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死ぬこと以外は。

死ぬこと以外はかすり傷。
生きていて何度もするかすり傷と人生で1度しかない死を並べるのって話ズレてない?って思ってしまった。
まだたったの18年しか生きていないけれど、かすり傷なんて数えられないほどしてきた。
体はもちろん、心も。
私の心は小さいから、何度も同じところに傷ができる。
そしていつの間にか消えない傷となってしまった。
雨が降ると古傷が痛むように、日常のちょっとした出来事で痛んでしまう。
生きにくい世界だと思う。
かすり傷を負わせた張本人は、ただただ楽しそうに生きているのだから。

生きていたらいいことがあると言われるけれど、そのいいことを教えてくれる人にまだ出会ったことはない。
生きてたらいいことって言うのは、クリスマスにプレゼントを配るサンタさんみたいに感じる。
小学生の高学年になればサンタさんの真実は聞けるけれど、生きてたらいいことの真実は死ぬ直前まで分からないのだからタチが悪い。

死というものは私たちの生活に身近にありすぎる。SNSでよく見る自殺宣言。それに対して止めるコメント。
生きていても死んでいても対して関係ない人物のはずなのに、止めなくてはいけないという精神が働いてしまう。
これを人は偽善と呼ぶし、正常とも呼ぶ。
自分の人生で、その宣言を見なければ関わることのなかった人のはずなのにそれを見てしまったからには自分の人生に関与している気がする。
本当に自殺をする人間は、わざわざSNSで宣言なんてせずに静かにどこかに沈んでいくのだと思う。
自殺をする理由なんて人それぞれだから私の一意見として聞いて欲しい。
私が自殺をするとするなら理由は、これ以上いると周りを苦しめるからだ。
周りに迷惑をかけたくないから自殺をすると思う。
したことないし、分からないけれど。

中学生の頃に所属していたコピーグループは、私が加入してから右肩下がりになった。
私って疫病神だなと思い、ずっと身を引こうとしたがプロデューサーに相方が気に入られていたから引き止められた。
私が辞めれば相方も辞めると思ったのだろう。
3,4番手ら辺をウロウロとしながら、グループの楽曲の作詞をしたこともあった。
顔出しをしている訳でもないのに、可愛い、可愛いと言ってくる人たちに何を可愛いと言っているのか聞いてやりたかった。
グループに新メンバーが加入して、そのメンバーたちがかなりの曲者で先輩方を困らせてグループの在り方を見失った。
グループの色とか元からあった訳では無いし、明確な在り方があった訳でもないのに確実に変わったと実感した。
可愛い、可愛いと言ってくる人たちも減っていった。
きっと最後になるだろうという楽曲で私はセンターを任された。
一番標的にされる場所を任された。
グループ最後の楽曲のセンター。
変わってしまったグループのセンター。
ただ、ただ、私が傷つくためのポジションだった。
かすり傷を沢山作られたし、作った。

女友達なんてものは存在しないし、男友達というものも存在しない。
まず、友達という枠組みなんて存在しないと思う。
友達って何がどうなれば友達なのだろうか。
一緒に過ごしていれば?
休日に遊びに行けば?
電話をしたことがあれば?
明確な基準がない友達という関係性は、蜘蛛の糸よりも細くてもろいと思う。
女友達は彼氏に勝てない。
彼氏ができるまで、そばにいてどうでもいい話を聞いてして、何となく一緒にいるだけ。
彼氏が出来れば必要なくなる。
友達だと自分が思っていたのに、彼氏が出来た瞬間切れてしまう。
または、お金が無くなった瞬間切れてしまう場合も有る。
結局、友達なんてものは利用できるかどうか。
友達なんてものは存在しない。利用できる人間か、否か。
利用できる人間はなるべく手放したくないので、こちらから話を振って糸の本数を増やしてみる。
それでも知らぬ間に勝手に切られることもある。向こうが私のことを不利益だと感じた瞬間だ。
そうなれば私は宝物を失ったような気分になる。
利用できるコマが減ったのだ。
大切に育てていたコマが。
切られた糸が跳ね返って私にかすり傷をつくる。

死ぬこと以外はかすり傷。
死ぬこともきっとかすり傷だ。
自分の思う空に1番近い場所から、少しだけ背伸びをして手を伸ばしてみる。
柵から身を乗り出して、不安定なつま先立ちをする。
ふくらはぎがプルプルと痙攣して、もっと筋トレをしておくべきだったと思う。
向かい側のタワマンの光が眩しくて、目を細める。
つま先が地面から離れて、でんぐり返りをする。
タワマンの光がぼやけて見える。
空から1番遠い世界へ、

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