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さくらコロン


 「以上、ちぇりーぶろっさむ。でした。」
 パチパチと六割ぐらいの人が拍手をしてくれる。ウケは一割ほどで、ネタの途中で席を立つ人もちらほら見られた。それでも彼女は、一番前の席で一ミリも口角を動かすことなく座っている。どんなにつまらないネタでも、帰ることはしない。でも、笑うこともしない。何なら彼女は、どんな人がネタをしても笑わない。ちょっとテレビに出始めた元地下芸人が来て、どれだけ周りが盛り上がっていても一ミリも笑わない。最前列でそれをされるといい気分ではない。それでも、この劇場の来た人から好きな席に座れるという特性上、彼女を後ろの席に追いやることは出来ない。それに、彼女はこの劇場にかなり通い詰めている所謂太客なため、演者は何も言えない。絶対に笑わない彼女のことを、演者は陰で「氷の美女」と呼んでいる。彼女がいるというだけで、自分が滑り続けている気分になるかららしい。まあ、滑っているのは紛れもない事実だが。
 僕は、氷の美女をちらっと見ながら袖にはけた。楽屋に戻ると、次のライブの話を持ち掛けられた。二千円払ってステージに立つ。テレビで活躍する芸人は、お金をもらってステージに立つのに、僕は、お金を払ってステージに立つ。同じ芸人という肩書でもかなりの重さが違うことを体感させられる。僕は、返事を保留にして衣装を脱ぐ。色褪せた、ピンク色の衣装。全身に桜吹雪のイラストが入っていたのだが洗濯をしすぎて色落ちしたため、ただのごみくずが付いているようにしか見えない。先輩には、衣装を買い替えるように言われるが、そんなお金もない。ライブに出て、生きていくだけで精一杯だ。僕には、芸人なんか向いていないのかもしれない。そんなことを考えながら劇場を出た。

 劇場の入り口には、大きな桜の木がある。そのため、この劇場の名前は【桜劇場】だ。桜劇場とちぇりーぶろっさむ。桜という日本を代表する花の名前を使っているのに、全く代表になどなれない。桜という価値を落としているのではないかと不安になるほどだ。ふと桜の木を見ると、夏が近づいているためか、葉が生い茂っている。ピンクじゃない桜は、何ら特別なものとは思えない。春になって、ピンク色に染まるまで、この木が桜かなんて、日本を代表する木かなんて誰も考えないんだろうなと思う。この劇場も、僕も、きっと同じだ。ブレイクするまで、流行るまで、何の特別感もないのだ。芸名をちぇりーりーふ。にでも変えるかと馬鹿なことを考えながら歩きだす。すると、何かが足に当たった。
 「なんだこれ」
葉桜の下に、小さなビンが落ちていた。手に取って土を払うとそれが香水なのだとわかった。薄いピンク色をした液体がゆらゆらと波打っている。何気なしにラベルを見てみると【これで貴方も笑顔に さくら香水】
と書かれていた。ブランド名も特に書かれておらず、かなり怪しい香水だなと思った。だが、こんな怪しさ百パーセントの香水でも探している人がいるかもしれないと思い、スーパーの帰りに交番に届けようと決めた。
 交番には誰も人がいなかった。
 御用の方はお電話ください。と書かれているが、電話をして待っているのも面倒くさかったため、一度家に帰ってまた出直すことにした。そのまま、保留にしていた次のライブの日まで香水の存在を忘れていた。
 葉桜にうるさい虫がとまりミーンミーンと叫んでいる。ただでさえ暑い劇場が余計に暑くなるからやめてほしいいと心から思う。僕は、今日のライブで氷の美女を笑わすことが出来なければ芸人をやめることにした。絶対に不可能な条件で臨むことにしたのは、自分が芸人をどこかでやめたいと思っていたからだろう。絶対に笑わない彼女をいいように使うことにした。
 衣装に着替えていると、底から香水が出てきた。やらかした。と思いながら割れていないかを確認する。かなりバッグを乱暴に扱ってきた。どこかにひびが入っているかもしれない。そう思い、香水のビンをクルクルと回していると女芸人の先輩が近づいてきた。
「智恵理、なにそれ。いいの持っているじゃん。今日さ、会場がなんか臭いからさその香水椅子に吹きかけてきてよ」
堪ったものじゃない。そう思ったけれど、この業界、先輩の言うことはゼッタイだ。僕は、分かりました。と小さくいって会場の椅子に吹きかけて回った。香水の持ち主に心の中で謝罪をしながら。会場は、香水のお陰で満開の桜が咲いているような柔らかい太陽の匂いに包まれた。香水は、残り三分の一くらいになっていた。
 ステージが始まった。俺の一つ前は、さっき香水を振りかけるように言ってきた女芸人の先輩だ。先輩は、芸歴こそ長いもののウケているところを誰も見たことがないといわれるほど滑り女王だ。冷え切ったステージを解凍するという意味で、先輩の次にステージに立つ人のことを「アンサー」と呼んでいる。「トリ」や「モタレ」のように異名があればみんな喜んでするのではないか。みたいな考えから始まったこの文化。解答と解凍をかけたアンサーという異名はここにいる芸人が売れていない理由のように感じる。
「どうもありがとうございました。」
今日も通常運転のようでダダ滑りした先輩が満足そうな表情で袖に戻ってきた。先輩は、僕をちらっと見て「私滑っていませんけど」というように堂々と楽屋へ戻っていった。
 「ちぇりーさんです。お願いします。」
スタッフさんに名前を呼ばれて明るくなったステージへ向かう。アンサーとしての役割を果たせたらいいなと思いながら。
 「どーも。ちぇりーぶろっさむ。です。いやー、最近暑いですね。劇場の外の桜の木には蝉がいて余計暑苦しいってと心の中で突っ込みました。でも皆さん。この劇場は、なんだか涼しく感じませんか?一応エアコンの設定は二十度くらいなんですけど、何人も滑るから冷凍庫くらい涼しいですよね。暑いなって思ったら今日のライブを思い出してみてください。絶対その辺のコンパクト扇風機よりかは涼しくなれますから。」
ツカミというかネタ前にする短い世間話。毎回ここで荷物をまとめる人が二、三人いるのだが今日はぱっと見、誰もいない。それどころか、少し笑い声が聞こえた。僕の口角も少し上がった。
「今日はね、普段よりもなんかお客さん綺麗な方が多いから昔のバイト先を思い出しました。こう見えて、元々バーテンダーしていたんですよ。こんな風に」
ここからがネタ。これでウケないとツカミの意味がなくなる。僕は、気を引き締めながらネタのキャラに入った。
「いらっしゃいませ。まずはそこの覆面マスクとシャンパンをどうぞ。このご時世ですからね、マスクは当たり前でしょ。え?普通のマスクじゃダメなのか?お客さん。そんなの愚問ですよ。普通のマスクで結構です。シャンパン?シャンパンはアルコールですからね、良く手に着けて消毒してください。ベタベタになりましたら、あちらに手洗い場がありますので良く手を洗ってアルコール消毒してください。」
ご時世を絡めたこのネタは今日が初卸だ。正直ウケるか不安だった。だが、僕はいま笑いの渦の中にいる。嬉しくて口が進む。
「お客様。こちら当店の接客券になります。またのお越しをお待ちしております。」
今までのように締めの言葉を言うのではなくコント終わりにしたため、そのまま舞台が暗転する。
暗転する直前。氷の美女をチラ見するといつもの席にいなかった。まじか、と思うといつもの席の隣に座っていた。彼女のいつもの席には彼女の友達らしき人が座っていて二人ともとても楽しそうに笑いながら拍手をくれていた。
僕の芸人続行が決まった。
楽屋に戻ると演者が拍手で出迎えてくれた。ウケたな。俺らには面白さ伝わらなかったけど。なんて言われながら僕は衣装を脱いだ。劇場の支配人が、たまたま来ていたテレビ関係者が今度番組に呼びたいと言っていたと、鼻息荒く教えてくれた。僕は、みんなからのお祝いを背に受けながら劇場を出た。
劇場の葉桜が入りの時よりも輝いて見える。そう言えば、香水を交番に届けなければ。そう思いカバンをあさる。
「あの。ちぇりーさんですよね。」
驚いて顔を上げると、氷の美女がいた。氷の美女は、僕のカバンの中を見て香水を手に取った。
「これ、私のコロンです。」
彼女の言葉を直ぐに理解することが出来なかった。
「これ、森の魔女とか言っている人から買ったコロンで吹きかけると誰でも笑うって言われたんです。だから、お笑い見る時はいつもつけていたんですけど全然笑えなくて。この前、ここの桜の木の下に捨てたんです。今日劇場入ったときこのコロンの匂いがしてびっくりしました。それから、ちぇりーさんのネタ見て思いました。これは、笑わせる人が吹きかけることで笑えるようになるんだって。観客をサクラにするコロンなんだって。でも、ちぇりーさん。今日のネタは過去一面白かったです。また期待しています。」
そう言って彼女は足早にどこかへ向かった。吹きかけるとサクラが出来る。みんなが笑ってくれる。僕は、とんでもない代物を手に入れたようだった。僕の手の中には残り三分の一となったサクラになるコロンがある。

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