらに、最後の別れをするために走り続ける。

それに息子は気が付けず、心を決めて、ただ一人、でていく。

もしもこれが、人間のお話だったら、
なんて恐ろしいんだろうと思った。

私が親と離れたら。
大好きな兄弟がある日、出荷されたらと。

危うく絵本に涙をこぼすところだった。

涙は、口の横で止まった。

そんな私に、牛さんは追い打ちをかける。

「せめて僕を食べる人の人生が幸せであるように。」

と幕を下ろすのだ。

ああ、もうだめだ。牛さん食べれなくなる。

平凡な私たちの身近にある食事は、さまざまな場所から集まってくる。
いろいろな商流があって、経緯があって、集まってくる。

消費者は、いろいろなことを深くまでは知らない。
だけれど、命をいただいていること、
あたかも自分の人生だけに、気持ちが向きがちだけど、
「いろいろ」があることに、感謝を忘れずにいたいなと、
偽善者ぶっているけれど、そう、思った。

食べることは、大好き。
だからこそ、消費することへの責任をもって、
日々を過ごしていきたいなあと思った。

絵本はこどもに向けがちだけど、
これは大人むけの絵本なのかもしれない。

絵のタッチが優しくて、柔らかくて、
その相反する文章と絵に、心がざわざわした。


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